第175話 この女性を乗せた救急車が

 この女性を乗せた救急車が再びサイレント鳴らし、走り出した。その救急車を見送った発見者と警察官。

「爺さん、迷惑をかけたな。もう行っていいぞ」

「いや、それにしても、一体なにがあったのでしょうな?」

「さあな……、怯えて会話もできない。相当ショックなことがあったんだろ」

「相当ショックなことって?」

「あのな、爺さん。こういうことにあまり首を突っ込まないほうがいいぞ」

「そんなこと言われても気になりますよ」

「まあまあ、この爺さん、第一発見者だしね。まあ、私たちの経験上こんなところじゃないかと考えているんだけど……。だから爺さんもこのことを人に話しちゃだめだよ」


 そう言って年配の方の警察官が話し出した内容は……。

 あの女の服装はいわゆるコスプレというやつで、きっとこの辺りでそう言ったイベントかオフ会みたいなものがあったのだろう。カラコンまで入れてあの女の子、相当気合が入っていたんじゃないか? 気合を入れた甲斐があって、あの乙姫様のコスプレをしたあの女はイベントで男たちにちやほやされ声を掛けられたに違いない。

 そして女はあの丸山島に誘い出されたんだ。例えば、イベントにふさわしい「竜宮城の入り口伝説」があるとか言ってな。そこで女はレイプされた。そのやり方があまりにひどかったんだろう。複数で弄ばれたのかもしれない。その後、男たちは女を置いて戻ったんだろう。干潮でやっと帰れるようになって、女はここまで歩いてきたっていうところだろう。

 あんなところに一人置き去りにされた女はショックで口も聞けなくなった。ひょっとするとひどい目にあって、一時的に記憶も失くしているかもな。

 まっ、あくまで想像での話だ。年配の警官はそう言って話を締めくくった。


「恐ろしい話じゃ。今ごろの若者は……」

「なに言ってんだよ。爺さんの若い頃にはまだ夜這いなんて風習があったんじゃないの?この辺って田舎だからさ」

「そんなものはないわい!」

「まあまあ、そう言った訳で、あまりこういった話が噂にあがるのは、観光地としては良くないわけでな……。被害者のこともあるし……。くれぐれも今日のことは……」

「ああっ、わかっちょる。あくまで仮定の話じゃしな。そうじゃなきゃいいじゃが……」

 男はパトカーに向かう警官の背に向かって声を掛けた。


 そして、男はとても釣りをする気分にもなれず、釣り道具を片付けてそそくさと家に向かったのだ。


◇◇◇


 丸山島で女性が彷徨っていた夜、飛鳥地方にある大和三山の一つ、天の香久山で、新月で真っ暗な闇夜の中、発光現象が起こっていた。山に雷を発するように稲光が走り、何度も何度も、光の柱が天に向かって立ち上る。科学的にはプラズマ現象が起こったとでも解説されるのだろうが、天の香久山は、この地方では、天から降った山だと三山の中で最も神聖視された山であった。

 その山頂には、日本の根元神である國乃常立命(くにのとこたちのかみ)が祀られ、天照大神がお隠れになった天の岩戸隠れの伝承地としての天の岩戸もある。

 当然、その地方に住んでいた人たちは、再び天の岩戸が開かれたのだと大騒ぎになっていた。そんな騒ぎの中、立派な純日本風の屋敷の縁側から、これまた贅を尽くした日本庭園の庭を通して、この現象を見ていた旅館の女将のような女性が、この発光現象に驚き、慌てて電話を掛け始めたのだ。


「もしもし、彩、まだ起きてた?」

 女性の電話の相手は、心霊スポット研究会の藤井彩であった。

「なんなん? おかーんか」

「あんた、また、そんな言い方して! ちゃんとお母さまと云いなさい」

「はいはい、相変わらずお高く止まってるところがうちの家族らしいわ。いけすかん!」

「彩、うちはね、奈良時代から続く藤原鎌足の直系なの。それに代々日本の政治に係わって来た日本でも有数の名家なのよ。あなたにはその自覚が足らないわ」

「昔はそうかも知れんけど、今はただの県会議員で土建屋のおっさんやん」

「土建屋って、立派な建設会社よ。いや、もう規模からいうとゼネコンだわ。まあ、私も嫁いできた時にはこの雰囲気に馴染めなかったんだけど……。あなたもこの雰囲気が嫌で家を出たんでしょ。ところで、そっちのおじいちゃんとおばあちゃんは元気にしてる?」

「元気、元気。こないだも小遣いもろうてきたん」

「また、そんなことして……。ちゃんと仕送りしてるでしょ。そんなことより、今、天の香久山が暗闇に浮かび上がっているのよ」

「暗闇に天の香久山が浮かび上がるやて?」

「そう、まるで山自体が発光するように、何度も何度も稲光が走ってるの!」

「それって……」


 彩が生まれた頃、この辺りにはまだ呪術師がいた。歴史の影に存在し、決して表に出ることはなく、政治の方向を占っていた人たち。彩が生まれた時、当然、これらの呪術師たちの中には藤井家御用達の者たちがいて、生まれたばかりの彩の行く末を占っていたのだ。

 その呪術師が、彩の産まれた時に読んだ和歌『片割れと 機を捕えて 大儀成す 闇夜に輝く 天の香久山』は、彩の未来だけでなく、この藤井家の未来まで暗示する歌として、藤井家ではその意味を解くことが重大な課題となっていた。

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