第10話 あらい合いっこしよ!

「ゾルタン、どーお?」

「検査中だ。あと少し待て」

「はーい」


 ゾルタン達は今、巨大な施設の中にいた。


 ずいぶんとあいまいな説明になってしまうのにはワケがある。ゾルタンから見ても、ここが何のための施設なのかよく分からないからだ。施設のコンピューターにはアクセスがいっさいできないうえ、位置図らしきものも見当たらない。通路も人が通るには少し天井が低いところを見るに、人間不要の完全オートメーション化された施設なのだろう。


 何を目的にして建造されたのか分からないというのは、施設内のほとんどの部屋が空っぽだったからだ。設備も廃棄物はいきぶつも何もない。設備を入れる前なのかともゾルタンは考えたが、すぐにその説を捨てた。施設の壁や床には何らかの設備が設置されていたあとを発見したからだ。どこかへ設備を移設した跡、それも逃げるようにではなく忘れ物がないようにゆっくりと時間をかけて、だ。


 その中で、今ゾルタン達のいる部屋だけ設備が残され、稼働かどうしていた。

 浄水じょうすい施設だ。それも最新の技術を用いた、除染じょせんも万全な設備が残されていた。こんなものが残されていた理由は、設備そのものが巨大で撤去不可能だったからだろう。ゾルタン達の足元、プールのような大きさの貯水タンクの中には、にごりのない透き通った水が貯め込まれていた。


「ゾルターン」

「……確認完了だ」

「どお!?」

「飲んでも問題ない」

「わーい!」


 念のためセンサーで確認をしていたのだが、数値は問題ない。むしろ飲料可能な水としては最高水準だ。

 ゾルタンの確認が終わるやいなや、シーカは貯水タンクの中へ勢いよくダイブ――しようとしたところで、ゾルタンに両脇から抱えられて阻止された。


「みずー!」

「そのまま飛び込もうとするな」

「ざぶーんしたい!」

「沈んだままになるぞ」


 服を着たまま水の中に入ろうものなら、水を吸った服の重さで浮かべず水底に沈むハメになる。いやそれ以前に、せっかく飲料可能な水なのだ。先に飲む分を確保しておかなくてはならない。

 その後シーカをなんとか説得して、二人で飲む分の水を小型タンクに移し、四輪バイクブリュンヒルデに載せられるだけ載せた。これで当面水に悩む心配はない。


 作業が終わったことを確認するや、シーカは再び貯水タンクの中へ勢いよくダイブ――しようとしたところで、またもやゾルタンに両脇から抱えられて阻止された。


「みずー!」

「そのまま飛び込もうとするな」

「ざぶーんしたい!」

「せめて服を脱いでからにしろ」


 さきほどと似たようなやりとりの後、シーカは軍用ヘルメットをフリスビーのようにぶん投げると、衣服を恥ずかしげもなく脱ぎ捨て、今度こそ水の中へダイブした。


「たはー、つめたーい!」


 シーカの長い黒髪が水面に広がる。白い肢体から力を抜いて伸ばし、水の冷たさを堪能たんのうしている。


「水浴びひさしぶりー」

「ああ、そうだな」


 今の世界では水浴びなんて贅沢ぜいたくはできない。せいぜいれたタオルで体をふければいい方で、風呂なんてもってのほかだ。


 シーカが水浴びを楽しんでいる間に、ゾルタンは黙々とシーカの衣服を水洗いしていく。洗剤なんてものはないので、水ですすぐだけだ。砂埃でだいぶん汚れていたようで、すすげばすすぐほど汚れが洗い出されていく。


「ゾルタンきたなーい、離れたとこでしてー」

「シーカの衣服を綺麗にするためだ」

「すごい汚れてるんだねー。ねぇ、ゾルタンもいっしょに入ろ!」

「いや、俺はいい」

「えー、つめたくて気持ちいいよ?」

「俺の冷却機能は正常に稼働している。水冷の必要はない」

「それにゾルタン、ちょっとくさいし」

「えっ」


 危うく洗濯物を取り落とすところだった。


「……臭うか」

「うん!」

「そ、そうか」

「ゾルタンのにおいは好きだけど、ゾルタンがくさいのはやだ!」

「そうか……」


 ゾルタンには異臭を検知する機能はあっても、その臭いがくさいかどうかを判断する機能はない。それゆえ臭いについてはまるで無頓着むとんちゃくだった……のだが、シーカにはっきり臭いと言われるのは、正直かなりショックだった。


