第30話 わたしはだれ?

 ゾルタンたちは今、BtHの貨物用エレベーターの中にいた。BtHを使ってオービタルリングへと向かう方法は二つ存在する。一つは人を運ぶための磁気浮遊列車リニアトレイン、もう一つは貨物を運搬するためのエレベーターだ。


 ゾルタンたちがBtH内へ入った時、磁気浮遊列車リニアトレインの一台がプラットホームから消えていた。トゥルースが移動に使ったのだろう。同じく磁気浮遊列車リニアトレインを使おうと考えていたゾルタンだったが、そこへパルジファルが貨物用エレベーターを使用することを提案してきた。


 磁気浮遊列車リニアトレインは加速と重力によるGで乗客が圧死しないよう、ある程度速度を制限している。だが人を運ぶことを想定していない貨物用エレベーターであれば、磁気浮遊列車リニアトレイン以上の速度で上昇できる。かかる強いGに眩暈めまいを覚えなくはないが、贅沢ぜいたくは言っていられない。一分一秒でも早くオービタルリングへと向かわなくてはならないのだから。


「……人類は滅亡した、か」


 かたわらに横たえたシーカを見下ろしながら、先ほどのパルジファルの言葉を反芻はんすうする。改めて言葉にするとあまりにも馬鹿馬鹿しい、だが奇妙なほど冷静にしていられた。現実味がなくて頭が理解しきれていないわけではない。心のどこかでは予想していたのかもしれない。


 こんな戦争を続ける愚かな人類は、いずれ滅びるだろうと。


「はい、ですが先ほど説明した通り、生物として滅亡しただけで、完全に消えたわけでは、ありません。種の保存に適した状態になった、のです」


 誰にでもなく言った独り言に、床にいつくばった状態のパルジファルが答えた。


「暴走ロボット達の、一斉同期によって起こった一大行軍“大侵攻”、それをエッシェンバッハ暫定ざんてい司令率いる残存ゾルダート師団が文字通り、玉砕覚悟で阻止した、ことによって、約二千名の生存者たちは、BtHへと集結することができ、ました」


 暫定司令と呼ばれた人物の名には聞き覚えがあった。かつてゾルタンたちが将軍と呼んでいた老人の名だ。旅の途中で見つけたあの慰霊碑いれいひは、つまりは人類の存続を賭けた大防衛戦で散っていった彼らのためのものだったということだろう。


 話を聞きながらゾルタンは、ゾルダート用エナジーバーの欠片を口に放り込む。サイコロ程度の大きさのそれは、生体脳維持に必要な栄養素が凝縮されている。今のが最後の一欠片だ。


「BtHへと逃げ延びた人々は、程度の差はあれ全員被爆しており、十全に活動できる人間は一人もいません、でした。そして、二千名もの人員が、不自由なく生活する為には、労働力があまりに少なすぎた、のです。地球環境の完全回復には、百年単位での時間を要し、それを乗り越えられるほど、彼らに残された余力はありません、でした」


 たった二千名。かつては九十億もいた人類は、たったそれだけしか生き残らなかった。そしてそれだけの数では、今の文明社会を維持することは困難だったろう。ましてや全員が被爆していたとなればなおさらだ。


 左大腿部から専用拳銃の銃弾を取り出し、腰の急造ガンベルトに装填そうてんしていく。ゾルタンに残された武装はそう多くない。荷物から回収できたいくつかの武器弾薬を確認し、体の各部に装備していく。


「そこで選択された解決策が、意識転写技術によって意識を、オービタルリング内に保存、地球環境の回復と暴走ロボットの、完全機能停止を待つというもの、でした。冬眠のようなもの、です。熊が冬を越すために、眠りにつくように、人類も核の冬を乗り越えるために、眠りについた、というわけ、です」


 しかし、とパルジファルは続ける。


「その考えに、反対する者もいま、した。幾度いくども議論が重ねられ、ましたが、最終的に反対派の、約六百名はオービタルリングを去り、ました。環境や被爆の状態から、五年以上生存できる確率はほぼ皆無、でしたが、それでも彼らは、母なる大地で最期を迎える、という選択をしま、した」


 その言葉に、右腕の応急処置をしていた手がふと止まる。シーカとの旅の途中、何度か目にした死体の中に彼らもいたのだろうか。環境ゆえに腐食も遅く、緩やかに白骨化していく彼らの姿は、それでよかったのかと疑問を投げかけたくなるものだった。


「反対派は、ただ何もしなかったわけでは、ありません。大陸各地に散り、環境改善計画を、実行。汚染された空気や、地下水の浄化のため、各地の施設を修復していき、ました」

