第16話 女王陛下の海軍、その末裔たち

2021年11月2日(火)

大西洋・トリスタンダクーナ島沖


『艦長、今朝の速報です。やはり第3次流行が始まっていることは間違いないようです。

 シティロンドンで感染者はすでに1000人を超えており、内閣はロックダウンの検討をはじめた模様です。ヨーロッパ各国と米国でも流行が始まったとのこと』

「そうか……我が艦隊の体調不良者について注意を払うように。試作段階だという新型コロナウィルスワクチンの手配は間に合いそうなのか?」

『最優先で回してくれるとのことです』

「ありがたいな」


 HMSプリンス・オブ・ウェールズの艦橋で荒れる大西洋の波を眺めつつ、艦長のヒューストン大佐は僅かに口元を不安の色にゆがめた。

 彼が乗り込むHMSプリンス・オブ・ウェールズはクイーン・エリザベス級空母の2番艦である。同級はイギリス海軍に就役した新世代のSVTOL空母であり、原子力空母ほどではないが、軽空母と呼ぶには巨大すぎる艦体を誇っている。

 排水量は実に満載70000トン弱。飛行甲板1つとっても約280メートルと、第二次世界大戦期究極の空母と呼ばれたミッドウェー級に近い。


 もっとも、冷戦期ではないのでプリンス・オブ・ウェールズ級が発艦させるのはF-4ファントムでもなければ、シーハリアーでもない。短距離離陸・垂直着陸STOVL式のステルス戦闘攻撃機であるF-35Bをおよそ40機配備しており、大型艦載ヘリコプターのAW101マーリンも10機前後が搭載可能だった。


(我が『プリンス・オブ・ウェールズ』と旗艦の『クイーン・エリザベス』でF-35Bがざっと80機か……)


 それは米海軍のような規格外を別にすれば、2021年の世界でも一級の打撃力と言えた。

 もっとも、米海軍と並ぶ規模を誇った偉大なる英国海軍の陣容はもはや無い。すなわち、『クイーン・エリザベス』と『プリンス・オブ・ウェールズ』の2空母はイギリスにとって最新・最新鋭の空母であり、全空母戦力であった。


(大艦隊と呼ぶにはいささか寂しい時代になってしまったな)


 喜望峰を回って極東アジアへ向かう英国艦隊はデアリング級駆逐艦4隻、デューク型フリゲート4隻を加えた10隻に過ぎなかった。それでも、極東では北朝鮮の瀬取り監視に参加していたアルビオン級揚陸艦が合流することになっているため、最終的には11隻である。


 かつては世界の海を制し、幾百もの艨艟もうどうを擁した英国海軍!

 しかしその力はもはやアジアの中進国と変わらない。これが日の沈まぬ帝国の没落であり、時代の変化が強いた必然なのだ!


(などと……何も知らない経済記者あたりは言うのだろうか?)


 だが、違う。

 こうして艦橋から目に見えるものは、双眼鏡に目をこらして見えるものは、英国海軍の能力その一端に過ぎないのだ。


 11隻の艦隊の前後左右、あるいは遠く離れた哨戒線ではトラファルガー級・攻撃型原子力潜水艦2隻、そして最新鋭のアスチュート級・攻撃型原子力潜水艦3隻がその獰猛な牙を海中で光らせている。

 本国近海に存在するヴァンガード級戦略ミサイル原子力潜水艦と共に、これらの原子力潜水艦隊こそが現在の英国海軍の要であった。


(中国海軍など我々だけでも十分なくらいだ)


 ヒューストン大佐は潜水艦出身ではないが、繰り返された訓練の結果と厳重に秘蔵されている『本気』の能力を知り得る立場にある。

 特にアスチュート級攻撃型原子力潜水艦のそれは、世界一であると彼が信じるところであり、いざとなればF-35Bの出番なしで中国海軍の主要艦艇を一方的に全滅させることも可能であると考えていた。


『失礼します艦長。旗艦『クイーン・エリザベス』から連絡です。

 予定通りマダガスカル沖でフランス艦隊と合同部隊を編成します。それに先だってフランスより潜水艦隊の共同訓練を実施したいとの意向があるようです』

「なるほど、もっともなことだ。味方同士で撃ち合いになっては大変だからな」

『ええ、まったくその通りだと考えます』


 通信担当の士官が手にした小型のタブレットには、暗号化通信を解読したテキストメッセージが表示されていた。遠い時代ならば、気送管ニューマチック・チューブで送り届けられた電文といったところである。

