第9話 いたいのがまんする!

 それは完全にゾルタンの油断が招いた結果だった。


 野宿のために侵入した廃墟の中で、ゾルタン達は小型の昆虫型暴走ロボットアンチェインの襲撃を受けた。それだけならいつものことだ。いつも通り押し寄せる暴走ロボットアンチェインをアサルトライフルで難なくなぎ払ったゾルタンだったが、周囲に積み上げられたそいつらの残骸ざんがいの中にまだ動く個体がいることには気付かなかった。


 その存在に気づいたのは、暴走ロボットアンチェインが仲間の残骸を押しのけ飛び出し、その鋭利な前肢まえあしをシーカへと振り下ろさんとした時だった。とっさにアサルトライフルを構えたゾルタンだったが、跳弾ちょうだんや破壊した暴走ロボットアンチェインの破片がシーカに当たるのではないかと、トリガーを引く手が鈍った。


 その一瞬が命取りだった。暴走ロボットアンチェインの前肢が振るわれ、シーカの体が宙を舞う。


「シーカ!!」


 ゾルタンは瞬時に暴走ロボットアンチェインの頭部をハチの巣にすると、地面に倒れ込んだシーカを抱き起こす。


「シーカ、大丈――」

「いたーい!」


 思ったよりも元気そうだった。その様子にゾルタンは安堵あんどする。服が多少破けはしたが、体への致命的なダメージは避けられたようだ。じたばた暴れているところからも、折れてはいないようだ。暴走ロボットアンチェインが小型だったこと、その前肢が切断に特化したものだったことが幸いしたようだ。


 ゾルタン達の着ている軍服はただの衣服ではない。その材質から構造から、ある程度の防刃防弾性能を持つようデザインされている。頭に被っている軍用ヘルメットシュタールヘルムだって、見た目は古めかしいが素材は最新鋭だ。


「ゾルタン、すっごいいたい! いたいんだけど! いたーい!」

「わかった、待て。傷をよく見せてくれ」

「うん、看てゾルタン、はやく看て!」


 そう言ってシーカが上着を脱ぎ傷を見せる。傷は左腕上腕にあった。シーカ自身からは傷が見えにくい位置だ。深い傷ではない。だが、これは――。ゾルタンはシーカの視界を手で塞ぐ。


「ひどい傷だ。見ないほうがいい」

「えええええええ!」

「嘘だ。大した傷じゃない」

「むぅう!」


 シーカはゾルタンにからかわれてふくれっつらでぽこぽこ叩こうとするも、腕が痛むのか顔をしかめて傷口を手で抑えようとする。その手をそっと取り、傷に触れないようにする。


