第30話 わたしはだれ?
ゾルタンたちは今、BtHの貨物用エレベーターの中にいた。BtHを使ってオービタルリングへと向かう方法は二つ存在する。一つは人を運ぶための
ゾルタンたちがBtH内へ入った時、
「……人類は滅亡した、か」
こんな戦争を続ける愚かな人類は、いずれ滅びるだろうと。
「はい、ですが先ほど説明した通り、生物として滅亡しただけで、完全に消えたわけでは、ありません。種の保存に適した状態になった、のです」
誰にでもなく言った独り言に、床に
「暴走ロボット達の、一斉同期によって起こった一大行軍“大侵攻”、それをエッシェンバッハ
暫定司令と呼ばれた人物の名には聞き覚えがあった。かつてゾルタンたちが将軍と呼んでいた老人の名だ。旅の途中で見つけたあの
話を聞きながらゾルタンは、ゾルダート用エナジーバーの欠片を口に放り込む。サイコロ程度の大きさのそれは、生体脳維持に必要な栄養素が凝縮されている。今のが最後の一欠片だ。
「BtHへと逃げ延びた人々は、程度の差はあれ全員被爆しており、十全に活動できる人間は一人もいません、でした。そして、二千名もの人員が、不自由なく生活する為には、労働力があまりに少なすぎた、のです。地球環境の完全回復には、百年単位での時間を要し、それを乗り越えられるほど、彼らに残された余力はありません、でした」
たった二千名。かつては九十億もいた人類は、たったそれだけしか生き残らなかった。そしてそれだけの数では、今の文明社会を維持することは困難だったろう。ましてや全員が被爆していたとなればなおさらだ。
左大腿部から専用拳銃の銃弾を取り出し、腰の急造ガンベルトに
「そこで選択された解決策が、意識転写技術によって意識を、オービタルリング内に保存、地球環境の回復と暴走ロボットの、完全機能停止を待つというもの、でした。冬眠のようなもの、です。熊が冬を越すために、眠りにつくように、人類も核の冬を乗り越えるために、眠りについた、というわけ、です」
しかし、とパルジファルは続ける。
「その考えに、反対する者もいま、した。
その言葉に、右腕の応急処置をしていた手がふと止まる。シーカとの旅の途中、何度か目にした死体の中に彼らもいたのだろうか。環境ゆえに腐食も遅く、緩やかに白骨化していく彼らの姿は、それでよかったのかと疑問を投げかけたくなるものだった。
「反対派は、ただ何もしなかったわけでは、ありません。大陸各地に散り、環境改善計画を、実行。汚染された空気や、地下水の浄化のため、各地の施設を修復していき、ました」
「……旅の途中、不自然な浄水施設や鉄橋があった。それに慰霊碑も。あれはその反対派の連中が遺したものか」
何の意図があってのものかと思っていたが、あれは全て環境改善のための悪あがきの痕跡だったということか。
「はい。……ですが、環境の汚染は地球規模ですので、この大陸内だけで実施しても焼け石に水、です。暴走した戦闘兵器による妨害もあり、その成果は実ることはありません、でした」
「お前が、お前のようなマシーネンゾルダートがいればそうでもなかっただろう。何故お前は一度に一体までしか作られないんだ」
「それは――」
「ゾルタン」
シーカの呼ぶ声にゾルタンは会話を中断し、
「シーカ、体調はどうだ」
「ねむい」
そう言いながらシーカは上腕までしかない右腕を動かす。恐らくは目をこすろうとしたのだろう。不思議そうに右腕を見ようとしたシーカの視界を、ゾルタンはそっと塞ぐ。シーカは嫌がるそぶりも見せず、自分の右腕の代わりにその手を顔へこすりつけた。
「なんだかね、すごくねむいの。ずっと寝てた気がするんだけど、ねむくてねむくてしかたがないの」
エネルギー不足によって義体が満足に動かせないからなのだろうが、ゾルタンはそのことには触れずに黙ってシーカの頭を撫でた。
「ゾルタン、ここどこ?」
「BtHの中だ。もうすぐ、
「ソラへ? それならもうすぐ、願いがかなうの?」
「ああ。もうすぐだ」
「そうなんだ。――ねぇ、ゾルタン」
穏やかな様子でまどろみながら、シーカはくすぐったそうに頭を揺らす。そのシーカの瞳に、自分の姿が映っているのをゾルタンは見た。
「ああ、なんだ」
「ゾルタン、わたしってだれ?」
「――。なにを、急に」
その言葉に、心臓にナイフを突き立てられたかのような衝撃を受ける。機械の体でなければ今頃動揺を隠し切れなかっただろう。
「こわい夢、見たの。わたしは人間じゃなくって、ロボットで、わたしがわたしじゃなくって」
「…………」
「ねぇゾルタン、わたしはシーカなの?」
「それは……」
口ごもる。どうやら意識を失う前の記憶が
「ごめんねゾルタン、やっぱり少しねむい」
「――ああ、無理に起きていなくていい。眠っていればいい」
「うん、もう少しだけ、おやすみ」
「ああ。おやすみシーカ」
「おやす、み、ゾル……」
言い終える前に、かくんとシーカの頭が傾く。その頭からヘルメットを脱がすとシーカを横たえる。穏やかな表情で眠りについたシーカの頭を撫でながら、ゾルタンは深い深いため息をついた。
「その義体には、自我があるの、ですか」
シーカが再び眠りにつくまで黙ったままでいたパルジファルは、驚いた様子でゾルタンにそう訊ねてきた。
「記録では、シイカ・ウヅキの意識転写は失敗した、はず。意識データの転送は成功したが、再構築の段階で問題が起き、彼女の自我を再生できなかった、と。それなら、今の彼女は何者なのです、か」
「……。ああ、今のシーカは、詩花じゃない。詩花が最初に搬送された病院の地下、そこで俺はポッドに入ったシーカを見つけて、目覚めさせた。その時にはもうシーカは今のシーカになっていた。俺との記憶どころか過去の記憶の一切を失った、俺の知らない笑顔をするシーカに」
シーカの笑顔は、詩花のどこか儚さを感じさせる笑顔とはまるで違うものだった。その外見とは裏腹に幼い子供のような性格や言動は、理知的で寡黙だった詩花とは真逆と言っていい。
だがそれでも。それでもゾルタンはシーカの中に詩花の存在を感じていた。何気ない言葉や仕草、そこに彼女の面影を見ていた。
詩花であって詩花ではない。今自分が抱き抱えていたそれが、いったい何者なのか。その問いかけに対する答えは、ゾルタンさえ持ち合わせてはいなかった。
「ずっと、彼女は今の人格のまま貴方とともに、いたのです、か」
「ああ。
「度し難い」
ゾルタンは思わずパルジファルの方を見た。パルジファルのその言葉には、明らかな怒りが
「残酷な人だ、貴方は」
二人の旅は続く。
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