第3話 聖女ニナ
内部に侵入してしまえば一般の家屋である。アスロは机や棚で築かれたバリケードを突破しながら、戦闘要員を無力化していく。そもそも、大半は外部への備えに張り付けられているので内部にはほとんど戦闘要員が配備されていない。
やがて、小さな倉庫で老人と、彼が庇う少女を見つけた。
老人は聖職者らしき格好をしており、少女は普通の町娘といった服装だ。
しかし、こんな場所に普通の町娘がいると思う方が無茶だ。
「『聖女』ニナだな。抵抗しなければ危害は加えない」
アスロは敵から奪い取った小銃を構えて、はっきりと述べた。
老司祭はゆっくりと首を振り、悲しい目でアスロを見つめる。
「あなた方はいつでも同じことを言い、それを信じてついていった私の友人や家族は誰も帰ってこなかった。今更、信じることは出来ない。まして狼男の言など……」
狭い廊下を進む中で避けきれずに被弾した数度の銃撃により、アスロの服には穴が開き、流れ出た血が穴の周囲を黒く染めていた。
それでもすでに出血は止まっていて、傷口は獣の毛が覆っている。
「違う!」
思わず、乱暴な声が出てアスロ自身が驚く。
しかし、どうしてもその言葉を受け入れるわけにはいかなかった。
自分は従順な革命の徒であり、理想郷建設に腐心する人民だ。決してそれ以外の異物などではないし、また、あってもならない。
奥歯を噛みしめ、老司祭に銃口を向ける。
今回の任務は聖女ニナの捕獲であって、この老人は無関係である。
「これは言い方が悪かった。申し訳ない。君も被害者だ」
瞬間、アスロの足が伸びて老司祭を蹴倒した。
老人の憐れみを込めた物言いに、どうしても我慢が出来なかったのだ。
「やめて!」
ニナが老人に覆いかぶさったのでアスロは銃口を天井に向ける。この少女を殺すことはつまり作戦の失敗を意味し、その場合、アスロには苛烈な責任が求められるだろう。
アスロの優れた感覚――嗅覚や聴力は建物の内部で行われる銃撃の応酬を感じ取っていた。
アスロの突入を追いかけて、再び下級兵による強攻を開始させたのだろう。
間違いなく副官の判断であり、ボージャであれば例えその結果、作戦が失敗するのだとしてもアスロを助けるような判断は下さない。
守りの要は既にアスロが潰しているため、間もなく兵士たちは教会への到達に成功するはずだ。
「どうせ逃げられない。こっちへ来い」
アスロはニナの腕を掴むと乱暴に引っ張った。
ここでじっとしているわけにはいかない。
立て籠もった敵兵を随分と排除したが、アスロはまだ内部から攻撃して抵抗を弱めなければいけなかった。
「司祭様!」
アスロが廊下を窺った瞬間、ニナが叫ぶ。
老司祭は隠し持った拳銃を発砲した。
小口径の二連発。
銃弾はニナの胸に向かって飛び、立ちはだかったアスロの肩に着弾した。
銃弾がめり込み、激痛にアスロは顔を歪める。
「ニナ、すまない」
ニナの殺害が失敗に終わったことを悟ったのだろう。老司祭はそれだけ言うと、残弾で自らの頭部を打ち抜いた。
老人は疲れた顔で地面に倒れ伏し、ニナは顔面を蒼白にして下唇を噛んだ。
「なんなんだよ!」
名状しがたい嫌な気持ちがアスロの胸を塗りつぶしていった。
反抗しなければ殺されないのだから、はじめからおとなしく従っていればいいのだ。
それに、こんな小口径の銃だと、この距離では即死しない。奇跡的に心臓へ直撃する以外は多分、助かるし死ぬにしても長く苦しむことになる。
アスロはそう思いながら肩の銃創に集中した。ジワリ、と筋肉が鳴動して食い込んだ弾丸が押し出される。やがて、毛が生えだして傷口を覆った。
「狼男……なのですか?」
ニナがおずおずと口を開いた。
「違う!」
アスロは苛立って反論する。
狼男ではないのだ。銀の弾丸だって鉛の弾丸だって同じく痛い。
鼻から大きく空気を吸い込んで、アスロは興奮を押さえつける。
「いいからついて来い。抵抗しなければ殺さない」
アスロは小銃を背負うと先に立って倉庫から出た。
※
戦闘は勝利によって終了し、建物の前に敵兵が並べられた。
二十五の死体と七の捕虜。それに老司祭の死体とニナで全部だ。
正規の兵士たちは建物の中から金目の物や武器を運び出し、生き残った下級兵は死んだ兵士を裸にする作業に従事している。
すべてが終われば、二度と使わせないため建物に火をかけるのだ。
「アスロ、聖女を連れてこい!」
ゆったりと歩いてきたボージャが怒鳴った。
足取りが怪しいので、かなり酒が入っているらしい。
アスロは黙ってうつむくニナの手を取ると、ボージャの前まで歩いて行った。
軍曹が命じ、すぐに椅子と机が並べられる。ボージャは気怠そうに椅子に腰かけると、机に上体をもたれさせる。
アスロはボージャの前に立つと敬礼をして戦果を報告した。
「こちらが『聖女』ニナであります。教会に侵入し確保しました!」
ボージャは興味なさそうにタバコを咥えると、傍らの軍曹に火を着けさせた。
小さく吸いこまれ、疲労とともに吐き出された煙はすぐに拡散して見えなくなり、匂いだけをアスロに届ける。
随分慣れたとはいえ、鋭敏なアスロの嗅覚をタバコは痛め付ける。ボージャはアスロへの嫌がらせとしてタバコを吸うのだ。
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