第17話 もしもーし?
気が付くとゾルタンは暗闇の中にいた。
何も見えない。ただ何か金属音が周囲で響いていた。電動モーターの回る音や金属同士をぶつける音。それにカチャカチャというキーボードを叩く音も。
それでようやく合点がいった。自分が今どこにいるのかを。
「先生、早く目をつけてくれ。何も見えない」
そばにいるであろう女、先生へと声をかける。その予想通り、聞き覚えのある声がため息交じりに返事してきた。
「我慢して。それとも暗闇が怖いの? 子供じゃないんだから、大人しく待つ」
「むぅ」
「ああでも子供なのかもね。上層部のお抱えとケンカなんて」
直前の記憶をゾルタンは段々と思い出してきた。あの新型ゾルダート、ジークフリート型といざこざを起こし、顔面に拳を叩きこまれたのだということを。
――いや、待て。そうだったか? さっきはケンカにはならずに別れたんじゃなかったか?
どうにも記憶があやふやだった。強化ガラスでできたカメラレンズが砕けるほどの一撃を受けたのだ、記憶があいまいになっても納得できる。できるが――。
「触るわよ。動かないで。動くなって言ってんでしょ」
考えをまとめようとして、いつもの癖でアゴを撫でようとしたところを小突かれた。頭をがっちりとホールドされ、ガチャガチャと何かがはめ込まれていく。
不意にカメラがオンになった。見えたのは予想通りメンテナンスルームの内装と、そして視界の半分を埋め尽くすリブ生地の赤いセーターだった。ゾルタンの首を腕でホールドしていた人物、ゾルタン達ゾルダートが先生と呼んでいるその年若い女は、ゾルタンのカメラを覗き込み正常に稼働していることを確かめる。
「見えてる? あんたあたしのおっぱい見てたでしょ」
「あんたが俺の頭を抱き抱えてるからだろう」
そう釈明している最中にまたもや小突かれた。ただの生身であればゾルタンには何の効果もないが、先生の腕は両方とも機械製の義肢、それもゾルダートと同じ規格のものだ。殴られるとそれなりに響く。
「まったく、最新兵器のゾルダートがケンカして壊れるなんて、血税納めてる国民には殺されても話せないわ」
ゾルダート。
激化する核戦争の最中、同盟諸国が協力して開発した戦闘兵器。生身の兵士では活動が困難な核汚染地域にて、歩兵や戦闘車両のパイロットの代わりとして運用される戦闘用ロボットだ。この兵器の登場をきっかけに、戦場から生身の兵士の姿は消えた。
敵国の大型多脚兵器と対を為す存在であるが、あちらのプログラム通りにしか行動できない、“お遣い”が精々のずさんなAIとは違い、ゾルダートのそれは高度な判断力と柔軟な対応力を備えていた。
部品は同盟諸国で製造され、組み立てはアメリカで行われた。最重要機関のAIと新型ジェネレーターの製造法はアメリカだけの秘匿技術であり、それが敵国に対する数少ないアドバンテージの一つだった。
その最新鋭の兵器であるゾルダートを中心に構成された師団が、敵国との国境が近いこの前線基地を死守している。師団員は九割以上がゾルダート、残りの一割にも満たない師団員が先生を含む生身の人間十数名で、その中でも強化処置や機械で肉体を補っていない本当のまっさらな人間は将軍ただ一人だけだ。
その師団も、戦争が終わる頃にはゾルタン一人を残して全員が――。
「……っ」
何かを思い出しかけた気がして、だがそれは頭に走った鋭い痛みによって中断された。まるで鋭利な刃物を突き立てられたかのような、そんな痛み。
「ちょっとあんた聞いてんの?」
「あ、ああ」
痛む頭を押さえながら、先生の声にゾルタンが顔を上げた瞬間。
メンテナンスルームは廃墟同然の有様になっていた。
「……は?」
状況が呑み込めず茫然とするゾルタン。室内は一面傷だらけで、あちこちにゾルダートの部品や工具が飛散している。いや、飛び散っているのはそれだけではない。床や壁を赤黒く染めているのは、決して潤滑油やペンキではない。
恐る恐る視線を床へと向けてみれば、そこは倒れ伏している先生の姿。左の義肢は千切れ飛び、顔は左半分が無残に引き裂かれ、眼には潤いはなくすでに乾き始めていた。
そうだ、思い出した。先生はあの日、敵の迫撃砲で死ん――。
「こらゾルタン、返事しろ」
床に倒れた先生がそう言ったかと思った瞬間、頭を小突かれた感覚を感知してゾルタンは我に返った。メンテナンスルームは元通りになっている。廃墟になっていなければ先生だってぴんぴんしている。
――幻覚でも見ていたのか、それともこれが幻覚か、どっちだ……?
