第11話 ダークナイト

 誰も彼もがどうしていいのか、判断をつけかねている。

 アスロはジダノフ中尉の首に腕を巻き付け、フォークの切っ先を皮膚に食い込ませる。


「やめろ!」


 ジダノフは苦い表情で叫んだ。

 表情は怒っているが、額に浮かぶ脂汗からして彼自身もどうしていいのかわからないらしい。

 

「失礼します、同志中尉殿」


 アスロはジダノフの腰をまさぐり、そこに提げられていたホルスターから拳銃を取り出した。

 象牙細工が施された、武器というよりは工芸品の拳銃だった。

 銃弾が装填されていることを確認し、ホルスターも外す。

 

「命令をお願いします。全員の武器を一か所に集めるように」


 腰や尻を触った感覚でわかる。

 この男は生粋の軍人ではない。おそらく党の出身者だ。

 中央、あるいは地方での党員活動を経て軍に将校として入って来る者は多い。ジダノフもその類だろう。

 であれば勉強会などで党の主義についてはアスロよりも詳しい筈である。

 どうしても問いたいことがあった。


「俺は逃げます。その為には追ってきて欲しくない」


「追わない。約束する」


 ジダノフはあっさりと任務の放棄を宣言した。

 もし、三級市民が同じように義務を放棄すれば十分に処刑の理由に成り得る。

 

「ほら、お前らもさっさと武器を捨てろ!」


 ジダノフは金切り声で叫び、部下に命じた。

 場に居並ぶ兵士たちは顔を見合わせながらも武器を地面に捨てる。

 広場の真ん中には見る間に銃器の小山が築かれていった。


「さあ、これでいいだろう。放せ」


 刺さったフォークで緊張してか、呼吸が荒い。

 いつの間にかびっしょりと汗をかいており、軍服がまだらに塗れていた。


「まだです、中尉殿。口約束では信頼できません。部隊が壊滅すれば追ってこれませんので、指揮官たる貴方自身か、あるいはこの場にいる正規兵、及び将校と下士官の全員のどちらかをウーデンボガに命じて射殺させてください」


 『人民の立場は常に平等である』というスローガンは、王制や貴族制を打倒して以来の国是である。

 この場合、ジダノフの立場なら当然、自らを捨てるべきではないか。そうであれば、アスロが信じてきた理念がまだ報われる気がした。

 しかし、ジダノフは震える手でウーデンボガを指すと呻くように命じた。


「ウーデンボガ、全員を殺せ!」


 その瞬間、アスロは地面が崩れたかと思った。

 倒れそうになりながらジダノフに寄りかかって堪える。

 困惑具合は命令を受けたウーデンボガも同様で、ジダノフを見つめていた。


「ど……同志ジダノフ、俺には出来ません」


 アスロを正面から打ち負かした強大な怪物が哀れな三つ子のようにうなる。

 ジダノフの首筋にフォークを突き付けながら、アスロもジダノフによる命令撤回を期待した。

 自分の命などどうでもいいから、反革命分子であるアスロごと俺を撃て。

 そう叫んで貰えれば、アスロはジダノフを解放したかもしれない。

 その結果、たとえ命を落とそうとも、ある面では殉教に等しい救いを得られただろう。

 立ち並ぶ名誉小隊の面々も固唾をのんで事態の成り行きを見守っていた。


「うるさい、化け物め。逆らうと軍籍を剥奪して一族ごと北端に送るぞ!」


 ああ、駄目だ。やめてくれ。アスロは叫びたくなった。

 しかし、口の中が乾いて叫ぶどころか呼吸さえうまくできない。

 あの男は俺だ。

 戸惑うウーデンボガに自分を重ねる。

 たっぷり一呼吸の間、静止していたウーデンボガは突如動き出すと拳銃を拾い、名誉小隊の兵士たちへ向けた。

 二級市民以上で構成される彼らは、ぽかんと大口を開けたままその瞬間を待っていた。

 途切れずに銃声が鳴り響き、点々と血煙が舞う。

 次々に持ち替えられた拳銃は、空になる端から捨てられ、最後の兵士を射殺した拳銃は強く地面に叩きつけられて飛んで行った。

 周囲に静寂が戻り、ウーデンボガの荒い呼吸だけが耳に響く。

 

「獣人アスロ、これで満足か。中尉殿を放せ」


 敵意を込めた視線だけで人を殺せるのなら、アスロはバラバラになっていただろう。

 それほどに怨念を込めた視線がアスロに向けられていた。

 

「わかった。もう追ってこないでくれ」


 兵士がいない部隊では追跡も困難だろう。

 アスロは首からフォークを外し、ジダノフの背中を強く押した。

 つんのめってウーデンボガの方へ足を進めるジダノフの背中に、奪った拳銃で狙いを定める。

 三度の銃声。

 右足のふくらはぎと太もも、それに右肩へ撃ち込まれた弾丸が血の華を散らせた。

 

「貴様!」


 激怒するウーデンボガの顔を見るのもアスロは哀しかった。

 悲鳴を上げてジダノフが転げまわり、見苦しく藻掻く。

 他人の死は平気でも自らの怪我は痛いのだろうか。

 太い血管を傷つけないように撃ったので肉ははじけ飛んでいるが、傷自体は浅いはずだ。

 ホルスターを自分の腰に着け、象牙細工の拳銃を収める。


「近くの村まで連れて行って手当てをするんだ。それで命は助かる」


 アスロはそれだけの言葉を残すと、徐々に薄明かりが増す空の下、森に飛び込んだ。

 そうして、追跡を諦めてくれ。

 無敵の外皮を持ちながら、繊細な精神を持つこの巨人とはもう戦いたくない。

 心底からそう思う。

 信じてきたモノのあまりに無残な敗北に、アスロは反吐が出そうだった。

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