「傷口に触れてはダメだ」

「だめなの?」

「ダメだ。傷が悪化する」

「治るの?」

「治る。手当をしよう。だから傷には触れず、目を閉じていろ」

「うん、わかった」


 シーカのその返事を聞くと、ゾルタンは四輪バイクブリュンヒルデの荷から包帯を取り出し、傷を覆い隠していく。薬品も塗らずに。

 その後、予定通りそこで野宿することにした。シーカのケガのこともあるし、廃墟の奥深くまで入り込んでまた暴走ロボットに襲われるなんて展開は避けたい。


「シーカ、口を開けろ」

「あーん」


 スプーンですくったコーンスープをシーカの口に運ぶ。それを待って口を開けるシーカを見て、まるでエサを待つ雛鳥ひなどりみたいだなとゾルタンは思った。


「ねぇゾルタン、腕を動かしちゃダメなの?」

「ダメだ。治る傷も治らなくなる。それに動かすと痛いだろう」

「ゾルタンにあーんしてもらうの嬉しいけど、わたしもあーんしたい!」

「治ってからだ」

「はーい」


 ケガのせいかいつもより従順なシーカに、ほんの少し物足りなさを感じる。元気に振舞ってはいるが、やはりケガで弱っているのかもしれない。

 ほどなく夕食を終え、満足げな様子のシーカに寝袋を渡す。


「今日はもう寝ろ。栄養をとって寝れば傷は治る」

「ほんとに?」

「ほんとだ。だから寝ろ」

「ほんとにほんと?」

「ほんとにほんとだ。だから寝ろ」

「でも寝たくない。ゾルタンともう少しだけお話してたい」


 その言葉はゾルタン的に少し心惹かれるものがあったが、傷のこともある。今日は早めに寝てもらわなくてはならない。


「ダメだ。お話は明日だ」

「はーい……。おやすみゾルタン」

「おやすみ、シーカ」


 目を閉じ、眠り始めるシーカ。その頬に触れ眠ったことを確認したゾルタンは、四輪バイクブリュンヒルデからいくつかの道具を取り出す。シーカの寝ているうちに済ませなくては。ゾルタンは黙々と作業にとりかかった。



 翌朝。


「おはよう、ゾルタン」

「おはよう、シーカ」


 寝袋からにょっきり這い出たシーカと挨拶を交わす。睡眠は8時間以上とっているので十分なはずだが、傷のことが関係しているのだろうか。起きてすぐにシーカは包帯をほどき、腕をあげたり体をひねったりして自分の傷を確かめようと四苦八苦している。


「んー、よく見えないけど変な感じになってて、やだ」

「傷はもう塞がっている。しばらくすれば見た目も元通りになる」


 ケロイド状の傷跡を嫌そうな顔で眺めているシーカに、修繕した軍服を投げ渡すゾルタン。昨夜ちくちくと時間をかけて裁縫したのだ。そんな細かな作業には向いていない指なのでかなり苦労したが。


「ちゃんと食べて、ちゃんと寝れば傷も消える」

「んー、わかった。ゾルタンもケガしたときは、栄養とって寝たら治るの?」

「俺達はそれじゃ直らない」

「ならどうやってケガを直すの?」

「ちゃんとした設備がないと無理だ」

「じゃあゾルタン怪我したら、ずっといたいままなの!?」

「いや、痛みは……」


 ゾルタンに痛覚はない。せっかく機械仕掛けの身体だというのに、痛覚を搭載するなど意味がない。痛みを感じないことは、ゾルタン達が生身の歩兵よりも優れている点の一つなのだから。


「痛みは感じない。だから、傷つくことはつらくない。だが」

「だが?」

「だが、つらい痛みもある」

「痛みを感じないのに、痛みを感じるの?」


 よくわかってなさそうに首を傾げるシーカに、どう伝えたものかとアゴをなで考える。


「シーカが傷つき苦しむ姿は、見ていてつらい。心が、痛いと感じる」

「心が痛いのは治せないの?」

「痛みは、麻痺する。あることが当たり前のようになってしまう。心の傷は治らない。ずっと、残ったままだ」

「そうなんだ……」


 それを聞いてシーカは軍服を着込むと、元気よく両手を広げ満面の笑みを浮かべてみせた。


「それならわたし、もう痛いとか苦しいとか言わない! ゾルタンの心の傷、増やさないようにするから!」

「――――」

「わたし、いたいのやだもん! ゾルタンもいたいのやなはずだから、ゾルタンに苦しいって思わせたくない!」

「……そうか」


 なんだか気恥ずかしくなり、頬をかく。こんなとき、どう返せばいいのかゾルタンには分からなかった。ありがとうとでもいえばいいのだろうか。


「……朝食を終えたら、出発しよう」

「うん!」


 元気よく返事をして、支度を始めるシーカの後ろ姿を見ながら考える。

 正直なところ、ゾルタンは自分の体にいくつかの異常が起き始めていることに気づいていた。長年の整備不足や戦闘、長旅での負担ふたんがたたり関節部、特に脚部関節がガタガタだ。バイクでの移動なら脚部への負荷ふかは少ないからまだいいが、近接戦闘などしようものならひざ関節が割れかねない。


 ――整備工場なんて贅沢は言わないが、トリスタンの修復用マシンイゾルデイゾルデがあればな。


 ないものをねだっても仕方がない。

 とにもかくにも、この脚が動かなくなる前に、ビヨンド・ザ・ホライゾンへと辿りつかなくては。

 この子だけは、なんとしてでも送り届けなくてはならないのだから。


 二人の旅は続く。

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