第3話 俺は文学部棟の入り口で

 俺は文学部棟の入り口で沢井さんに別れを告げようとした。

「それじゃあ」

「ええっ、じゃあ今日はお願いします。五時前にここで待っていればいいですか? あっ、不測の事態に備えて、携帯のアドレスを交換しておきましょう」

 なんて、うれしいことを沢井さんは提案してくれるのだ。俺の携帯に初めて女性の携帯番号が登録された。

 そして、テストと称してすぐに俺の携帯にメールを送信してくれた。

「今日はありがとう。コンパ楽しみです」

 俺は初めて女の子から来たメールをニヤニヤしながら何度も読み返してしまった。

 そして、さんざん悩んだ挙句、気の利いた返事が思い付かず、返信をすることを諦めた。

 決心したチャラ男になることはまだまだ先になりそうだ。



 俺は、その後、法学部のオリエンテーションに参加して、必要単位の取得や科目の専攻について話を聞いた。その場に一緒にいるのは高校時代の同級生だ。

 オリエンテーションが終わった後、俺たちは先輩に聞いた話を参考に、ロビーに在った椅子に腰かけ、あーでもないこうでもないと無駄話に花を咲かせていた。

「一般教養は、まずは、先輩から楽勝と言われている科目を専攻するだろ」

「で、それはどれなんだ」

「まあ、この先生とこの先生だな。この先生は、おいしいカレーの作り方をテストで書いたら単位を貰えたらしい。それでこの先生は、処女に関して研究しているらしくって、まあ、そういうことだ」

「お前、なに言葉を濁しているんだよ。よくわからないじゃないか?」

「だから、処女の落とし方だよ」

「自信満々ってことは、お前、童貞じゃないわけ?」

「ばかやろう! 俺とお前は同じ高校だろ……」

「ま、そうだな。女にうつつを抜かしている暇はなかったな」

 どんよりした空気が漂う。

「じゃあ、この教授、俺たちにはハードルが高くないか?」

「「「……」」」

「ははっ、後は教科書持ち込み可の教授と出席だけしておけばOKの教授がこれだ」

「なるほど、そうなると必修単位の半分はいただきだな」

「そういうこと。後は専門学科なんだが、一緒にこの先生取らない?」

「なんで?」

「いや、なんか法倫理とかは俺の性に合ってないんだ。それより比較憲法とか」

「そうだな。民法とか刑法、専門の法律よりは、憲法の比較の方が、分かりやすいか」

「だろ、倫理なんてどう考えても結局個人の問題じゃん」

「いや、マッドサイエンティストを取り締まる法は必要だろう」

「バカ、この教授のゼミは、尊厳死についてだ。安楽死は今の法律じゃ殺人罪。延命治療をしないで見逃せば、未泌の故意の完成だ」

「死の定義を根本から考え直さないといけないんだ」

「あっ、なるほど、確かに死の定義がダブルスタンダードになるんだ。だから法律を変えて死の定義を考え直さないといけないんだよな」

「生きる屍は、生きているのか死んでいるのか? だよな」

「じゃあ、人間がゾンビみたいに生き返ったら、死の定義が根本からひっくり返るな」

「ばか言うな、そんなことが現実にあるわけないだだろう! 法の想定外だ。」

 俺は、ゾンビの復活について思い切り否定する。俺は心霊現象など一切信じていないのだ。

 履修する予定のない授業の話など、早々に切り上げ、残りの時間割について話を戻した。

「よし、必須科目は仕方ないとして、選択科目はあと3コマか?」

 そこまで話して、俺は選択科目の中に、文学部と同じ講義を受けられる科目を見つけた。

 そういえば、沢井さんはどんな科目を履修するんだろう。うまくいけば、同じ講義を一緒に受けることができるかも知れない。

 俺のほほが緩んだのだろう。連れが俺に向かって質問を投げ掛けてきた。

「なに、ニヤニヤしているんだ。入学式でかわいい子でもいたか?」

 おっと、沢井さんのことを考えていると自然にほほが緩むな。

「あっ、なんでもない。お前らはどうだったんだ?」

「いやあ、さすが三大ブスの産地と言われるだけのことはある。目を引くようなブスばっか。美人はいなかったな」

「そうそう、サークルのお誘いも大分受けたけど、こちらから入ってやろうっていうサークルはなかったな」

「でも、誘われた新歓コンパには行くんだろ?」

「まあ、ただ酒が飲めるし、お姉さんたちとも大人の付き合いができるかもしれないし」

「そうだよな。あれだけ熱心に誘われたらな、何か期待しちゃうよな」

「ところで、沢村お前どこにいたの? 俺たちの高校出身者は大体固まっていたんだけどな」

「そうなのか。俺は気が付かなかったな。単独でぶらぶらしていたよ」

「お前、見た目、柄悪いんだから、一人でふらふらするな!」

「杉本、別にいいんじゃないか。沢村が一人でいて声を掛けてくるサークルなんてないだろう。抜け駆けなんてありえないって」

「まあ、それもそうだな。沢村、ちょっとしたことでもすぐにキレるし」

「だろ? 沢村」

「ああっ、その通りだ。誰一人俺を勧誘してくるサークルはなかったな」

 俺は、心霊スポット研究会のことは連れには黙っていることにした。確かに入学式でみた女たちより、藤井さんや沢登さんの方が、断然高偏差値だ。ある意味こいつらと行動を一緒にしていなくてよかった。

「だったらさ、俺たちミーハーぽいサークルに勧誘されて、今日、新歓コンパに行くんだけど、沢村、お前一緒に来る?」

「いや、俺はいいよ。俺この後用事があるし」

「まあそうだよな。お前にミーハーは似合わない。野球部だって肩を壊したのに最後までいたもんな」

「なに、言ってんだよ。俺は内申が欲しくて続けていただけだよ」

 そうなんだ。俺は高校ではピッチャーをやっていた。マックス140km。そこそこ県内では名前も知られていたんだが、連戦連投で、三年の春に肩をこわし、夏はベンチ要員だった。もっとも、肩を壊そうがそうでなかろうが、所詮公立高校、甲子園には一歩も二歩も届かなかったんだけど。

 肩を壊した時点で即引退、受験勉強に一直線という選択肢もあったんだが、小さいころから野球しかなかった俺には、野球を見捨てるようでできなかったんだよな。進学校の奴らにはこんな気持ちはわからないだろうな。

「まっ、そうゆうわけだから俺たち楽しんでくるわ。一応誘ったから後で文句をいうなよ」

「ははっ、それはないない。みんな楽しんできてくれよ。一応戦果があったら後で報告しろよ」

「ああっ、楽しんでくるぞ」

「がんばれよ! 俺も用事があるから行くわ」

 俺は後ろ手に振って、彼らに別れを告げる。彼らは思い思いにどこかに行ってしまったようだった。

 俺は時計を確認した。四時五〇分そろそろ約束の時間だ。俺は文学部棟に向かって歩き出したところで携帯が鳴った。携帯をポケットから出して確認する。

 メールの着信のようだ。メールを確認するとなんと沢井さんからで、内容は「まだ、来れない?」とのことだ。うーん、待たせるほど時間に遅れていないはずなんだけど? 俺は、メールの意味が分からずに、文学部棟に向かって走り出していた。



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