第15話 好きでいてくれる?

「……またか」


 唐突に頭の中にガリガリと硬いものを引っかくような音が響き、ゾルタンは四輪バイクを停止させた。この耳障りな音は、ゾルタンに内蔵された放射線検知器の警告音だ。この数時間で何度も聞いたその警告音に、ゾルタンはため息をついた。


「この道はダメだ。もう少し遠回りをしよう」

「えー、それじゃまだこのマスクかぶってないといけないの?」


 後部座席に座っていたシーカが不満げな声をあげる。きっと頬を膨らませて不貞腐ふてくされているのだろうが、今はその表情は見えない。顔全体を覆うマスクで隠れてしまっているからだ。


「ああ。この一帯を抜け切るまでは、外しちゃダメだ」

「息苦しいー。外しちゃダメ?」

「絶対にダメ」

「ぶー」


 ゾルタン達は今、巨大なクレーターの外周に沿って南下していた。かつてはメキシコと呼ばれていたその地は、戦争初期に戦場となり地図からその名を消した。ゾルタン達が前線に立つ頃には、旧メキシコと呼ばれるようになっていた。その頃にはまだ海に水があり、この巨大なクレーターも水で満たされていた。その光景を輸送機の中から見た記憶がある。


 ここで使用された核兵器は旧時代的な、それでいて恐ろしい破壊力を伴うものだったと聞く。地中深くで爆発し、地表の何もかもを空へと吹き飛ばしたのだと。この一帯の放射線量が未だに高いのはその核兵器が原因だ。

 ただでさえクレーターを避けて進まなくてはならないというに、そのうえ放射線も気にしなくてはならないとなると、想定していたよりもかなり遠回りすることになる。


「ねぇねぇ、放射線ってそんなに怖いものなの?」

「ああ、怖い。猛毒だ。生物も星も蝕んでしまう恐ろしい毒だ」


 ゾルタン達の着ている軍服には放射線に対する防護機能が備わっているが、それも気休め程度のものだ。汚染の深刻な場所にうっかり入り込んでしまえば、ゾルタンはともかくシーカがただでは済まない。


「放射線を吸ったらどうなるの?」

「え」

「ほーしゃせん!」

「ああ、ええと、吸うというより浴びるというか」

「どうなるの?」

「腹から腕が生える」

「腕が増えたら便利そうだけど」

「あとヒマワリが大きくなる」

「ヒマワリ? 大きくなるのはいいことじゃないの?」

「む、ぅ」


 困った。本当はもっとグロテスクなことになるのだが、それをシーカには教えたくはなかった。不用意に怖がらせることもないし、知らなくてもいいことだってある。

 どう説明したものか。アゴを撫でながら考えた末、ゾルタンはこう答えた。


「シーカが、シーカじゃない姿になってしまう」

「わたしがわたしじゃない姿になるの? ……それは、やだなぁ」

「ああ。俺も嫌だ。だからマスクはとるな」

「うん、わかった! ――ねぇ」 


 元気な返事をしたあと、シーカは何気なく、本当に大したことでもない事のように、その一言を放った。


「ねぇゾルタン、もしわたしがわたしじゃなくなっても、ゾルタンはわたしのこと好きでいてくれる?」

「――――」


 シーカのその一言に、ゾルタンは心臓を刺されたかのような錯覚を覚えた。ハンドル操作を誤らなかったのは幸運だったと言っていいほどに、その不意打ちに衝撃を受けていた。

 四輪バイクの速度が緩やかになっていき、停止する。アクセルを握る手に力が入らない、いやそれどころか動くことができなかった。

 どうしてそんなことを聞いたんだ。振り返り、そうシーカに聞き返すことが恐ろしかった。


「ゾルタンってば!」

「――ああ、すまん。聞こえなかった」

「もう! ちゃんと聞いてよ!」

「すまん。――今日はこの辺りで野宿しよう」


 話題が戻る前にゾルタンは野宿できる場所を見つけ、バイクを止めた。民間用の小さな船舶だ。陸地に座礁したのか、それとも今ゾルタン達がいる場所が元は海なのか。どちらにせよ今はどうでもいいことだ。ありがたいことに傾かずに座礁しているし、屋根もある。あとは船内が比較的綺麗なら文句はないのだが。