 どうやら艦隊直衛のアスチュート級・攻撃型原子力潜水艦1隻を残し、その他の全潜水艦をインド洋まで先行させて訓練を行うらしい。


「聞く話では……今回の戦いには台湾海軍やオーストラリア海軍の潜水艦も参加するらしいが、誤射の危険には重々注意せねばならんな。

 対潜戦術士官、何らかの対策はあるのかね?」

『データは提供してもらえることになっていますが……やってみないと分からないところはあります。

 おそらく通常型潜水艦は交戦海域には侵入しない運用になるかと思われますが』

「それしかないだろうな。いくらデータがあるとはいえ、はじめての相手が敵か味方か……海の中で100%わかるとは思えん……」

『自分はフランス海軍の潜水艦部隊はよく知らないのですが、彼らは頼りになるのでしょうか?』

「どうかな。最新鋭のシュフラン級が1隻と前級のリュビ級が2隻参加するというが、リュビ級は2000トンクラスの小型艦なんだ」


 フランス海軍の攻撃型原子力潜水艦は歴史的経緯もあって少々特殊である。

 イギリス海軍最新世代であるアスチュート級はおよそ8000トンの巨体を誇るが、フランス海軍の最新鋭シュフラン級は5000トンしかない。

 この大きさはイギリス海軍の前世代・トラファルガー級とほぼ同等であるが、フランス海軍の前世代リュビ級の2000トンという大きさは、第二次世界大戦時の潜水艦とさして変わらないのである。


(むろん、潜水艦であろうと駆逐艦であろうと大きければよい、というものではないが……)


 原子力潜水艦のように『潜りっぱなし』を大前提とする艦種にとって、その大きさは重要である。

 ヒューストン大佐は米海軍のシーウルフ級やバージニア級攻撃型原子力潜水艦も見たことがあるが、おおむねアスチュート級程度の大きさ━━つまり8000トン前後はあったし、中国の攻撃型原子力潜水艦も似たようなサイズであるという。


(とすれば、頼りになりそうなのはシュフラン級の1隻だけだが、就役したのが今年になってからというのではな……)


 学校を出たての新米もいいところであった。まともに活躍してくれるとはなかなか考えられない。


 もっとも、英艦隊の直衛として残るアスチュート級4番艦『オーディシャス』も就役は今年の1月である。従って艦としては同じ新米同士であるのだが、そこは同型艦が既に存在する強みで事前にシミュレーターでの訓練は万全であり、しかも現在ドッグ入りしている2番艦『アンブッシュ』の運用チームが乗り込んでいる。

 乗員の練度という意味で、不安はまったくないといえるだろう。


「どこの海軍でも今の時代は変わらんのかもしれんが……我が英国海軍もこれ以上の体制縮小は御免被りたいものだな。

 こういう時に出動するのが難しくなる」

『そうですな。金払いが渋い議会にも少し考え直してほしいものです』

「そのためにもせいぜい大勝利してプロパガンダに貢献したいものだよ」


 情勢不安が伝えられるスエズ運河ルートを避けて、喜望峰周りの大航海。それは遠い昔にロシアのバルチック艦隊が行った大遠洋航海にも相当する距離である。


(だが……あの時のロシアとは違う。そして、あの時のイギリスの栄光はまだ生きている)


 英国にはいまだ友好国や同盟国が保持する補給地点が世界中にあり、孤立無援のバルチック艦隊とは天と地ほども違う航海が保証されていた。


(必ず勝つとも。ロイヤルネイビーの能力を世界に見せつけてやる)


 目を閉じれば、いまだ見ぬ南シナ海の光景が脳裏に浮かぶ。

 そこでは炎を吹き上がらせながら沈みゆく航空母艦の姿がある。未来予知めいたその映像で撃沈されているのが中国海軍の空母なのか、あるいはフランス海軍の空母なのか、よもやロイヤルネイビーや米海軍のものなのか。


 それはまだヒューストン大佐にも、神にすら分からなかった。

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