「俺の軍服も洗うか……」

「服だけじゃなくって、ゾルタンも綺麗にしなきゃ、あ、そうだゾルタン! あらい合いっこしよ!」

「えっ」


 ゾルタンがその言葉を理解するより先に水から這い出てきたシーカは、そのままゾルタンのそばまで歩み寄ってくる。一糸まとわぬ姿に今さらながら気恥ずかしさを覚え、ゾルタンは顔をそらした。


「ほら、ゾルタンも脱いで!」

「いや待て」

「ほーら!」

「待て」

「ほらほらほら!」

「待ってくれ……」


 数分後。ゾルタンは服を全部脱いでその場で正座していた。理由はシーカが洗いやすいよう身を屈めなくてはならなかったのと、なんとも名状しがたい羞恥心しゅうちしんがあと半分以上の理由だった。


 別に恥ずかしがることはない。本来、人型兵器が服を着ている方がおかしいのだから。これが正しい姿なのだ。だが、この姿でいることに違和感を感じ始めたのはいつだったろうか。


「ゾルタンごしごししようねー」


 そんなことを考え現実逃避するゾルタンをよそに、シーカは手にした濡れタオルでゾルタンのボディをごしごしとふいていく。


「ああ。傷の部分には触れるな。ケガをする」

「りょーかいでーす」


 背中を一通り濡れタオルでごしごしと洗われる。この体なら濡れタオルよりもタワシの方がいいのだろうが、あいにくと持ち合わせていないし、シーカが真似してタワシで体を洗おうとすれば大変だ。


「はい、次はゾルタンの番!」

「ああ」


 タオルを受け取り振り返ると、黒髪の張り付いた白い背中が見えた。いつものことながら、この黒髪が難敵だった。ゾルタンの指ではシーカの髪を関節に巻き込んでしまう。その長い黒髪をダメにしてしまうのは避けたい。


「シーカ、髪をよけてくれ」

「はーい」

「それでいい」


 シーカの白いうなじや肩、肩甲骨けんこうこつ背筋せすじをていねいにふいていく。そのシーカの背中、肩甲骨の間あたり。本人には見えないその位置に、無数の注意書きマーキングと金属製の接続部コネクタがあった。


「…………」


 その接続部コネクタに、そっと手を触れようと――。


「終わったー?」

「――ああ」


 触れかけた手を引っ込める。


「それじゃ今度は前ね!」

「ああ。……え、前」

「まえ!」


 そう言ってシーカは振り返った。衣服も何も身につけていない姿で向かい合う二人。黒い髪、薄茶色の瞳、白い肌。見慣れているはずの少女の姿。それなのに、どうしてか心がざわつくのをゾルタンは感じていた。立ち尽くすゾルタンの様子にシーカは小首を傾げる。


「どうしたのゾルタン?」

「いや。なんでもない」

「変なゾルタン。あ、ゾルタンの胸に書いてあった文字、もう読めなくなっちゃったね」


 シーカの細い指が、ゾルタンの胸元を這う。その手から逃れるように、ゾルタンは一歩下がった。


「――シーカ、あとは自分で洗え」

「えーどうしてー、ゾルタン洗ってよー」


 そんなシーカのおねだりには聞く耳持たず、ゾルタンは貯水タンクの中へ身を投げ出した。もちろんゾルタンの100kg以上もある金属の体が浮くわけもなく、あっという間に水底へ沈んでいってしまう。


 頭がだるような気分だった。それと同時に、例えようのない苦しみと虚無感に、心が引き裂かれそうだった。冷たい貯水タンクの底は、一人で頭を冷やすにはちょうどいい。


 しばらくここにいよう。そう思い、水底で座り込む。

 その時、タンクの底に何か落ちているのをゾルタンは発見した。さっき洗濯していた時に落としただろうか。そう思い拾ってみると、それは――。


 ――またこれか。いったいなぜこんな場所に。


 以前、廃棄された基地の食料貯蔵庫でも見つけた、ゾルタン達専用拳銃の空薬莢だった。なぜこんなものがここにある。落とした覚えはないし、誰かが意図して投げ込んだのか。


「ゾルターン、沈んだままになっちゃったのー?」


 水面近くでシーカが呼んでいる。その呼びかけはだんだんと不安の色が強くなっているような。泣き出す前に戻った方がよさそうだ。

 だが、もう少しだけ。

 もう少しだけ、心を落ち着ける時間が欲しかった。冷たい水の底で、しばし孤独を味わうことにした。


 その後、放置しすぎてシーカに大泣きされ、慰めるのに四苦八苦する事態に陥るのだが、それはまた別のお話。


 二人の旅は続く。

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