第7話 本能

 アスロの潜む小屋は他の住宅に入り口を向けており、遠くからは中が見えないようになっているものを選んでいる。

 アスロは周囲を覗うと、一気に飛び出た。

 物陰に身を伏せるが銃弾は飛んでこない。

 まだ戦闘が始まっていないのだ。

 アスロ自身、長く特別名誉小隊に所属したのでよく知っている。

 本来は避けるべき夜間行軍をしてここまでやってきたのだ。そうであればまず、休憩や人員の確認を行わなければならない。

 さらに、下級兵に突撃させる戦術は事前の訓禄を吹き込むのに時間がかかる。

 損耗率が高く士気の上がらない下級兵をなだめすかし、どうにかやる気にさせるのが下士官や正規兵の仕事である。

 つまり、周囲のどこかに到着はしても戦闘準備は整っていない。

 しかし、だからといって簡単に逃げられるわけもない。

 周囲の林や藪を見てもそれらしき影はなかった。だが、いる。

 闇の向こう、茂みの中からかすかに聞こえるのは犬が立てる低いうなり声。

 『狼の教導隊』から犬使いたちが派遣されてきているのは間違いない。

 独立名誉小隊の士官や下士官が赴任前に教育を受ける教導隊は、特殊兵として犬使いを抱えており、彼らは任務によって各名誉小隊に派遣される。

 その能力はすさまじく、数日程度なら獣道からでも痕跡を見つけ出し、着実に獲物を追いかけていく。

 そのあとを着いて歩くのは頼もしかったのだけど、鼻と牙が自分に向くとなれば話は別だ。

 せめて犬を潰さないと、逃げるも逃げないもない。

 林を見て、左手から大勢の隠しきれない息切れが聞こえ、対して右側には犬の気配が漂う。

 嗅覚で競り勝つことは難しいが、この距離ならアスロにも気配は読める。

 腹を決め、アスロは犬の方へ駆け出した。

 同時に察知した犬の雄叫びが上がる。

 足を止めず、まっすぐに駆け抜けて藪を飛び越えた。

 犬の鳴き声で場所を絞り、拳銃を引き抜いて枝葉を払いながら飛び込むと、小さな広場のようになっている空間に出た。

 小銃を手にした三人の犬使いと六頭の大型犬、それに彼らを統率する下士官が一名。人間はいずれも驚いた表情を浮かべている。

 はたして暗がりから飛び出て来たアスロを犬使い達は人間と認識しえたか。

 犬が吠え始めてから五秒。

 犬使いたちは慌てて小銃に弾丸を装填するところだった。

 拳銃が三度鳴り、真っ暗な血しぶきを残して三人の犬使いが倒れる。

 次いで下士官に銃を向けた瞬間、激痛がアスロを襲った。

 呻りをあげた犬の牙がアスロの脛に食い込んでいた。

 

「グゥッ!」


 牛骨をかみ砕く犬の咬筋力にアスロは口から泡を吐く。

 銃声に怯まず、敵には連携を持って襲いかかる。よく訓練された犬たちだ。

 足に噛みついた犬に獲物が視線を落とすと、次の犬が後頭部に飛びかかるのだ。

 散開した犬たちに注意を払いながら、下士官に向けて引き金を引く。

 これも血煙を残して倒れた。

 同時に背後に回った犬を一匹、撃ち抜く。

 これで拳銃の弾丸も尽きた。

 アスロは銃をホルスターに収めながら、代わりに小屋で拾ったフォークをとりだし、犬の眼窩に突き刺す。噛みついていた犬はあっさりと離れて逃げていった。

 いかに訓練されていようが人間ではない。苦痛や恐怖による逃走を押さえ込むのは困難である。

 逃げた犬は戻らない。

 二匹減って、残りは四匹。

 それも急がなければならない。アスロは足の痛みに顔をしかめた。

 噛まれた瞬間、ふくらはぎを硬直させた事が幸いして骨は砕けていない。出血の具合から大きな血管も切れていなさそうだ。

 それでも牙が穿った傷口は深く広く、複数が並ぶ。一点に集中する拳銃弾よりもよほど治りづらい。

 アスロの超人的な治癒力を持ってしても完治には時間を要するだろう。

 残った四匹の犬に対して、アスロの武器はフォークがたったの一本である。

 呻りを上げる犬たちをフォークで牽制しながらアスロは耳を澄ませた。

 銃声があがったのだから、本隊が必ずこちらを探りに来る。

 足はズキズキと鈍く痛むが、それでも移動はしなければならない。

 体重を掛けるだけで足からは血が噴き出し、ぐっしょりと足をぬらしていた。

 足を引きずって、どうにか犬使いたちの死体へとたどり着いた。

 彼らは小銃を手にしたまま死んだのだ。


「悪いな」


 呟くと、アスロは奪った小銃と弾丸で犬を撃ち抜いた。

 即座に次弾を装填してもう一匹。繰り返して、すべての犬が動かなくなると、彼らの荷物から弾丸を集める。

 それから、犬使いは斥候として常に食料を携帯しているのでこれもありがたくいただいた。

 アスロはパサついた黒パンに銀紙で包まれた油脂を強引に塗りつけ口に放り込む。焼かれてから時間が経ち、酸味が強い。そして堅い。

 それでも美味い。

 空腹の体が歓喜の声を上げている。

 普段、辟易としていた堅いパンの歯触りに涙が出そうになった。

 これも失敬してきた水筒を二口飲むと、投げ捨てる。

 戦闘が始まるのだ。

 既に人の気配が近づいてきていた。

 アスロは藪に身を隠し、窺う。

 暗い森の中、月明かりを歩く一団を見つけた。取り急ぎ、銃声の確認に出されたのだろう。七人組は夜の木々に目を凝らしながらノロノロと進んでいた。

 一団までの距離は目測で一五〇メートル。おそらく正規兵一名が残りの下級兵を引率しているのだろう。

 皆、周囲を確認しながら歩いているものの、距離を取り藪に隠れたアスロに気付く様子もない。

 半数が小銃を持っているが、半数は手ぶらである。

 思わずアスロは笑ってしまった。

 下級兵には半分しか武器を持たせないというよくわからない運用のおかげで、少なくとも脅威度が激減していることは間違いない。

 人を撃つのは犬を撃つよりも慣れ親しんだ行為だ。罪悪感もなく、アスロは引率の正規兵を撃ち抜いた。

 指導者を失い凍り付く下級兵の中で銃を持つ者に二度射撃をする。

 あっという間に部隊は半分に減った。

 さすがに狙われていることに気が付いたのか、残りはその場に伏せて見えなくなった。

 銃を拾って反撃して来るだろうが、一般に下級兵は士気も練度も極端に低い。

 使い捨てに等しい彼らの強みはつまるところ、命も顧みない強攻だ。それを命じる正規兵が随伴していないのであれば脅威度は大きく下がる。

 もし逃げるのなら背中は撃つまい。

 アスロはそう思いながら、二つ目の黒パンを齧った。

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