「……旅の途中、不自然な浄水施設や鉄橋があった。それに慰霊碑も。あれはその反対派の連中が遺したものか」


 何の意図があってのものかと思っていたが、あれは全て環境改善のための悪あがきの痕跡だったということか。


「はい。……ですが、環境の汚染は地球規模ですので、この大陸内だけで実施しても焼け石に水、です。暴走した戦闘兵器による妨害もあり、その成果は実ることはありません、でした」

「お前が、お前のようなマシーネンゾルダートがいればそうでもなかっただろう。何故お前は一度に一体までしか作られないんだ」

「それは――」

「ゾルタン」


 シーカの呼ぶ声にゾルタンは会話を中断し、そばで横たわるシーカへと視線を移す。片腕ではうまく起き上がれないのか、寝返りをうつシーカ。ゾルタンはその背に手を添えて抱き起こした。


「シーカ、体調はどうだ」

「ねむい」


 そう言いながらシーカは上腕までしかない右腕を動かす。恐らくは目をこすろうとしたのだろう。不思議そうに右腕を見ようとしたシーカの視界を、ゾルタンはそっと塞ぐ。シーカは嫌がるそぶりも見せず、自分の右腕の代わりにその手を顔へこすりつけた。


「なんだかね、すごくねむいの。ずっと寝てた気がするんだけど、ねむくてねむくてしかたがないの」


 エネルギー不足によって義体が満足に動かせないからなのだろうが、ゾルタンはそのことには触れずに黙ってシーカの頭を撫でた。


「ゾルタン、ここどこ?」

「BtHの中だ。もうすぐ、宇宙ソラへと着く」

「ソラへ? それならもうすぐ、願いがかなうの?」

「ああ。もうすぐだ」

「そうなんだ。――ねぇ、ゾルタン」


 穏やかな様子でまどろみながら、シーカはくすぐったそうに頭を揺らす。そのシーカの瞳に、自分の姿が映っているのをゾルタンは見た。


「ああ、なんだ」

「ゾルタン、わたしってだれ?」

「――。なにを、急に」


 その言葉に、心臓にナイフを突き立てられたかのような衝撃を受ける。機械の体でなければ今頃動揺を隠し切れなかっただろう。


「こわい夢、見たの。わたしは人間じゃなくって、ロボットで、わたしがわたしじゃなくって」

「…………」

「ねぇゾルタン、わたしはシーカなの?」

「それは……」


 口ごもる。どうやら意識を失う前の記憶が曖昧あいまいになっているらしい。真実を伝えるべきか、それとも黙っているべきなのか。ゾルタンが答えられずに黙ったままでいると、うつらうつらとした様子でシーカの頭が何度も傾きかける。


「ごめんねゾルタン、やっぱり少しねむい」

「――ああ、無理に起きていなくていい。眠っていればいい」

「うん、もう少しだけ、おやすみ」

「ああ。おやすみシーカ」

「おやす、み、ゾル……」


 言い終える前に、かくんとシーカの頭が傾く。その頭からヘルメットを脱がすとシーカを横たえる。穏やかな表情で眠りについたシーカの頭を撫でながら、ゾルタンは深い深いため息をついた。


「その義体には、自我があるの、ですか」


 シーカが再び眠りにつくまで黙ったままでいたパルジファルは、驚いた様子でゾルタンにそう訊ねてきた。


「記録では、シイカ・ウヅキの意識転写は失敗した、はず。意識データの転送は成功したが、再構築の段階で問題が起き、彼女の自我を再生できなかった、と。それなら、今の彼女は何者なのです、か」

「……。ああ、今のシーカは、詩花じゃない。詩花が最初に搬送された病院の地下、そこで俺はポッドに入ったシーカを見つけて、目覚めさせた。その時にはもうシーカは今のシーカになっていた。俺との記憶どころか過去の記憶の一切を失った、俺の知らない笑顔をするシーカに」


 シーカの笑顔は、詩花のどこか儚さを感じさせる笑顔とはまるで違うものだった。その外見とは裏腹に幼い子供のような性格や言動は、理知的で寡黙だった詩花とは真逆と言っていい。


 だがそれでも。それでもゾルタンはシーカの中に詩花の存在を感じていた。何気ない言葉や仕草、そこに彼女の面影を見ていた。


 詩花であって詩花ではない。今自分が抱き抱えていたそれが、いったい何者なのか。その問いかけに対する答えは、ゾルタンさえ持ち合わせてはいなかった。


「ずっと、彼女は今の人格のまま貴方とともに、いたのです、か」

「ああ。一月ひとつきにも満たない時間だったが、俺たちはここを、BtHを目指して旅をしてきた。決して楽しいだけのものではなかったが、それでもその旅は――」

「度し難い」


 ゾルタンは思わずパルジファルの方を見た。パルジファルのその言葉には、明らかな怒りがにじみ出ていたからだ。


「残酷な人だ、貴方は」


 二人の旅は続く。

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