第24話 BtHの向こうに!

 その後作戦会議はとどこおりなく進んだ。作戦会議中はとても退屈そうにしていたシーカは、明日にはBtHを通れるかもしれないと聞くと、大急ぎで就寝しゅうしんの準備を始めた。早く寝れば早く明日が来ると思っているらしい。


「ねぇゾルタン、BtHの向こうにはわたし以外の人間がいるんだよね!」

「ああ、そのはずだ。あそこを通る以外宇宙へ行くすべはない。間違いなく、あの先にいるだろう」

「わたし以外の人って見たことないから、どんな人達なのか楽しみ!」

「ああ。俺もだ。……明日は早い、もう寝るといい」

「うん、おやすみゾルタン」

「おやすみ、シーカ」


 眠る前の挨拶を済ませると、シーカは目を閉じすぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。それを確認すると、ゾルタンはその場を後にする。


 今ゾルタンたちがいるのは廃墟となった豪邸だ。この周辺の建物の中では比較的損傷も少なく屋根もある。野宿するには最適だった。外へ出ると、トゥルースがプールサイドでたき火をしていた。白い棺桶かんおけのような代物に腰かけ、燃え上がる火を眺めていた。白い棺桶の正体はトゥルースが保有していたTR型専用装備、イゾルデだ。作戦会議中に呼び寄せておいたものなのだが――。


 ――表面のナンバーは削られたうえ、識別データにはアクセス不可能、か。


 専用装備には全て本体であるゾルダートのナンバーがマーキングとデータそれぞれで記録されている。トゥルースのイゾルデはその両方が確認できない状態にされていた。どうしてそんなことをしているのか、それを尋ねることをゾルタンはためらっていた。


「……あァ? どうしたよ兄弟、そんなとこで突っ立ってよォ」

「――いや、なんでもない。シーカが眠りについた。出発は九時間後だ」

「了解了解。――そんでよ兄弟、銃に手をかけて背後立つンじゃねェよ。びっくりして撃っちまうぜ」


 そう言われて初めて、自分がライフルの引き金トリガーに指をかけていることに気付いた。銃口を向けていないとはいえ、いつでも撃てる状態にあった。無意識に行っていた自分の行動に困惑しながら、ゾルタンはライフルを肩に掛け直す。


 ふと視線をトゥルースへ向けると、右大腿部ふとももへ専用拳銃を戻している最中だった。いつの間に抜いたのかも気付かなかったが、それよりもゾルタンの目を引いたのは、重量バランスもサイズもデタラメな専用拳銃を器用に回し、精密な動作で太腿部ふとももへとしまい込むその動作だった。

 まるでガンマンが銃をホルスターへ戻すように。


「専用拳銃の扱いに慣れているんだな」

「そりゃあなァ。ゾルダート専用拳銃マイスタージンガーはオレの相棒だぜ、半身っつってもいい」


 ――そういえば正式名称はそんな名前だったか。


 ゾルタンはたき火の前に腰を下ろし、タバコをくわえた。もちろん火は付けずに。そんなゾルタンの様子を、トゥルースはおかしなものを見る目つきで観察していた。


「そりゃタバコか? オレらの体じゃ吸えもしねェってのに、なんでそんなもんくわえてンだ?」

「これは……単なるクセのようなものだ。こうしていると落ち着く」

「へェ、そうかい。オレは嫌いなヤツを思い出しちまって落ち着かねェよ。それにしても、おめェはつくづくおかしな奴だなァ、兄弟。そりゃ元からか? それとも戦争でおかしくなっちまったのか?」

「……そうかもしれない。俺は、あの戦争で壊れたままなんだ」


 かっこうつけかよ、そう笑いながら豪邸のフローリングから引き剥がした木材をたき火へと放り込むトゥルース。この星明りさえ見えない暗い夜にはこのたき火だけが唯一の光源――。


 ――いや、これ以外にもあったな。


 遠くに見えるBtH、その各部に明かりが見える。この暗闇の中だとまるで夜空の星のようだ。本格稼働はしていないからだろうが、確かに電源が存在し機能しているのは明白だ。

 明日、あの天を貫く塔を攻略する。


「しっかし、パルジファルねェ……。聖杯を守る聖槍使いがBtHの守護神とはなァ。それじゃあいつの持ってる核弾頭発射装置が聖槍ってかァ? 冗談きついぜ」

「聖杯? 聖槍? なんだ、それは」

「あァ? 知らねェのかよ。オペラだよオペラ。オレらの名前は全部オペラからつけられてンだよ」


 既視感きしかんのあるセリフだった。いつだったか、将軍が似たようなことを言っていた気がする。考えてみれば、あれからずいぶんと遠くまで来たものだと思った。

 この長い旅路も、もうすぐ終わる。


「……そんな話を、昔ある人と話したな」

「へェ、そいつはどうしたんだよ、なんて聞く必要もねェな。生きてるわけがねェよなァ。こんな世界じゃなァ。……なァ兄弟、戦争が終わってからどうしてた? ずっとあの落ち着きのねェのと一緒だったのか?」

