第六話 月が笑っている
街のイルミネーションが心をワクワクさせてくれる。どこかの店から流れてくるクリスマスソングを一緒に口ずさむ実智子だった。少し声を出し過ぎたことに気付き肩をすくめた。以前の実智子なら考えられないことだった。この時期が嫌でテレビも見なければ極力人込みを避けていたのに今は街にいるカップルにさえ微笑むことができる。まだ金銭的に独り立ちすらできてもいなければ、仕事で一人前にもなってはいない。それでもなりたい自分を思い描き一歩ずつ自分の足で歩めることに誇りと自信を得られていた。
大きなクリスマスツリーに歓迎されいつものバーに実智子は入る。少しだけ緊張を覚えた。いつもより派手やかな感じの真奈美の笑顔にその緊張もいつの間にか解きほぐされる。
「すみません。お待たせしてしまって」
「私が少し早く来すぎてしまったのだから気にしないで」
「もう半年近くにもなるのね。うちで働くようになって」
「はい、あっと言う間でした」
「あなたには本当に色々なことがあったものね」
「はい、目まぐるしかったです」
「こんなに近くで変身していく大人の女性を見られるなんてね」
「なりたい自分になろうと思えたことが大きいです。真奈美さんと春香さんのお陰です」
「個性的過ぎる二人だからね。あまり参考にしない方が良いわよ」
「参考にするというよりは、私は私の理想を思い描こうと足掻いている感じです」
「本当に参考にはならないものね」
「はい」
「はっきり言ってくれるわね」
「ごめんなさい。また待たせてしまったわね」
春香がいつもの通り息を切らして入ってくる。静かな雰囲気がコロッと変わる。いつの間にかBGMもラテン音楽が流れている。
「大丈夫ですよ。若手二人でお話していましたから」
「おばあさんは邪魔者かしら」
「そんなことないですよ」
「そうですよ。春香さんのお陰で私は変われたのですから」
「私のお陰?」
「そうよね。だって最初からズケズケと家族の話をさせて、傷つくようなことも平気で言われて、十分に刺激的だわよね。私も最初は面食らったものだわ」
「真奈美さんも?」
「そうよ。だけど不思議なものでズバリ指摘されると心が軽くなる」
「わかります。それ、何だか占い師みたいですよね」
「占い師みたいって私も思っていたのだけれど、最近は魔女に近くない?」
「魔女?そうですね」
実智子は笑いを堪えるのに必死になる。
「何よ。二人して言いたいこと言って。事務所でも最近魔女って陰で呼ばれているのよね」
「陰で言っていても気づいてしまうのだから、やっぱり魔女だ」
「はい」
「もうやめて」
「ねえさん怒った?」
「怒っていないわよ」
「すみませんでした。いい気になってしまって」
「本当にあなた変わったわね」
春香は実智子を頭の先から爪先までじっくり観察する。
「はい。でも状況は何も変わってはいないのですが」
「状況なんて考え方次第よ」
「考え方次第?」
「そう、結婚しているから幸せだとか、子どもがいないから不幸だとか、巷の声はあるけれども結婚したら幸せになれるわけでも子どもがいれば幸せになれるわけでもないじゃない」
春香節がさく裂してくる。
「子どもに振り回されるケースもありますしね。私の母ですが」
「その後、お母さんはどうなさっているの?」
「元気で外出しています。家でフランス語を教えるようにもなって」
「それはすごい」
「はい、フランスもフランス語も好きみたいで、ボランティアで近所の人に教えています」
「お母さんの方がもっと変わったのかもね」
「全くです」
「実智子さんは子どもが欲しいでしょう」
「やっぱり魔女ですね。はい、少し前までは」
「今は違うの?」
黙っていた真奈美が口を開く。
「子どもがいないのだからその分着飾ってやろう、じゃないと子どものいる人に敵わないからっていう思いが強かったのです」
「子どもが欲しいというのとは少し違うようね」
「はい。でも子どもを利用しようとしているのは一緒で子どもがいる、いないを意識していたということですかね」
「子どもがいる、いないが女カーストでは重要だからね」
「実智子さんは女カーストに囚われていたのね」
真奈美がしみじみと言う。
「そこがあなたとは違うのよ」
