第14話 『永』劫に『暑』い島の見捨てられた者たち
2021年10月19日(火)
南沙諸島・永暑島
「足りない……どう考えても守るに足りない。北京はどうしてこんな兵力で防衛できると思っているんだ!
我々に日本人のように
南シナ海・南沙諸島で中国が実効支配するファイアリー・クロス礁。すなわち中国名・
一週間前にマニラで交わされた軽口は、まさにこの島の帰属についてのものだったが、当の永暑島・司令部施設では中国人民解放軍の
既にトランプ大統領がぶち上げた対中封鎖の発表と、北京政府による『黙殺』から三週間が経過していた。
情報によれば、まもなくイギリス・フランスの欧州二大海軍は艦隊を中国へ向けて出撃させるという。そして、オーストラリア海軍の艦船はすでにフィリピン海に出没している。何より、ベトナムとフィリピンに拠点を複数確保した米軍の哨戒機は、南シナ海を埋め尽くすような密度で飛び回り始めている。
(冗談じゃない! どこを見回しても敵だらけだ!
こんな孤立した四面楚歌の小島で最低1ヶ月間は持ちこたえろだと!? 出来るはずがない!)
永暑島は中国南端の海南島から、さらに700kmほど離れた南シナ海に浮かぶ
中国政府公式の立場では、中国でもっとも南にある領土ということになる。言うなれば、日本の沖ノ鳥島のような超がつくほどの飛び地ということになるのだが、広大な太平洋にぽつんと浮かんだ戦略価値の比較的低い沖ノ鳥島と異なり、永暑島は近隣諸国による勢力争いのど真ん中だった。
たとえば南シナ海の権益をあらそう有力国だけを見ても、中国にフィリピン、ベトナムがあり、さらにはマレーシアやブルネイも絡んでくる。
南シナ海自体が極東アジアの海上輸送網としては、チョーク・ポイントそのものであり、争いの場だからよけて通るわけにもいかない。たとえばかつて太平洋戦争で日本が敗北した理由の1つは、この海域での輸送を守り切れなかったことだった。
(平和な時代ならこの島の価値はとてつもなく大きいだろう……いや、戦時に至っても北京から見ればそうなのだろう……だが!)
ああ、南シナ海のど真ん中に燦然と中華人民共和国の権益を示す永暑島。それは北京からみれば、なんとも輝かしい存在であるに違いない。
しかし、実際こんなところを守って戦えと言われた方はたまったものではない。
東にフィリピンがあり、西にはベトナム。南のブルネイはまだ態度を決めていないので良いとしても、北の祖国は最低でも700キロは離れている。
飛行機だけならすぐに飛んで来られるかもしれないが、艦船が来ようとすれば全速で飛ばしても一日がかりである。
とにかく、味方が遠く、敵が周りにうようよしている。最初から包囲下にあるのだ。
(いざ戦端が開かれれば……この島が真っ先に集中攻撃を受けることは確実なのだ!)
しかも永暑島には攻撃を耐え抜くだけの持久力がない。
そもそもこの島は、2016年にハーグ国際常設仲裁裁判所から「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩」と認定されてしまったような土地であった。
岩礁を物量作戦で埋め立てて数平方キロメートルの土地を確保したものの、それだけのことでしかない。
たしかに3000メートル級の見事な滑走路が一本あり、戦略爆撃機の運用も可能だが、敵から攻撃されてしまえばあっという間に使用不能となってそれまでである。
海軍艦艇が寄港できる港湾設備も備えているが、やはり孤立無援の港でしかない。
対空ミサイルは多めに配備されているとはいえ、米軍が本気になればとても対応できるものではないことは、空軍少将の
(そして、最悪のシナリオは……)
敵が滑走路と港湾を無力化したのち、上陸作戦を仕掛けてくることだった。
先ほども述べたとおり、永暑島は「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩」をむりやり数平方キロメートルの軍事基地にしただけの島である。
どう考えても陸戦で守れる土地ではないし、人員にせよ、兵器にせよ、退避したり隠蔽できるスペースがほとんどないのだ。
もっとも、おそらく実際の上陸戦すら起こらないだろうと
現代的な駆逐艦・イージス艦・フリゲート艦の中口径艦載砲だけで島の全域を撃ち放題だからだ。
その気になれば、文字通り島の全てを焼き払うことすら米軍には可能である。戦車がいようと自走砲がいようと関係ないのだ。遠距離攻撃だけで終わってしまうし、逃げようがないのである。
