第31話 求めた温もり

「貴方は、なぜ彼女を目覚めさせた、のですか」


 パルジファルは怒っていた。五体満足なら今にも掴みかかってきそうなほど、怒りを露わにしていた。


「いったい何をしてしまったのか、分かっているのですか」

「……。ああ、分かっている。自我の再構築が不完全であることを知っていて、俺はシーカを目覚めさせた」

「それなら、分かっていたはずです。完全な再生のために、いずれ余剰データを削除しなくては、ならないことを」

「……ああ」


 余計なデータというのが何を示しているのかなど、言われずとも分かる。


 シーカそのものだ。


 構築が失敗しているのにも関わらず人格崩壊もせず、奇跡にも等しい確率で誕生した自我。灰の中から芽吹めぶいた新芽のように、詩花しいかを構成する膨大なデータの中から生まれた新たな人格。


「意識の再構築は複雑怪奇なパズルのようなもの。技術者の一人はファスナーに例えて、いました。一見すると一つの線に見えても、それは線上に並んだ無数の務歯むしが順序正しくみ合って出来ている。意識も同じ、です。大きな一塊ひとかたまりではなく、記憶や感情など、いくつもの小さな部品が順番通り幾重いくえにもつらなってできている。その意識の再構築がうまくいかず、失敗してき、ました」


 技術が確立するまでは、とパルジファルは付け加える。

 シーカを被験者として、機械仕掛けの義体ぎたいを使って何十と実験を繰り返したはずだ。それぞれの思惑おもわくは違えども、それで求めたものが完成したのだ。

 一歩、遅くはあったが。


「シイカ・ウヅキの意識データを、完成した意識転写イグジステンスであれば、再度構築し直すことは可能なはず、です。ただし、今のまま彼女の意識を再構築すればどうなるか。並んだ務歯の中に余分な記憶や知識が、様々な感情が差し込まれたら、どうなるか……」


 噛み合うはずの務歯がずれ、そこから全てが崩れていく。そうなればそれはもうシーカでも詩花でもなくなってしまう。二度目の奇跡が起きるはずもない。

 今度こそ、人格崩壊を起こす。

 それを回避するための解決策は一つしかない。


「シイカ・ウヅキの意識を再構築して、再生リメイクするためには、余剰データを、シーカを消さなくてはなりません。今の彼女の、シーカの意識を」

「ああ分かっている。それは、シーカを目覚めさせた時から、ずっと――」

「……っ、貴方は、貴方の願いのために、その義体に宿った新たな意識を、消すと、そう言っている、のですよ」

「ああ、ああ分かっている。そう言っているだろう、何度も言わせるな」


 食って掛かるパルジファルに、苛立いらだたしげにゾルタンは毒づく。いつの間にか拳を握りしめていた。それを振り落としてどうするつもりだったのか。抑え込むようにその腕を掴み、じっと見つめる。


「俺がしようとしていることは、俺の願いのためにシーカを殺すことだということは、分かっている。それでも、俺は――」


 ――もう一度、詩花に会いたいんだ。


 その言葉は何故か声に出せなかった。出してしまえば迷いが消え去ってしまいそうだったから。シーカを消すことを本当に躊躇わなくなってしまいそうだったから。そんな矛盾した自分の感情に混乱し黙り込むゾルタンに、パルジファルが落胆した様子で肩を落とす。


「彼女そのものではない、と気づいたなら、その時に電源を切ればよかった、のです。ずっと眠らせたまま、にしておけばよかった、でしょう。いっそ、頭部だけ切り離して持ってくればよかった、のに。それなのに何故目覚めさせ、ここまで共に旅をしてきた、のですか」

「それは――」


 そう言われてゾルタンの脳裏によぎったのは、あの日医療用ポッドから這い出した時に見た、灰色の空だった。


「…………目覚めた時、独りだったんだ」


 周りに誰もいない。呼んでも誰も答えない。自分以外の人間の姿が一つも見当たらない。あるのは瓦礫の廃墟と灰色の空と、狂ったロボットばかり。もう何もかも、なくなってしまっていた。


「それが、たまらなく怖かった」


 この荒廃した世界に、もう自分しかいないのではないか。同胞も家族も愛する人も、守りたかったもの全てが消え去ったこの世界で、朽ち果てるまで独りなのではないか。そう考えただけで、胸を引き裂かれるような恐怖と苦しみに苛まれた。寒さなど感じない体が、震えているかのような錯覚を覚えた。