ゾルタンはそれを確かめんとして、おもむろに手を伸ばして先生の頬に触れた。急に触れられたからか、先生はあからさまに狼狽えた様子を見せた。
「や、やだなに、どうしたの?」
「いや、顔がついているなと」
「そりゃついてるわよ、当たり前でしょうが」
「先生」
「なに?」
「少し頬がたるんできたんじゃないか」
「ふんぬ!」
今度は強めに小突かれ、いや殴られた。
「このクソガキ、ほらとっとと出てけ出てけ、あたしゃあのジークフリート型の整備マニュアル読み込まなきゃなんなくて忙しいの、ほら!」
拳を振り上げる先生を背に、ゾルタンはメンテナンスルームから脱兎のごとく逃げ出した。
メンテナンスルームから逃げ出した後、ゾルタンは格納庫の前までやってきていた。特に理由はない、はずだ。だがなんとなく、ここに来るべきだという予感がしたのだ。
扉を開き中へ入ると、そこからは無数の装甲車、無限軌道戦車、多脚戦車がずらりと並んでいるのが一望できた。それら戦闘兵器の周りで作業をしているのは、ゾルタンと同じ姿をした者たち、TA型の面々だ。
「お、俺たちのエースが返ってきたぞ!」
その中の一人がゾルタンに気付きそう叫ぶと、格納庫内にいた他のTA型やTR型がわらわらと寄ってきた。
「よぉゾルタン、もう顔は直ったんだな」
「前より男前になってるぜ」
「……」
その仲間達のからかいに、ゾルタンは黙ったままだった。うまい返しが浮かばなかったという訳ではない。何故だかひどく懐かしい気がしたのだ。もう長い間聞かなくなっていた、懐かしい喧騒。
「おいどうしたんだお前」
「ちゃんとカメラ見えてる?」
「もしかして、壊れすぎてて頭ごと交換してもらったんじゃないのか」
「……そんなわけがあるか。ぼうっとしてただけだ」
全員似たり寄ったりな顔だが、ゾルタンにはそれが誰か全て分かった。胸にマーキングされたナンバーが見えるからではない。一人ひとり、外見に個性があるからだ。
ゾルタン達ゾルダートは規格から外れた独自の改造を禁止されている。だがペイントや傷は別だ。頭部の傷をそのままにしたり、胸のナンバーに手を加えたり、様々な方法で個性を出している。中には上半身にトライバルタトゥーを模したペイントをした者もいたが、さすがにそれは将軍にこっぴどく叱られて泣く泣く洗い落としていた。
そしてゾルタンの場合が――。
「おいゾルタン、洗濯終わってるぜ」
「ああ、すまん」
投げて寄越されたそれをキャッチして、さっそく着込む。
「ああ、やはりこれが落ち着く」
そう言ってそれ、軍服を着込んだゾルタンは満足げに笑った。一番大きなサイズでも少々きゅうくつで、胸元などぱんぱんに張って今にもボタンやファスナーがはじけ飛びそうな状態だ。
それを周りの同胞たちは心底理解しかねる、という風な奇異の視線をゾルタンへ送っていた。
「服を着るロボットとか一般人が見たらどう思うだろうな」
「変な奴だよ、お前」
この基地にいるゾルダートの中で、服を着ようとする者なんてゾルタン一人しかいない。まるで意味のないものだからだ。ゾルダートのボディは強固であり、隠さなくてはならない恥部があるわけでもない、服を着る意味がない。
「だって裸だぞ。落ち着かないに決まってる」
「まぁまぁ、こいつの趣味趣向はおいておこうぜ。それより聞かせてくれよゾルタン。お前あの黒光り野郎になんて言ってやったんだ?」
「黒光り野郎?」