司令部用の耐爆シェルターもいちおう存在はするが、もともとが海上で突き出ていた岩という土地のため、少し掘れば海水が湧き出す始末で、最小限のスペースしか整備されていない。そもそも、そんなことをするくらいなら、埋め立て地を広げた方が合理的と判断されていたのだ。
「くそったれめ!」
『失礼します、基地司令殿』
「どうした、
『いえ、実は
「なに……?」
煩悶する
永暑島に設けられている海軍施設の統括と拡張工事の監督を主な任務としている彼だったが、孤立した島嶼基地という特殊性も相まって、序列的には
そしてその彼が。海軍の彼が言ったのだ。暇乞いと。さよならを言いに来たと。
「どういうことだ。転任の辞令でも出たのか」
『いえ。我が海軍部隊はこれより演習のため近傍へ進出してくる南海艦隊に合流いたします』
「ああ、フィリピンやベトナムへの示威行動か……その話なら聞いている。空母が2隻とも出てくるそうだな」
『そして、そのままこちらへは戻ってきません』
「………………なに?」
『南海艦隊上層部では、この島に艦艇を配置しても来るべき米軍との戦いでは有効に使えないとの結論に達しました。
よって、我が永暑島支隊は南海艦隊と演習を実施したのち、そのまま本土へ配置転換となります』
「ばっ……、ばかなっ!!」
頼りないながらも積み上げていた脳内の
「ここにいる2隻の
『……一応、雑用船が3隻と連絡役の少尉が残る予定ではありますが』
「ふざけるな、
レーダーも一発被弾すればそれでおしまいだ! 機動しながら防空できる艦艇が絶対に必要なのだ! すぐに
『我々は海軍です。全体的な運用について空軍から口を出される覚えはありません。
なに、ロシアから買った技術で作ったという、空軍ご自慢の
それで十分守れるのでは?』
「……貴様ぁッ」
侮蔑を隠そうともしない
(……くっ)
だが、それは単なる内紛である。破滅の道である。
そもそもまだ戦端は開かれてもいない。ここで自分が問題を起こした後、外交解決でも図られたなら、降格どころの騒ぎではない。
「……海軍の事情は了解した。我々空軍を見捨てるというのだな。しっかりと報告しておくぞ」
『見捨てるつもりなどありませんよ、基地司令殿。それよりも、演習中に空母『遼寧』と『山東』の艦載機が悪天候などで
その時の受け入れは万全にお願いします』
「ああ、分かった。燃料タンクに
『それでは失礼します』
最大級の嫌みに反応することすらなく、
そして、これは
「くそっ!」
椅子を蹴りつける
だが、司令部要員の多くは同情的な表情であった。なぜなら、彼らの多くは空軍の所属である。
そして、何としても永暑島の防衛力を維持しようとする
(こうなったら戦端が開かれないことを祈るしかない……ベトナムとフィリピン……せめてあの二国が折れれば……!!)
これから中国海軍は2隻の空母を含んだ艦隊による、フィリピン沖・ベトナム沖での連続演習を行うのだ。驚くべきことにその中には老朽艦艇への実射訓練まで含まれているという。空軍部隊も当然、参加するだろう。
(そしてこれを世界へむけて大々的に報道する……この戦略には私も賛成だ……ベトナムとフィリピンは恐怖に震え上がるだろう……)
米海軍はいまだ太平洋方面への戦力集結をはじめたばかりであり、欧州の海軍も含めて主力が到着するまでには一ヶ月はかかるだろう。
それまでにベトナムとフィリピンを恐怖で屈服させるのだ。70年来の仇敵たる台湾はさすがに折れないにしても、目の前で中国軍の力を見せつけられたアジアの中堅二カ国が態度を変える可能性は十分あると北京では判断している。
(陸路通行権でも、沿岸航行権でもいい……)
これだけで米国が企んだ中国封鎖網は事実上、瓦解するのである。
もちろん外交的にも何らかの妥結に至る可能性はあるだろう。それは軍人の出る幕ではないが、中国人の彼からすればトランプは狂人にも等しい暴君そのものだった。まともな交渉など期待できるはずもないと考えていた。
(頼む……頼む……どうか……どうか、頼むぞ……!!)
自分たち空軍を見捨てて撤収していく海軍。だが、その海軍の演習によって近隣国をどれだけ恐怖させることができるかに、
憎い相手が良い仕事をすることを祈るしかない。そんな運命の皮肉に、
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