「お前に分かるか、あの空虚を、心に空いた穴のそら寒さを。なんのために戦ってきたのか。なんのために人の姿を捨てたのか。なんのために――」


 それからゾルタンは、胸からあふれる衝動に突き動かされるまま、人を求めて走り出していた。孤独を恐怖し、自分以外の誰かの温もりを求めた。手を繋いでくれる者を求めた。

 求めてしまった。


 襲い来る暴走ロボットを相手に、時に迎撃し時に逃亡し廃墟を駆けた。

 瓦礫の下敷きになった四輪バイクブリュンヒルデを見つけ、時間をかけてレストアした。

 面影すらないクレーターだらけの街並みから現在地を割り出した。

 生体脳を維持するため、必要な栄養素を含む食料を求めて廃墟を探索もした。

 星明りさえない夜闇の中、いつ襲われるかも分からない状況に一睡もせず夜を明かした。


「この体になってから体感したどんな戦場よりも、それは地獄だった。世界にたった一人の地獄だ」


 どれだけの夜を越えたのかは覚えていない。ただただ走り続けて、いつの間にかそこに辿り着いていた。彼女と共に過ごした街へ、いや街だったはずの場所へ。


 何もかもが崩れ去り、赤く黒く染まっていた。二人で手を繋いで歩いた道も、よく昼食を食べにいった飲食店も、行きつけのCDショップも、道端にあった花屋も、共に過ごした集合住宅も何もかも、何もかもがなくなっていた。


 砕けたアスファルトの染みが、コンクリートの壁の焼き付きが、瓦礫から延びる無数の赤黒い腕が、挨拶を交わしたこともある顔見知りかもしれないと思うと、叫び出したい衝動に駆られた。


「その全てが否が応にも事実を突き付けてきた。誰一人、生きている者はいないのだと。俺が守りたかったもの、大切にしたかったもの、思い出の全てが燃え尽きていた」


 彼女がいたはずの病院へと向かうと、そこはもうただの瓦礫の山と化していた。鉄骨を押し退け、瓦礫を掘り起こし、彼女の姿を探した。いくつもの黒く焦げたヒトガタを見つけた。かつて人だったもの。もしかしたら、この中に――。いや、そんなはずはない、どこかにきっといる。そう信じて、願って瓦礫を掘り起こし続けた。

 

「だけど見つからなかった。どこにも詩花はいなかった。満足に動けるはずもない体だったのに。間違いなく、そこにいたはずなのに。俺のことを待っていてくれていたはずなのに。俺は、詩花を見つけられなかった」


 そして何十体目かの焼死体を掘り出した時、ゾルタンの心は折れた。道中遭遇した暴走ロボットたちのように、何をするでもなくただ茫然ぼうぜんと、灰色の空を見上げて立ち尽くしていた。どれだけそうしていただろう。辺りが夜の闇に閉ざされた頃、瓦礫の下に光を見つけた。


「それは俺にとって、この世界でようやく見つけた、希望の光だったんだ。眠る彼女の顔を見た時、俺の灰色の地獄に鮮やかな色が戻ったんだ」


 ゾルタンがシーカの眠るポッドを発見したとき、ステータスは全てエラー表示だった。そこに眠るのはただの抜け殻、いや彼女の残骸と言ってもいい代物だった。意識転写の研究は失敗に終わったのか、全ては意味がなかったのか。すがるようにゾルタンがそのポッドを開いた時、目覚めるはずのない彼女は目を覚ました。


 確かにシーカは詩花ではない。詩花の残骸から生まれた、詩花に似た詩花ではない何者か。


『わたし、もうゾルタンの前からいなくならないよ』


 そう言って笑ってくれた少女を、自分は消そうとしている。

 それが悪いことか正しいことか、そんな倫理観はどうでもいい。

 それで本当にいいのか。それで――。


「残酷な人だ」


 先ほどと同じ言葉を投げかけるパルジファル。しかし今度は責めるようでいて、憐れむような抑揚に変わっていた。

 それ以上パルジファルは追及しては来なかった。二人とも無言のまま、エレベーターの駆動音だけが空間を支配する。


「……じきに、オービタルリングへ到着、します。シーカをどうするのかは、考えておいてください。貴方には、その決断を下す責任が、あります。これは、貴方が招いた地獄だ」

「…………」


 不意にブザー音が響いた。もうすぐオービタルリングへと到着する。

 決断と、決戦の時だ。


 二人の旅は続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る