第五話 真奈美の出生の秘密
春香にしては珍しく、先にいつものバーで飲んでいた。
「ねえさんお待たせしちゃったかしら。ごめんなさい」
「いいのよ。私もさっき来たところだから」
「最近色々あって。ご無沙汰してしまいました」
「色々って?」
ジントニックで喉を潤す。少しだけ黙り込む真奈美だった。
「実の父親のことで・・・」
「あなたが生まれる前に亡くなったって言っていたわよね」
「はい、そう聞かされていました」
真奈美は毎月一度は実家に帰っていた。養父が足を悪くし個人商店だった魚屋は廃業し、姉が夫と同じ場所で居酒屋をやっていた。
客商売が好きな養母は時々店に出て手伝っているが真奈美が帰ると店には出ずに真奈美の好物を料理してくれる。母親が店に出ることを減らしたい姉は真奈美が帰ることを大歓迎してくれた。夕飯が終わり養父はお酒を飲んで寝てしまい、姉の子どもたちは自室にこもった為、養母と二人きりになった。
「真奈美、ちょっと話があるのだけれど」
「なあにママ」
真奈美は実の母を『お母さん』と呼び、育ての親は『パパ』『ママ』と呼んでいた。姉がそう呼んでいたからだ。
「明日ね、お客さんが来るから」
「誰?私の知っている人?」
「あなたは初めてよね。あなたのお母さんの従弟に当たる人」
「それってパパのことでしょう。パパはお母さんの従弟よね」
「あなたのお母さんのお父さんつまりあなたのお祖父さんの兄がパパの父親だけど、あなたのお母さんのお母さんつまりあなたのお祖母さんのお姉さんのお子さん」
「お母さんの母方の従弟ってことね?」
「そうそう、パパはあなたのお母さんの父方の従弟だからね」
「そう言えば、お祖父ちゃんの実家はここだからは昔から知っているけれど、お祖母ちゃんの実家って考えたこともなかったわ」
「あなたが生まれてすぐにお祖母さんが亡くなられたからね。お祖父さんはよくここに生まれてすぐのあなたを連れてきていて、だからあなたはここで生まれたのも同然なのよ」
「お母さんの背中よりお祖父ちゃんの背中を覚えているわ」
「お母さんが働いていたからね」
「で、その人がどうして急に?」
「先日電話があったのよ」
「何て?」
「あなたのお父さんのことだって」
「お父さんのことは亡くなったって・・・」
「そう、私もそう聞いているわ。写真だけが一枚あるだけで名前も聞いていないけれど」
真奈美はその写真を時々こっそり見ていた。
「あなたのお母さんは病気になってからよくここに一人で来ていたわ」
「そうだったよね」
「本当はバーテンダーとして独立してお店を持ちたかった、とか、病気にならなければこの町で居酒屋を営みたかった、とか、夢を語っていたのよ」
「うん、それはママが昔から話してくれているから知っている」
「自分のことは話していたけれどもあなたのお父さんのことは話したがらなかった。私はあなたに話さなければならないと思っていたから問い詰めたこともあったのだけれど」
「そうなの?」
「私、高校生の時、ママを問い詰めちゃったわね」
「信じてもらえなかったかもしれないけれども、本当にあなたのお父さんのことは何にも知らなかったのよ」
「信じていたわよ。知らないのだなって」
「本当は知りたかったでしょう?」
「うん、でもお母さんが言いたがらなかったってことは知らない方がいいのかなって」
「調べようと思えば調べられたのかもね」
「私も働くようになってからそう考えたこともあったわ」
「そうなの?」
「うん、でも忙しかったのもあるけれども真実を知って私自身が変わってしまうことが怖かった」
「私はあなたのお父さんが出てきて返してくれって言わることを恐れていたから」
「私のパパとママはここにいる二人だけよ」
「あなたはいつもそう言ってくれるわね。ありがとう」
真奈美のジントニックは既に三杯目になっていた。
「お母さんの従弟という人が突然家に来たのね」
春香はウイスキーのロックをグイッと飲み干し、お代わりをジェスチャーでしながら話を続ける。
「はい、そして私が持っていた父親の写真と同じ写真を持っていました」
「そうなの」
「その人は母が勤めていたバーの経営者でもあって、その人の後輩の友人というのがどうも私の父親のようで、母がバーテンダーの時のお客様だったそうです」
「不倫の子ってことね」
「呑み込みが早いですね。その通りです。ハッキリ言われるとむしろ心地良いです」
「愛の結晶ね」
「気を使わないでください。高校生くらいの時だったら嫌だったかもしれませんが、アラフォーにもなればちゃんと受け止められますから」
「そうなの?」
「ちょっとは動揺しましたが」
「そのお父さんはあなたの存在を知らなかったのかしら」
「そのようです。本当、何でもわかってしまいますね」
「だってさ、今まで誰も調べなかったってことはそれしかないじゃない。その人が亡くなって写真が出てきたってことでしょう」
「全くその通りです。数か月前に亡くなられていて、その人のお子さんが写真を見つけたことで私があぶり出されたという」
「その写真がなければ秘密は秘密のままだったわけか」
「私の実の父と母は同じ写真を持ち続けていたというわけです」
「素敵なお母さんだったのね。好きになった人には家庭があったからその家庭は壊さないように一人で子どもを産んで育てる。そう決意をして誰も恨まずあなたを愛して。なかなかできることではないわ」
「そうですかね。母は私をお腹に宿しバーテンダーとして独立することを諦めた。私を育てることで無理をしたから病気になって次の夢であった居酒屋を経営することもできなかった。私さえ産まなければ母は・・・」
「あなたという愛の結晶がお母さんの全てだったのかも。それだけお父さんを愛していたってことかもね」
「そんな愛、悲し過ぎます」
「でも、自分のことは二の次にできるほど誰かを愛せるのって女としては本望じゃない?」
「私は自分のことが一番でその次が彼かな」
「あなたは女とは違うから」
「じゃあ、何なのですか?そう言うねえさんは?」
「私はね二十代で不倫をして肉欲に溺れてしまった。そこに愛なんてなかったの。今思うとね。私は愛することにも愛されることにも向いてはいなかったのよ。今では犬が生き甲斐だし」
「ねえさんも女ではないと?」
「あなたも私も仕事で自己実現することの方に関心があるでしょう?」
「そうですね」
真奈美は自分の生き方と母の生き方を比べずにはいられなかった。今こうして独り立ちをしているのは生みの母の影響かもしれない。母親とは真逆の生き方を選ぶことしかできなかった。子どもを産むことも頑なに拒絶をし、ひたすらに自分のなりたい姿を追い求めてきた。
「それで、その家族のことは?」
「まだその家族の詳しい状況は聞いてはいません。もし聞きたかったらその方に連絡することになっていて」
「知りたい?」
「知りたいような、知りたくないような」
「まだ混乱しているのかもね。時間をおいたら?」
「はい。何だかねえさんに話しをしてちょっと頭が整理されました」
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