その蔑称に一瞬誰の事かとゾルタンは疑問に思ったが、すぐにSI-013のことだと気づいた。確かにボディカラーは黒銀だから、黒光り野郎といえばそうか。
「ああ、あの丸い頭といい色といい、でっけぇ
「お前……」
くだらないジョークを言う同胞に頭を抱える。
「あの野郎、すげぇ怒りようだったぜ」
「なんてことはない、少し態度について指摘してやっただけで――」
「おい貴様ら、整備の手を止めるな」
噂をすれば影ということか。タイミング悪く件のSI型たちが格納庫へとやってきた。一体でも柱のように巨大だというのに、それが列をなしてやって来るのだ。壁が迫って来るかのような圧迫感を感じて、思わずゾルタン達はたじろいだ。
そのSI型の一体、胸に013のナンバーがマーキングされた個体がじろりとゾルタンを睨みつけた。輸送機の前であった個体だ。記憶が確かなら反撃で一矢報いたはずなのだが、傷一つ見当たらない。装甲がゾルタン達の二倍という話は、比喩ではなく本当のようだ。
「なんだ、貴様らのその格好は。どいつもこいつも……。ここはスラム街か? 見世物小屋か? 貴様らは戦場に遊びに来ているのか?」
やれやれと言わんばかりの様子で天を仰ぐ
――それじゃまるで、本当にただの兵器のようじゃないか。
「まぁいい。貴様ら、俺たちのマシンも整備しておけ」
「おたくらのマシンを……?」
「ああ、そうだ。貴様ら整備兵も兼任しているんだろう。さっさとやれ」
同胞達が顔を見合わせる。なんで自分たちが、そう言い出す者はいなかった。だが皆、不満を抱いているのは明らかだ。それはSI型の連中にも伝わっているはずだが、奴らはリーダーのSI-013の考えに賛同しているようだ。
「整備マニュアルが必要か? 基地のサーバーにアップロードしてある。ダウンロードして読み込め」
「おい、あんた。確かに整備は俺たち自身でやっているが、それは人手不足だからだ。自分のマシンくらい、自分で整備したらどうだ」
たまらずゾルタンは反論する。
「なに? ……また貴様か、顔面を
そう言いながら、見せつけるように拳を握り込むSI-013。もう一度ぶん殴られたいか、言外にそう匂わせてきている。
だがそんな脅しに屈するようでは、いつまでもSI型達を図に乗らせてしまう。
「やってみろ。今度は俺がお前の顔に――」
ゾルタンが言い終わるより先に。
黒銀の拳が眼前に迫っていた。
「――っ!」
とっさにカメラの保護カバーを閉じ、衝撃を待つ。
だが来るはずの衝撃は、いつまで経っても来なかった。
不審に思いカバーを開くと、格納庫の中はいつの間にか真っ暗だった。周りにいたはずの同胞も、SI型たちもいない。
不意にけたたましい音が格納庫の中に響いた。
何事かと思うも、すぐにゾルタンはその音の正体に気付いた。音は基地内に設置された通信機から響いていた。だがおかしい。あの通信機はこんな音は響かせない。この音はまるで、電話の呼び出し音のように聞こえる。
――そうだ、この呼び出し音は、ここじゃない。これは――。
一歩、また一歩と通信機へと近づいていく。通信機表面に備わったモニターには、呼び出し相手の名前が表示されていた。
その名を見た瞬間、ゾルタンは通信機へ飛びつき、受話器を取った。
『もしもーし?』
ゾルタンの記憶の旅は続く。
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