「シーカ、船内を確認するから、少し待っていろ」

「むー。いってらっしゃい!」


 不貞腐ふてくされた様子のシーカの返事を背に、ゾルタンは船内へと足を踏み入れる。シーカを連れてでもよかったのだが、船内の確認ついでにシーカから離れ少し頭を冷やしたかったのだ。


 船内に入り、軽く中を確認する。散らかってはいるが、死体も危険物も見当たらない。それがわかるとゾルタンはその場に腰を下ろした。

 口にずっとくわえたままだったタバコを手に取り、指先で弄ぶ。こんな時こそタバコが吸えれば気持ちを落ち着かせられるのだろうが、あいにくゾルタンの体はタバコを吸ってもそれを味わうことはできない。


 先ほどの一言。あれは本当に無邪気な、何の意図もないものだったのだろうか。それとも。


 ――それとも、シーカ、お前はもしかして――。


「ゾルタンまだー?」

「……ああ、大丈夫だ。今戻る」


 ゾルタンは再びタバコをくわえると、重い足取りでシーカの元へと戻っていった。


 その後、シーカを船内へと招き入れて普段通り野宿の準備をし、気が付けば就寝の時間となっていた。シーカと他愛無いことを話したのは覚えているが、ほとんど上の空だった。シーカはシーカで、あの一言について何も言ってはこなかった。もう頭から飛んでいるのか、あえて言わずにいるのかは分からない。ただ、もう普段通りのシーカだった。


「シーカ、頭は痛くないか。体調が悪かったらすぐに言え」

「うん、大丈夫だよ。ぜんぜんへーき!」


 就寝の前に一応検査はしたが、シーカの体に問題は起きていないようだった。それに安堵しつつ、シーカがいつまでも寝袋へ入らないこともゾルタンは首を傾げた。


「シーカ、どうかしたか。早く寝袋に入れ。ベッドが使えればよかったが、あんなカビと埃だらけだと――」

「ううん、違うの。ねぇゾルタン、もう少しお話ししてようよ」

「……夜更かしはよくない。早く寝ろ」

「えー。でもね、まだ眠りたくないの。最近眠ると変な夢見るんだもん」

「夢? いったいどんな?」

「覚えてない!」


 あっけらかんとしたその様子に思わず苦笑する。一瞬感じた不安は杞憂きゆうだったかと安堵し、ゾルタンは頭を掻いた。


「なんだ、それは」

「覚えてないけど、変な夢だったの」

「夢なら問題ない。俺がそばにいる。どんな怖い夢を見ても、俺が起こしてやる」

「ふふ、わかった。それじゃわたしがうなされてたら、ちゃんと起こしてね!」

「ああ」


 ゾルタンのその言葉に満足したのか、シーカはいそいそと寝袋の中へと潜り込む。そして寝袋の中から片手をゾルタンへと伸ばした。


「ねぇゾルタン、わたしが眠るまで手にぎってて」

『ねぇ■■■■、私が眠るまで手を握っていて』


 脳裏に浮かんだ光景を、頭から振り払う。


「……ああ、わかった」


 シーカの白く細い手を、ゾルタンは優しく握る。この手を握るとき、ふとした拍子に力がこもって壊してしまうんじゃないか、そんなことをいつも考えていた。そして握り返すその手が今ここに存在することが、何よりも嬉しかった。


「おやすみ、ゾルタン」

「ああ。おやすみシーカ」


 シーカが目を閉じると、すぐに寝息が聞こえ始めた。相変わらず寝つきはいい。問題はなさそうだ。眠りについたシーカの頬を、ゾルタンは優しく撫でる。


 ここを超え南アメリカへ上陸すれば目的の場所、ビヨンド・ザ・ホライゾンへはもうすぐだ。


 ――そう、もうすぐだ。もうすぐ、俺の願いは叶う。


 この旅が始まった時から決めていたこと。この旅の果てに待つであろう結末。

 それは必ず果たさなくてはならない。


 たとえシーカにどう思われようとも。


 二人の旅は続く。

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