第28話 この戦争が終わったら

 青年と少女が出会い、共に歩んだ時間は一年にも満たない期間だった。それでも、そのわずかな一時ひとときはその後の二人の未来の全てを決定づけた。


 二人の最初の出会いは、少女が役人に連れられて青年の家へとやってきたときだった。軌道エレベーター一号機オーバー・ザ・レインボウ崩壊による災害で故郷が海に沈み、家族も友人も失った少女。青年の家族もまた故郷を追われ大国へと逃げてきた身の上であり、だからこそ少しでも同じ境遇のものに手を差し伸べるため、少女を養子に迎え入れた。


 一目見て、青年は少女に恋焦がれた。本気の本気で好きになった。


 からすの濡れ羽色とでも形容すべき黒く長い髪。白く透き通るようでいて、かすかに赤みを帯びた肌。見知った者のいない異国の地でたった独り、心細げに歪んだ表情。

 この子を笑顔にしてやりたい。そのくもった顔から悲しみも恐れも吹き飛ばして、笑うこの子が見てみたい。頬が熱くなるのを自覚しながら、そう強く思った。


 その日から青年は少女を励まし支え続けた。ここなら大丈夫、もう戦争でつらい目に遭うことはない。自分たちが新しい家族になると。最初は暗い表情だった少女も、青年の献身的な努力に応じ少しずつ笑うようになっていった。時間が許す限り青年は少女のそばにいて、少女のためにできることをした。時間が経つごとに少女が笑顔でいる時間は増えていった。


 やがて二人の関係は自然と家族以上のものへと発展していった。互いに意識し合い、だけれど相手に素直な気持ちを伝えられず、ただただ想い合う。この関係に名前をつけたくない。それでいい、このままがいいとさえ思っていた。


 けれども、そうはならなった。それを運命は許しはしなかった。二人に残されていた時間は、そう多くなかった。


 最初はわずかな体調の変化だった。青年も家族も、慣れない気候の地での生活に体がまだ馴染めていないのだろうと思っていた。少女も青年を心配させまいとして笑ってみせた。大丈夫、大したことはないと。その言葉を青年は信じていた。

 数日後に、血を吐いて倒れるまでは。


 その時にはもう、全てが手遅れだった。


 少女の体は科学が生み出した毒に蝕まれていた。故郷が海に沈んだ時に浴びていたものが、少しずつ体に広がっていたらしい。現代の医療技術では治療は不可能だと医者は言った。やがてその毒は少女の全身を焼き尽くす、それを遅らせることはできても、死は避けられないのだと。少女はそれを知っても泣かなかった。これは仕方のないことだから。だから泣かないでと微笑み青年を慰めた。


 けれども青年は見てしまった。青年たちが病室から去ったあと、少女が独りで涙を流しているのを。家族の写真を手に握り必死に嗚咽を抑え、誰にも気づかれないよう独りで泣いている姿を。死にたくないと泣きじゃくる少女に声を掛けることさえできずに、ただただ青年は病室の前で立ち尽くしていた。


 二人に降りかかった悲劇は、その時代そう珍しいものでもなかった。それほどまでに戦争は激化していっていた。青年と少女がいる大国でさえも、その戦争によって地盤が揺るがされ始めていた。列強諸国同士が次々に戦争を始め、それらの戦争はいつの間にか第三の世界大戦へと発展していた。戦火によって多くの兵士が戦場で命を落とした。落としすぎた。世界は兵器で汚染され、やがて空も人の心さえも灰色に曇らせていった。


 戦争はもう二人の目の前まで迫っていた。


 青年は戦争へと出向くことを決意した。兵士となれば待遇も良くなる。少女に最新の治療を受けさせることもできるからだ。青年がその決意を少女に明かした時、少女は目に見えて狼狽ろうばいしていた。少女の黒い瞳が見る見るうちに揺らぎ、雫を零した。少女がやめさせようとするもその制止を振り切り、青年は軍へ入隊希望を出した。


 だが青年の入隊を軍は許可しなかった。青年の体は兵士に適さなかったのだ。不合格の通知を受け落胆らくたんする青年の元に、軍の関係者を名乗る男がやってきたのはそれからすぐのことだった。彼は青年にある条件を提示し、それを飲むのであれば少女に最新鋭の治療を受けさせることを約束すると言った。


 その当時、大国は連合諸国と共に協力し、ある兵器を開発していた。自律戦闘人型兵器マシーネンゾルダート。歩兵の代わりに担う、人間もどきヒューマノイドロボット。

 もう人が戦場に出る必要はない、もはや兵士が死ぬことはない。核で汚染された大地を駆け、引き金を引いて人殺しをするのは、これからは機械の兵士たちが代わりにやってくれると国の内外を問わず喧伝けんでんされていた。


 だが実際にはゾルダートは完成していなかった。厳密には、“本来の仕様”では完成の目途が立たなかった。大国を始めとした連合諸国の技術は、確かに人型サイズに要求スペックを見事詰め込んでみせた。しかしそのボディに搭載とうさいするための知性を、敵国のロボット兵器を上回る高度なAIを構築しきれなかった。そのAIを完成させるための技術、意識転写イグジステンスが未完成であったために。


 それなら。人に近しい思考のAIが作れないのなら。いっそ人の脳を使ってしまえばいい。


 大国はゾルダートを表向きは意識転写イグジステンスによって構築されたAIを搭載という“本来の仕様”で発表し、実際には人間の脳を有機CPUとして使用した、いわゆる全身義体サイボーグとして運用することを秘密裏に決定した。そして青年はその被験者の一人に選ばれたのだ。


 あまりに倫理に反する所業。だが青年は二つ返事で了承した。少女を救うためなら、悪魔とだって契約する覚悟があった。


 そうして青年は兵士に、いや兵器になった。170もなかった身長は200センチを超え、腕の太さも胸板の厚さも倍になった。便宜上FCSと呼ばれる支援プログラム――本来はこれがゾルダートを操作するはずだった――によって戦闘を補佐され、銃を握ったことさえなかった青年でも一流の兵士のように銃を扱えた。


 胸に刻まれたナンバーはTA-593。それが青年の新しい名前だった。


 科学者たちは被験者の肉体は保管し戦後元に戻してやると言っていたが、青年をはじめ被験者の誰もそれを信じてはいなかった。今のこの国に、数万人の肉体を保管する施設を維持する余裕などあるはずもなかったからだ。


 戦後自分たちゾルダートがどうなるかは分からない。それでも、街の上空にミサイルが飛んできて死ぬかもしれないと怯える日々よりは、銃をとって目の前の敵を倒せば生きられる戦場の方がマシに思えた。


 国民に全身義体サイボーグであることを悟られないよう、ゾルダートは全て最前線へと投入された。迫る敵国のロボット兵器を相手に、世界のどこよりも死が見える場所で戦った。ゾルダートになった者は誰も彼も似たような年恰好の者ばかり。理由はそれぞれ違ってはいたが、青年たちは互いを同胞と呼び合い、共に戦い生き残ることを誓い合った。


 兵器となり戦場を駆けながら、青年は少女との約束を思い出す。ゾルダートとなる前、病室のベッドで横たわる少女と最後に会った時のことを。


「ねぇ、ハインツ。この戦争が終わったら――」

「――ああ。約束だ、詩花しいか


 青年は少女と約束を交わした。

 その約束のため、少女のために、青年ゾルタンはここまで来たのだ。


 二人の旅は続く。

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