第18話 今どこにいるの?
『もしもーし、聞こえてる?』
「……」
受話器の向こうから聞こえてくる声に、ゾルタンは思わず息をのむ。それは間違いなくあの子の声だ。だが、これは――。
「……なんだ?」
忘れていた記憶がはっきりと浮かび上がりかけて、再び頭痛に襲われる。ゾルタンの独り言を電話相手は返事と受け取ったのか、話の続きをし始める。
『もう、今どこにいるの?』
「少し、遠い場所だ」
『いつ会えるの?』
「いつ? いつって、それは……」
『まったくー。……待ってるからね』
ゾルタンが返事をする前に、電話相手は通話を切ってしまった。
――待ってる? どこで? いやそもそも、なんで今俺はここにいる?
何かがおかしい。この会話は、ここでした覚えがない。これはもっと――。今立っているここが、いやこの時間は、遥か過去だった気がしてならない。何故そんな場所に自分はいるのか。いくら考えても答えは出てこず、頭に痛みが走るだけだ。
ここにいても答えが見つからないなら探しにいくしかない。そう決心して受話器を置いた瞬間、風景が崩れていく。
意識がはっきりした時、ゾルタンは基地の通路に立っていた。
直前までの記憶が曖昧だった。どうしてここに立っているのかも思い出せない。何か、確かめなければならないことがあった気がするのに。
ふとセンサーが動くものを検知してゾルタンが顔を上げてみると、将軍の姿を発見した。こそこそと周囲を気にしながら歩く姿から察するに、また基地から抜け出そうとしているに違いない。嘆息し、その背に声をかける。
「将軍、またどこかへお出かけで?」
「お、おう、ちょっと外の新鮮な空気を吸いにな」
「基地の中のほうがよっぽど新鮮で清浄な空気ですよ」
「……。まぁいいじゃあないか、一服くらい別によお」
開き直りやがった。ゾルタンは頭を抱える。なんでそこまでしてタバコを吸いたがるのか、理解に苦しむ。
「やっこさんの相手してたらハゲちまうよ、まったく」
「……? 誰の――」
「基地司令、話はまだ終わってないぞ」
「そら見ろ、お前さんのせいで見つかっちまった」
かけられたその威圧的な声で察しがついた。通路の反対側から歩いてくる黒い巨体が見えた。
「また貴様か一兵卒。この数日で貴様にどれだけ手を焼かされたか、数えるのもおっくうになってきたぞ」
「ああ……」
思わず深いため息が出た。それはこっちのセリフだと言い返してやりたいところだ。SI-013はどうやらゾルタンが将軍を連れて連れ出したと思っているらしい。いやそうでなかったとしても、そうだったことにしてまた殴るつもりなのだろう。
だが確かこの時は。周囲の様子とポケットの中にあるだろうそれに手を伸ばす。
――そうだ。この時は、確かこうして切り抜けたはず……。
「将軍、ライター」
「え、ああ、ライター?」
「早く」
将軍からライターを受け取ると、ゾルタンはズボンのポケットをまさぐり目的のものを引っ張り出した。以前将軍から没収したタバコの箱だ。その中からくしゃくしゃな一本を取り出すと、口にくわえて火をつけた。
「おい、何をしている貴様」
SI-013はゾルタンの行動が理解できないようだった。それはそうだ。タバコを吸おうとするゾルダートなど、まず誰も想像もしないだろう。
将軍とSI-013がその奇行にあっけにとられているのをよそに、ゾルタンは口から紫煙を吐く。ゾルダートの体ではタバコの味など分かるはずもない。目的のためには別に口にくわえる必要はなかったし、確かこの時はこんな回りくどいことはしていなかったが、気分の問題だ。
「貴様、ふざけてい――」
我に返ったSI-013が手を伸ばしてくる前に、その手へとゾルタンはくわえていたタバコを指で弾いて飛ばした。さすがの反応速度でそれを払いのけるSI-013。
だがそれはゾルタンの予想通りの行動だった。
払いのけられたタバコは、天井高く飛んだ。その瞬間、けたたましい警報音が響く。天井に備え付けられた火災警報装置だ。SI-013が何かを言うより先に、彼とゾルタン達との間に防火隔壁が降りてそれを阻んだ。今頃隔壁の向こうでは消火液に濡れたSI-013が
他のゾルダートたちが駆けつける前に、ゾルタンは将軍を背負ってダッシュで逃げた。
ゾルタン達が外に出るともう陽も落ち夜になっていた。見上げれば空には無数の光が見えた。
ゾルタンと将軍が今いるのはヘリポートだ。ここならタバコ程度の煙が出たところで騒がれたりしない。巡回中の同胞に手を振り、ゾルタンはヘリポートの端に腰かけた。
「ああ、やっぱり自然の風が一番だ」
「ときどき汚染物質が混じりますがね。今は大丈夫みたいですが、風が強くなったら中に入りますよ」
「わかっとるわかっとる」