「いや。俺は戦争の最中にボディに深刻なダメージを負って、ポッドの中でスリープモードに入っていた。ポッドがエラーを起こして目覚めたときにはもう、戦争も世界も人類も、全てが終わっていた」


 眠っていた軍事施設から出て最初に見えたのは、どこまでも灰色の汚染された空だった。自分以外何も動くものはおらず、乾いた風が吹いていた。直観的に分かった。


 ああ、世界はもう終わってしまったのだと。


「それから街を目指した。待っているはずの人がいる街へ。途中で何度も暴走ロボットに遭遇した。ああ、四輪バイクブリュンヒルデを拾ったのもこの頃だったな。なんとかしてその街を目指して進んで、だがそこにあったのは、ただのガレキの山だった。どれだけ探しても見つかるのは黒こげの、人だった物。何度も名を呼び、ガレキをかき分けても返事をする者はいなかった」


 絶望に暮れ、茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。何日も何日も。

 もはや生きる希望もないと思った。

 だがそうではなかった。


「その時だ。シーカを見つけたのは。そこは地下の施設で、奇跡的に電源も生きていた。ポッドで眠り続けるシーカを見て、俺は救われた。希望は潰えていない、そう思えた」


 シーカの顔を見た時、思わずヒザから崩れ落ちてしまった。生きていた、生きていてくれた。目覚めたシーカの精神状態、年不相応の幼児のような様子にショックを受けたりもしたが、今となっては些細ささいなことだ。


「おい兄弟、待ってるって人はどうなったンだよ。見つかってねェんだろ、それはどうでもいいのかよ」

「……。いずれ会える。だからBtHへ行くんだ。あそこへ行けば、会えるという確信も持てた。だから、だけど……」


 それでいいのか。自分が果たそうとしていることは、本当に正しいのか。シーカの笑顔を見るたびにそう感じ、それは日を増すごとに大きくなった。シーカとの日々が、思い出が増えていくたびに、自分が果たそうとすることが恐ろしく残酷ざんこくなことに思えてならなかった。


「だけどなんだよ兄弟、もったいつけンなよ」

「――俺ばかり話すのは不公平だ。聞かせてくれ。戦争が終わってから、お前はどうしていたんだ」

「あァ? オレか? オレは……――」


 トゥルースは珍しく言葉に詰まった様子で、首に下げたアクセサリーを指でいじりながら虚空へ視線をさまよわせる。


「オレは、戦争の間からずっと世界をさまよい続けてた。もう何にもねぇ世界をたった独りで旅してた。気が遠くなるような年月を、ずっとな。戦争がいつ終わったのかも知らねェよ。つうか、本当に戦争は終わったのかね。オレには、オレにはまだ続いてるンじゃねェかって、そう思えてならねェよ。そうさ、きっとまだ、終わっちゃいねェんだ」


 そうつぶやくトゥルースの目に、ぎらついた感情が見え隠れしている気がして、その顔を思わず凝視ぎょうしする。その視線に気づいてトゥルースは頭をかくふりをして顔をらした。


 唐突とうとつに沈黙が来た。互いに何も言わず、たき火の燃える音だけがただ響く。

 その沈黙を破ったのはトゥルースだった。


「なぁ兄弟、夢って見るか?」

「なんだ、やぶから棒に」

「いいからよォ、教えてくれよ兄弟」

「……ああ。ときどきだが、過去のことを夢に見る。そしてその夢にとらわれそうになる。底なし沼に足を取られるように、沈んで起きられなくなってしまう。ああいうのを悪夢と言うのかもしれん」


 今度夢を見たとき、果たして起きられるだろうか。その時、シーカがそばにいなければ、きっと起きることなく夢に沈み込んでいってしまう。そんな気がしてならなかった。


「お前は、見ないのか、夢を」

「あァ。オレは、いつのまにか夢を見なくなっちまったなァ。過去のことももうろくに覚えちゃいねぇ。今はむしろ、幻覚を見るようになっちまったかな。……おいおい、そんな目で見るなよ兄弟。たまにな、廃墟が元の街並みに見える時があンだよ。それで道路を走る車や、喫茶店きっさてん談笑だんしょうしてる女どもや、忙しそうに歩いてくスーツ姿の野郎ども。こうなっちまう前の世界が、オレの前にちらつきやがるンだ。勘弁してほしいぜ」


 かすれた笑いがトゥルースの口からもれる。それは装置の問題なのかもしれないが、ゾルタンにはひどく疲れた笑いのように聞こえた。


「ろくなメンテも受けずに劣悪な環境にいンだ、頭だっておかしくなっちまうわなァ。お互い、そう先は長くねェのかもしれないぜェ?」

「そうかもしれない。だがもう少しだけ、時間があればそれでいい」

「――あァ、そうかい」


 それから長い、長い話をした。シーカとの旅のことを、ゾルタンはトゥルースに全て話した。トゥルースはときおり相槌あいづちを打つだけで、何も言わずただただゾルタンの話に耳を傾けていた。


 そうして朝が来た。

 決戦の朝だ。


 二人の旅は続く。

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