第9話 肉弾戦
小銃の哀れな破損にウーデンボガから視線をそらしたのはほんの一瞬だった。
その一瞬の間に、ウーデンボガの右手に拳銃が収まっていた。
速い!
思うと同時にアスロは小銃を捨てて横っ飛びに逃げていた。
ド、ド、ドン!
鈍い轟音が鼓膜をつんざく。
かするだけで手足を弾き飛ばすこともある高威力弾は幸いにもアスロを避けて地面を穿つにとどまった。
ウーデンボガの構えたそれは大口径機銃弾を射出する特殊拳銃で、ボージャが持っていたものと同じ型だ。毎夕、ボージャから整備を命じられていたアスロはその構造を熟知している。装弾数は三発。
ボージャであれば腰を落とし、両腕で構えて尚、上体をのけ反らせていた強力な反動をまるで感じさせず、ウーデンボガは片手で三連射して見せた。簡単な計算をすれば弾倉は空である。
しかし、すでに弾を打ち尽くした銃にアスロは行動を強く縛られた。
距離を開ければウーデンボガは再装填をし、再び銃撃してくるだろう。
次も弾丸が機嫌よくアスロを避けてくれる保証はない。
となれば距離を詰めて装填させず、倒すしかない。
銃弾をはじく怪物を素手で?
思いながらも、骨の髄まで沁みついた行動原理が体を動かす。
より危険性が低い行動を。より成果の期待できる行動を。
小銃弾を弾くのだ。拳足でいかほどのダメージが望めるか。
ウーデンボガはアスロを迎え撃つように身をかがめ、まっすぐに左手を突き出してきた。
やはり速い。迷いがないうえに動きにも無駄がない。
猛烈な勢いのジャブをアスロは紙一重にかわす。
しかし、踏み込む前にウーデンボガの拳は引き戻され、切れ間なく二発目、三発目を撃ってきた。
一般に、巨漢の方がパンチは速い。腕を支える胴体が重く、しっかりした支持台になるからだ。それだけではなく破壊力も体重に大きく左右される。殴られた時のダメージだって体重が重ければ少なくなる。
アスロとウーデンボガには大人と子供ほどの体重差があり、ここまでくると命中重視のジャブだって命がけで避けなければならない。
オーソドックスかつ練度の高いウーデンボガの拳闘術はリスクを負ってでも近づこうとするアスロをたやすく払いのけ、近づけさせなかった。
しかし、それでも距離を取るのは危険だ。
アスロの頭脳はそう判断し続けている。
大きく、闇に光る拳が顔の右側を通り過ぎたとき、アスロのふくらはぎが膨張した。
ドン、と音がしてアスロの肘がウーデンボガの右あばらを叩いた。
奥の手の身体部分変化を用いてまで入れた初撃。
しかし、堅い。まるで巨木を思いきり叩いた時の様な感触をアスロの腕に残した。
だが、大技を繰り出したアスロが再び動き出すまでの間、ウーデンボガは息を止めて静止していたのでダメージを与えたのは間違いない。
アスロはしゃがみ込むと、ウーデンボガの右ひざを抱え込み、一気に持ち上げた。
重く、左足一本でも耐えようとするウーデンボガの右あばらに頭突きを叩き込み、足を延ばして左足を刈り取ると白い巨体はドウ、と音を立てて倒る。
アスロは即座に握り拳大の石を拾うとウーデンボガの胸に飛び乗った。
体重差も石ころ一つ持てば帳消しにできるのだ。
ガツン、と音がして振り下ろされた石がウーデンボガの顔面を叩く。
鉄鉢を被った兵士でも石で殴れば死ぬ。全力で殴れるし、弾かれないので威力も重い。
壊れやすいのはどこだ!?
今を逃せばこの怪物に勝てる保証はない。焦燥感に背をあぶられたアスロは二度、三度と石を振り落としていった。
鼻、薄く開かれた目、固く閉じられた口。
しかし、堅い。分厚い鉄塊を叩きつけている手ごたえに手がしびれてくる。
瞬間、アスロの全身が泡立った。いつの間にかアスロの背中側に回ったウーデンボガの腕が服を掴んでいた。防御力を頼み、顔も背けず、顔を手で庇うこともしないまま打たれたのはこのためだったのか。
しかし、恐怖を無視し、アスロは懐から油脂の包み紙を取り出した。
パンに塗る用のそれを強引にウーデンボガの鼻に押し込む。
固い油脂に鼻孔を塞がれ、ようやくウーデンボガの口が開いた。
「オラ!」
普段戦闘中に声など上げない、アスロが叫んでいたのは興奮か恐怖か。
石はウーデンボガの前歯をへし折り、口の中に叩き込まれていた。
油脂によって鼻を塞がれ、いま石によって喉が塞がれた。
白くて分厚い瞼が見開かれた。これを待っていたのだ。
アスロの右手は二本指を束ね、ウーデンボガの左目に延ばされた。
呼吸が出来なくなれば大抵は恐慌状態に陥る。
しかし、ウーデンボガは犬より数段、手ごわかった。
アスロの指が眼球を貫く直前、アスロの上体は強引に引き抜かれた。
背を掴んだウーデンボガの強引な振りほどきだった。
体重ではるかに劣るアスロはなすすべもなく投げ飛ばされ、受け身を取って立ち上がる。
再び身構えたときには身を起こしたウーデンボガがえずきながら石を吐き出すところだった。
即座に距離を詰めて再度の格闘に持ち込むべきか。
逡巡したものの、アスロはそれを躊躇した。
ウーデンボガは既に石を吐き出し、鼻の油脂も手鼻で噴き出している。
ゼエゼエと荒い息を吐きながら頭を振れば、もう戦闘能力の大部分を復元していた。足取りもしっかりしているし、目つきも鋭い。
通常の人間なら五回は死ぬ攻撃の数々を与えたにも関わらず、奪えたのは体力と前歯だけだった。
いくらかは消耗させたが、一方的に攻撃を繰り返したアスロの方が下手をすれば体力を失ったのではないだろうか。
ほんの数合のやりあいはアスロに深刻な疲労をもたらしていた。
この白い巨人はもともと油断など欠片も見せていなかったが、ここからはさらに注意深く戦い方を選ぶだろう。今の流れで仕留めきれなかったことを悔やみ、アスロは唇を噛む。
と、ウーデンボガは空の拳銃を手に持ち、注意深くアスロを見据えながら弾丸を込めた。
「
ウーデンボガは低い声で告げた。
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