第5話 どこにもいかないよ

 あの頃見上げた空は、いつだって気の滅入めいる色をしていた。

 今見上げている空のように。


 ――ここは、どこだ。


 気がついた時には、ゾルタンは戦場の真ん中で立ち尽くしていた。崩壊した無人の大都市を舞台に、多脚たきゃく型と人型の戦闘ロボットが戦う戦場の真ん中に。地平線を埋め尽くすほどの数で襲い来る多脚型。それを人型が手にした銃火器や内蔵兵器で迎撃げいげきしていた。

 人の声のない、銃撃と爆音だけが響く戦場。


 ――俺は、なぜここにいる。


 そう自問したことでゾルタンは思い出す。以前にも同じような疑問を抱いたことを。そうだ、それは初めての戦場でのことだ。たしか、その時の光景もこんなだった気がする。


 ゾルタンが見ている中、また一体大型の多脚型が大地に倒れた。フレームが歪み折れる瞬間の音は、まるでその多脚型が断末魔だんまつまの叫びをあげているかのようだった。

 それら多脚型を相手にしていたのは、ゾルタンと同じ姿をした機械仕掛けの兵士達だった。どいつもこいつも同じ姿で、違いがあるとすれば胸と肩にマーキングされた製造番号だけ。


 ゾルタンは自分の胸元を見る。着ていたはずの軍服は消え去り、手には機関銃、新品のようにピカピカな体にはTA-593とマーキングされていた。それが自分の名前。シーカと出会う以前の自分だ。


「――シーカ?」


 そうだ、シーカだ。ゾルタンは周囲を見渡し、その姿を探す。……いない。どこを見渡しても見えるのは死体と鉄クズと瓦礫がれきばかりだ。あの黒髪の後ろ姿はどこにもない。

 探さなくては。俺はシーカを探さなくてはならない。自分でも理解できない焦燥感しょうそうかんられ、ゾルタンは叫んだ。


「シーカ! どこにいるんだ!」


 そのとき、南の空から太陽が顔を覗かせた。いや違う、あれは――核だ。赤黒かった夜空は、一瞬にして昼間の空になった。遅れてやってきた衝撃波が、多脚型もロボット兵士もまとめてなぎ払った。


 ゾルタンはとっさに身をかばうも、いつまで経っても衝撃は来なかった。防御を解き辺りを見渡すと、ゾルタン以外何もいなかった。他の戦闘ロボットはまるで幻のように消えてしまっていた。

 いや、こんな場所にいる場合ではない、シーカを探さなくては。ゾルタンは手にしていた機関銃を投げ捨てると駆け出した。


 駆ける。駆ける。駆ける。戦場を、荒野を、廃墟を。あの黒髪の後ろ姿を探して、ゾルタンはひたすら駆けた。そうしてたどり着いたのは、崩れ去った住宅街だった。だが倒壊した集合住宅からは生命反応の一つも感知できない。


「シーカ!」


 もはや面影おもかげもないコンクリートの山でゾルタンはその名を呼ぶも、返事はない。そこでゾルタンは気づいた。当たり前だ、こんな場所にいるはずがない。シーカがいるとすればあそこしかないと再び駆け出す。


 やがてたどり着いたのは病院、だったはずの場所。そこはもうただの瓦礫の山と化していた。こんな場所まで攻撃したのかと愕然がくぜんとしながらも、ゾルタンはガレキの山を登っていく。


「シーカ、どこだ、シーカ!」


 ゾルタンは叫びながら瓦礫をどかし、土を掘り、“邪魔なもの”を投げ捨てシーカを探す。けれども見つからない。“邪魔なもの”が多すぎる。手に掴んだ、黒く焦げたそれを放り投げる。掘り起こしたそれはもう、十何体目だったか。


 それはもはや年齢も性別も分からないほど焼け焦げた、人間の焼死体だった。無数の焼死体に囲まれてゾルタンは膝をついた。


「どこだ、どこなんだシーカ」


 嘆くゾルタンの周囲には、いつの間にか起き上がっていた焼死体がたたずんでいた。誰とも知れない焼死体は、何かを求めるようにゾルタンへと手を伸ばす。無数の手につかまれ、暗い空の彼方へと連れていかれそうになる。