春香の断言に真奈美も頷く。
「私は子どもはいらないって高校生の頃から考えていたのよね。漠然とだけれど」
「そんなに若い頃から?」
「そう、姉に子どもが生まれてその子たちを可愛がって、それで十分だと思ってもいて」
「一度も子どもが欲しいとは思わなかったのですか?ダニエルさんとは?」
「彼とは四十歳を過ぎてからも子供について話し合ってはいたの。彼は子どもが好きだしね。でも私の意志を尊重するって言ってくれてね」
「それも何だか素敵ですね」
「そうかしら。勝手な大人同士のカップルってだけよ」
「今になってやっと私は、子どもがいないのだから着飾ろうではなくて、子どもがいないのだからもっと自分を大事にしてちゃんと自分を生きなくてはと思いました」
「子どもがいたほうが良かったのかもしれないと、ふと考えることもあるけれど、事実として授かれなかったのだから悩む前に楽しまないとね」
「そうよ。負け犬の遠吠えと言われようが楽しんだもの勝ちよ」
春香の言葉に二人とも心から頷いていた。
「あの、写真のことなのですが・・・」
実智子は恐る恐る言う。
「そうね、今日はそのことで集まったのだから私も覚悟を決めています」
「私の写真はこれです」
見覚えのある写真に真奈美は息をのむ。薄々感づいていたとはいえ衝撃を覚えた。
「やっぱり同じね」
真奈美の出した写真に実智子も春香も言葉が無かった。
「本当にねえさんは魔女ね」
「春香さんが私たちを導いたのですね」
「偶然よ。でもちょっとドキドキしてくる。私がここにいて良かったのかしら」
「二人だけだと何を話していいかわからなくなるから呼んだのですから」
「いつ頃から気付いていたの?」
「私は実家に母の従弟という人が訪ねてきた時ですかね。その前に実智子さんからお父さんの写真のことを聞いていたから。でもその時はそうだったらドラマチック、なんてふざけて考えていただけですが」
「私は全く想像すらできませんでした」
「私の母の写真のことは言っていなかったからね」
「真奈美さんのご実家の住所を知って、それで春香さんに相談をして・・・」
「私の妹になるのね」
「はい、半年違いの」
「これからどうする?」
春香の質問に二人は戸惑う。
「どうするって?」
「姉妹だってわかって仕事は続けられるの?」
「私は少し前から妹だったらそれはそれでいいかなって思っていたから構わないけれど」
真奈美は優しい笑顔を実智子に向ける。
「私もお姉さんだとしたら凄く嬉しいなって思っていました」
「それなら問題ないわね」
「ただ、母には勿論、弟にも伏せておきたいのですが」
「弟さんにも?」
「いつかは話すかもしれませんが、今はまだ・・・」
「私も今の両親や姉には言わないつもりよ」
「今更だしね。それにDNA鑑定でもしない限り真相は闇の中だもの」
「え~、魔女なのに真相は闇の中って、春香さんズルいですね」
「確信的なことは言わないのよね。ねえさんは。でも、母が残した写真の本当の意味は解らずじまいですからね。もしかしたら別に付き合っている人がいてその人の子かもしれないし。あの写真はカムフラージュのためだったとか」
「深読みし過ぎだと思うけれど、無いわけではないわよね」
「そうか、そうですね。父の残した写真もただの処分し忘れかもしれないし」
「まあ、じゃあさ、とにかく今の私たちに乾杯しましょう」
「はい」
「はい」
「乾杯!」
ジントニックの苦味と甘みが心地よく喉を通りぬける。実智子と真奈美は同時にそれを楽しんでいた。
外に出るとイルミネーションの陰で見えなくなっていた月が顔を出していた。
「あっ、月が笑っているよ」
春香の大声に実智子も真奈美も声を出して笑っていた。
「どういうこと?」
「三日月だから?」
「あんた達、もっと情緒を養いなさい」
実智子は大人になって初めて月を見上げていることに気が付いた。
「ほら、カラオケ行くぞ!」
「ねえさん絶好調!」
「あっ、待ってください」
実智子は二人の後を心弾ませながらついて行った。
月が笑っている たかしま りえ @reafmoon
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