第31話 求めた温もり
「貴方は、なぜ彼女を目覚めさせた、のですか」
パルジファルは怒っていた。五体満足なら今にも掴みかかってきそうなほど、怒りを露わにしていた。
「いったい何をしてしまったのか、分かっているのですか」
「……。ああ、分かっている。自我の再構築が不完全であることを知っていて、俺はシーカを目覚めさせた」
「それなら、分かっていたはずです。完全な再生のために、いずれ余剰データを削除しなくては、ならないことを」
「……ああ」
余計なデータというのが何を示しているのかなど、言われずとも分かる。
シーカそのものだ。
構築が失敗しているのにも関わらず人格崩壊もせず、奇跡にも等しい確率で誕生した自我。灰の中から
「意識の再構築は複雑怪奇なパズルのようなもの。技術者の一人はファスナーに例えて、いました。一見すると一つの線に見えても、それは線上に並んだ無数の
技術が確立するまでは、とパルジファルは付け加える。
シーカを被験者として、機械仕掛けの
一歩、遅くはあったが。
「シイカ・ウヅキの意識データを、完成した
噛み合うはずの務歯がずれ、そこから全てが崩れていく。そうなればそれはもうシーカでも詩花でもなくなってしまう。二度目の奇跡が起きるはずもない。
今度こそ、人格崩壊を起こす。
それを回避するための解決策は一つしかない。
「シイカ・ウヅキの意識を再構築して、
「ああ分かっている。それは、シーカを目覚めさせた時から、ずっと――」
「……っ、貴方は、貴方の願いのために、その義体に宿った新たな意識を、消すと、そう言っている、のですよ」
「ああ、ああ分かっている。そう言っているだろう、何度も言わせるな」
食って掛かるパルジファルに、
「俺がしようとしていることは、俺の願いのためにシーカを殺すことだということは、分かっている。それでも、俺は――」
――もう一度、詩花に会いたいんだ。
その言葉は何故か声に出せなかった。出してしまえば迷いが消え去ってしまいそうだったから。シーカを消すことを本当に躊躇わなくなってしまいそうだったから。そんな矛盾した自分の感情に混乱し黙り込むゾルタンに、パルジファルが落胆した様子で肩を落とす。
「彼女そのものではない、と気づいたなら、その時に電源を切ればよかった、のです。ずっと眠らせたまま、にしておけばよかった、でしょう。いっそ、頭部だけ切り離して持ってくればよかった、のに。それなのに何故目覚めさせ、ここまで共に旅をしてきた、のですか」
「それは――」
そう言われてゾルタンの脳裏によぎったのは、あの日医療用ポッドから這い出した時に見た、灰色の空だった。
「…………目覚めた時、独りだったんだ」
周りに誰もいない。呼んでも誰も答えない。自分以外の人間の姿が一つも見当たらない。あるのは瓦礫の廃墟と灰色の空と、狂ったロボットばかり。もう何もかも、なくなってしまっていた。
「それが、たまらなく怖かった」
この荒廃した世界に、もう自分しかいないのではないか。同胞も家族も愛する人も、守りたかったもの全てが消え去ったこの世界で、朽ち果てるまで独りなのではないか。そう考えただけで、胸を引き裂かれるような恐怖と苦しみに苛まれた。寒さなど感じない体が、震えているかのような錯覚を覚えた。
「お前に分かるか、あの空虚を、心に空いた穴のそら寒さを。なんのために戦ってきたのか。なんのために人の姿を捨てたのか。なんのために――」
それからゾルタンは、胸から
求めてしまった。
襲い来る暴走ロボットを相手に、時に迎撃し時に逃亡し廃墟を駆けた。
瓦礫の下敷きになった
面影すらないクレーターだらけの街並みから現在地を割り出した。
生体脳を維持するため、必要な栄養素を含む食料を求めて廃墟を探索もした。
星明りさえない夜闇の中、いつ襲われるかも分からない状況に一睡もせず夜を明かした。
「この体になってから体感したどんな戦場よりも、それは地獄だった。世界にたった一人の地獄だ」
どれだけの夜を越えたのかは覚えていない。ただただ走り続けて、いつの間にかそこに辿り着いていた。彼女と共に過ごした街へ、いや街だったはずの場所へ。
何もかもが崩れ去り、赤く黒く染まっていた。二人で手を繋いで歩いた道も、よく昼食を食べにいった飲食店も、行きつけのCDショップも、道端にあった花屋も、共に過ごした集合住宅も何もかも、何もかもがなくなっていた。
砕けたアスファルトの染みが、コンクリートの壁の焼き付きが、瓦礫から延びる無数の赤黒い腕が、挨拶を交わしたこともある顔見知りかもしれないと思うと、叫び出したい衝動に駆られた。
「その全てが否が応にも事実を突き付けてきた。誰一人、生きている者はいないのだと。俺が守りたかったもの、大切にしたかったもの、思い出の全てが燃え尽きていた」
彼女がいたはずの病院へと向かうと、そこはもうただの瓦礫の山と化していた。鉄骨を押し退け、瓦礫を掘り起こし、彼女の姿を探した。いくつもの黒く焦げたヒトガタを見つけた。かつて人だったもの。もしかしたら、この中に――。いや、そんなはずはない、どこかにきっといる。そう信じて、願って瓦礫を掘り起こし続けた。
「だけど見つからなかった。どこにも詩花はいなかった。満足に動けるはずもない体だったのに。間違いなく、そこにいたはずなのに。俺のことを待っていてくれていたはずなのに。俺は、詩花を見つけられなかった」
そして何十体目かの焼死体を掘り出した時、ゾルタンの心は折れた。道中遭遇した暴走ロボットたちのように、何をするでもなくただ
「それは俺にとって、この世界でようやく見つけた、希望の光だったんだ。眠る彼女の顔を見た時、俺の灰色の地獄に鮮やかな色が戻ったんだ」
ゾルタンがシーカの眠るポッドを発見したとき、ステータスは全てエラー表示だった。そこに眠るのはただの抜け殻、いや彼女の残骸と言ってもいい代物だった。意識転写の研究は失敗に終わったのか、全ては意味がなかったのか。すがるようにゾルタンがそのポッドを開いた時、目覚めるはずのない彼女は目を覚ました。
確かにシーカは詩花ではない。詩花の残骸から生まれた、詩花に似た詩花ではない何者か。
『わたし、もうゾルタンの前からいなくならないよ』
そう言って笑ってくれた少女を、自分は消そうとしている。
それが悪いことか正しいことか、そんな倫理観はどうでもいい。
それで本当にいいのか。それで――。
「残酷な人だ」
先ほどと同じ言葉を投げかけるパルジファル。しかし今度は責めるようでいて、憐れむような抑揚に変わっていた。
それ以上パルジファルは追及しては来なかった。二人とも無言のまま、エレベーターの駆動音だけが空間を支配する。
「……じきに、オービタルリングへ到着、します。シーカをどうするのかは、考えておいてください。貴方には、その決断を下す責任が、あります。これは、貴方が招いた地獄だ」
「…………」
不意にブザー音が響いた。もうすぐオービタルリングへと到着する。
決断と、決戦の時だ。
二人の旅は続く。
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