この基地周辺は核汚染が進んでいる。アメリカ本国へ向けて撃たれた無数の核を迎撃した名残だ。風が強い日は西のクレーターから汚染物質が流されてくる。敵は今も国境の向こう側でミサイル攻撃の準備をしているはず、いや、しているのだ。
「……近々な、侵攻作戦が開始される」
タバコを吹かしながら、おもむろに将軍は話し出した。
敵国への侵攻作戦。敵前線基地を襲撃、基地機能を破壊、もしくは強奪せよ。内容としてはこんなところだ。
「SI型の部隊はそれに同行する。支援はしちゃくれないらしい」
「何のためについてくるんですか、あいつらは」
「察しはついてる。先生もメンテナンスマニュアル読んで気付いたみたいだがな。ゾルタン、前にあいつらが来た時に聞いただろ。
「…………自爆? まさか、本当にあいつらは特攻兵なんですか」
将軍の言葉に耳を疑い、ゾルタンは思わず聞き返した。
「……。乗ってる大型車両と合わせれば
ゾルタンは何も言えなかった。ゾルタンから見てもSI-013達には、そんな死に向かって突き進むような様子はまるでなかった。悲壮感などとは無縁のような、ただただプライドの高いやつらだとばかり思っていた。
「SI型は頭から恐怖が削除されてる。まさしく恐れを知らぬ戦士、ジークフリートだ。噂じゃ、SI型と並行して核攻撃型が開発されてるとも聞く。いったい上層部は何を考えているのやら……」
「俺たちのサイズで核を撃ち合うと?」
あまりにも馬鹿げた仕様にめまいを覚える。
将軍の吐いた紫煙は長くたゆたい、風に吹かれて消えていく。
「もともと前線の兵士が死にすぎたことと、核汚染で人が活動できない土地が増えたことがゾルダートの導入理由だったはずなんだがなぁ。こんな使い捨てるような真似、俺だってしたくはない。お前さんらが
「……」
珍しく会話が途切れた。この二人では珍しいことだった。その沈黙に耐え切れなくなり、ふと疑問に感じたことを尋ねてみた。
「なぁ将軍、さっきのまさしくジークフリートっていうのはどういう意味なんですか」
「なんだ、知らなかったのか。オペラだ、オペラ。お前さんらの名前は全部オペラから名づけられてる。機能もそれを意識したようなものになっちゃいるが、そこまで考えて名付けたのかは分からないがな。ほら、お前さんのタン――」
「その名前で呼ばないでください」
その名を呼ばれる前に、ゾルタンは将軍の言葉を遮った。将軍はそんなゾルタンの様子に、苦笑を浮かべる。
「はは、お前さんあの名前嫌いだよなぁ。なんでだ」
「響きが間抜けで、格好悪い」
『その名前、なんかまぬけでかっこわるい! あと、長い!』
「……あ」
脳裏に響く幻聴に、ゾルタンは頭を押さえる。いつか、誰かにそう言われた気がする。それで愛称をつけてもらった。
それは、それはあの子だ。黒く長い髪の、色白な肌をした、あの満面の笑みを浮かべた――。
『えっと、それじゃゾルタン! ゾルタンって呼ぶ!』
ゾルタンは立ち上がる。将軍はそんなゾルタンには構わず、話を続けている。まるでゾルタンと今も会話をしているかのように。歌劇の最中、セリフを忘れてしまった役者のように、自分だけが世界に取り残される。そんな気がした。
――そうだ、俺はここにいちゃいけない。行かなくてはならない場所がある。
不意に、地平線の向こうに光が見えたかと思うと突風が吹いた。世界をすべて吹き飛ばすような風が。
「お前さんはもしかしたらその名の通り、愛を求めて赦しを乞うて、長い旅をすることになるのかもなぁ」
その中で聞こえた将軍のセリフ。その意味を問おうとした次の瞬間、辺りの風景は一変していた。
将軍の姿はなく、そもそも基地の中ですらなかった。空気が焼けるように熱い。生身の人間であったなら肌が焦げ、肺が焼かれるほどの熱風が吹き荒れている。周囲はガレキと鉄くずの山だ。破壊された敵ロボットや戦車があちこちで炎を吹き出し燃え上がっている。
自分がどこにいるのか確かめようとするも、センサーが不調なのかめちゃくちゃな数値しかでない。それだけではなく、通信さえもろくに繋がらない。
この戦場とおぼしき場所で孤立無援か、そう思った時だった。
「おい、一兵卒」
聞き覚えのある声に顔をあげると、瓦礫の山の上で一体のジークフリート型が専用車輌に乗り、ゾルタンを見下ろしていた。左腕は肘から先が喪失し、頭部も左側がひしゃげ二つの左目が潰れている。
胸に刻まれたナンバーは、SI-013。
「貴様、まだ生きているな。ならば立て、俺の左目の代わりになれ」
その言葉で思い出した。ここは敵国の領地。そして現在は侵攻作戦の真っ最中。
そして――。
「俺たちで止めるのだ、二発目の弾道ミサイルを」
ゾルタンの記憶の旅は続く。
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