第35話2月7日(日)その3
日の出前の海というのはなんて静寂に満ちているのだろう。太陽は水平線の下。まだ見えないその光がうっすらと空と海を照らす淡いグラデーション。静かな海のざわめきと風の音……その境地に辿りつくにはどうしたらいいのだろうか。何故おれはそちら側ではないのだろう。なぜおれはそれを見ている側なのだろうか。
巡る日常。毎朝行進を続けるサラリーマンの群れ。ザッザッザッ、行進の音。マリオネットのように操られているようだ。低賃金で何が楽しくて働く?なぜ生きていられる?大きな世界の中にある小さな囲い。窮屈な世界。おれだって同じだ。何が楽しい。巡る日常。友子と服を買いにデパートへと行く。高倉結衣との密会。アルバイト。友子とのショッピング。食事。高倉結衣とのキス。友子とのセックス。アルバイト。巡る日常。日の出、行進するサラリーマンの群れ。ザッザッザッ。夕日と空。暗い海は夜。帰宅するマリオネットのサラリーマンの群れ。ザッザッザッ。広い世界の小さな世界。「おれ、結婚するんだ」という友達。嘘の幸せ、嘘うそウソ……日々を消耗していく世界。意思すらない意思。少年時代の自分が今のおれを見ている。「これから先に何がある?」秋山の声。「絶頂を越えた後に生きている意味は?」「そんなもの自分で作るんだろ?」「この世界はあまりにでかすぎる。だから小さな世界にみんな逃げ込み、幸せでもない砂粒をみんな「幸せ」と言い切り、そう信じこむんだ」
横断歩道を歩く二人組の女子中学生。彼女らは溢れんばかりの笑顔で何やら楽しそうに会話をしている。その後ろにとぼとぼと曲がった腰をさすりながら歩く老婆。半ば下を向き、肉と皮膚は弾力と潤いを失い、光がない。この二組は違って見えるが同じだ。ただ時間が違っただけだ。あの中学生たちもいつかああなる。「生きる」とはなんだ。
しつこいほど繰り返される日常。友子とのキス。高倉結衣とのセックス。ショッピング。アルバイト。昇る太陽と沈む夕日。暗闇の中の希望の光のような星々。通勤する光を失ったサラリーマン。ワーカホリックの社会人。未来に絶望を見据え、光のない目を持つ社会人。街で騒ぐ若者。軽蔑の眼差しを向ける老人。煌くネオンとシャッターの下りた商店街。全ては同じものであり、全て意味のないもの。ただ時間だけが確実に過ぎ、年老いていく。
さよならモラトリアム @mizukawas
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