「邪魔だ、離せ、俺が探しているのはシーカだ、お前らじゃない!」


 焼死体の黒い手を振りほどき、ゾルタンは再びガレキを掘り出す。そうだ、シーカがいるならあそこしかない。この下に、きっとそれは――。


「シーカ!」


 瓦礫を押しのけた先、そこに地下への扉があった。ここだ。ここで間違いない。歪んだ鉄扉をこじ開け中へと入ると、眩しいほどの光が出迎えた。

 そしてその部屋の中心に、それはあった。その部屋の中心に置かれた一台のポッド。それこそゾルタンが探していたものだった。ここにシーカはいる。いたのだ。ここから連れ出して、二人で――。


「……シーカ?」


 いない。そこにはシーカの姿はなく、彼女が着ていたはずの軍服と、軍用ヘルメットシュタールヘルムだけが入っていた。そんなはずはない。ここにシーカがいないとおかしい。シーカはいたのに。ここにあの時、たしかにいたのに。


「シーカ! シーカ!! どこにいるんだ!!」


 そう叫ぶと同時、ゾルタンは再起動しおきた。

 周りを見渡せばそこはもうガレキと化した病院ではなかった。いやそうではない、そんなわけがないとゾルタンは記憶を整理する。昨日、自分はシーカとともにここで野宿をしたのだ。病院になど行っていない。


 今見ていた光景はなんだ、ついに頭がおかしくなったのか。いや、ただの記憶データの最適化中に見たエラーだ、そうに違いない。そう自分に言い聞かせゾルタンは立ち上がる。そしてシーカが寝ているはずの場所へ目を向け、凍りついた。

 いない。寝袋はもぬけのカラだ。慌てて時間を確認する。間違いなくまだ八時間経っていない。なのに、なぜいない。シーカはどこにいった。


「シーカ!」


 名前を呼ぶも返事はない。胸がざわつく。これではまるで、さきほど見た悪夢エラーの続きだ。

 いてもたってもいられず、ゾルタンは駆け出した。それこそ悪夢と同じように。


「シーカ、シーカ!」


 廃墟の中をゾルタンは駆ける。夢のようには速く走れず、何度も転びそうになる。何をしているんだと自分を叱咤しったしシーカを探す。

 何をしているんだ、なぜ目を離したんだ、ずっとそばに居続けると約束したのに。何度も何度も自分を責める。


 シーカを探すことに躍起やっきになっていて、足場がもろくなっていることにも気がつかなかった。踏みしめたガレキが崩れて、ゾルタンはバランスを崩して勢いよく転倒した。痛くはない。痛覚などないのだから。だがそれでも、立ち上がれる気がしなかった。自責の念に心が押し潰されそうだった。


「……シーカ、どこに行って――」

「あ、ゾルタン!」


 その声にゾルタンははっと顔を上げ、視線の先にカンヅメを両手に抱えたシーカの姿を見つけた。彼女は抱えたカンヅメを今にも落としそうな危なっかしい足取りで、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「見てっ、カンヅメたくさん見つ――」


 無数のカンヅメが床に落ちるけたたましい音が響く。気づいた時には、ゾルタンはシーカのその華奢な体を抱きしめていた。強く抱きしめれば壊れてしまいそうなその体が、まぎれもなく今この腕の中にあるのだと確かめるために。


「ゾルタン、いたい!」


 腕の中でシーカが抗議の声をあげるが、それでもゾルタンはシーカを抱きしめる腕をゆるめることはなかった。


「もう、ゾルタン!」

「シーカ、どこに行っていた」

「近くの建物の中に、探検に行ってたの!」

「どうして勝手に出歩いたりしたんだ」

「だってゾルタン、起こしても起きなかったもん!」

「シーカ」

「わたし――」

「シーカ!」


 ひときわ大きな声でゾルタンが叫び、シーカは黙り込む。


「お願いだシーカ。もう二度と、俺の前からいなくならないでくれ」


 ゾルタンの大声に最初は驚いていたシーカだったが、その言葉を聞くと腕から逃れようともがいていた手を止め、その手をするするとゾルタンの背に回した。


「どこにもいかないよ」

「ああ」

「勝手に出歩いてごめんね」

「ああ」

「わたし、もうゾルタンの前からいなくならないよ」

「……ああ」


 どれだけそうしていただろう。やがて二人は抱き合うのをやめると、手を繋いで歩き出した。

 この手はもう離すまいと、強く握り合って。


 二人の旅は続く。

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