第13話 常夏、貧困、混沌、三種の坩堝(るつぼ)

2021年10月12日(火)

マニラ・フィリピン空軍基地


『ようこそフィリピンへ、サロン大佐。C-17の機内はいかがでしたかな?』

「お久しぶりです、デルガード中将。気流が終始悪くてね。よく眠れませんでしたよ。

 こんなことならフィリピン航空の777に乗って、がらがらのエコノミークラスで横になってくるんでしたね」

『はっはっはっ!! マニラもすっかり海外からの観光客にご無沙汰でしてね! 米軍将兵のご利用もぜひお願いしますよ!』


 フィリピンの首都、マニラはアジアでも有数のカオス都市である。

 だが、その中でも玄関口の空港であるニイノ・アキノ・マニラ空港はその究極にあげられるだろう。人口1000万のマニラ首都圏、その中心部にあるだけでなく、複雑怪奇な配置のターミナルが4つ。飛行機の乗換でターミナルを移動するだけで、ざっと1時間はかかるという驚くべき空港である。

 かつては『世界最悪』の名を冠せられたこともあるほどだ。周辺道路は常に渋滞しており、ターミナル連絡バスもその渋滞道路を走る。連絡鉄道などというものはなく、建設予定もない。


(そうは言っても、こうして空港に隣接する空軍基地に来るだけならば、及第点といったところか……)


 米空軍のサロン大佐は、フィリピン空軍との合同部隊編成のために派遣された、先遣隊の一員である。

 言うまでもなく、その任務は中国に対する海上封鎖作戦の実行だった。フィリピンは封鎖参加国に名を連ねているとはいえ、その航空兵力も海上兵力も弱体きわまりなく、実質的な実行部隊としては米軍頼みである。


(だからといって、彼らに出番がない……というわけでもない)


 中国に対する海上封鎖。それは船舶の航行を監視することで成し遂げられる。

 すなわち、中国へ向かう軍用・商用を問わない艦船を発見し、追跡し、場合によっては拿捕・撃沈するのだ。


 米国が封鎖作戦の参加国としてフィリピンとベトナムを引き入れたことには、もちろん合理的な理由がある。世界地図を眺めてみれは分かるとおり、ベトナム~フィリピンの間にある南シナ海を制圧できれば、中国への海上輸送の大半を断ち切ることができる。このルートは中国にとって、アジア・中東・ヨーロッパへの最短コースなのだ。


 最短コースを諦めて迂回した場合、さらには太平洋ルートの場合は、マニラが存在するルソン島と台湾を結ぶバシー海峡を制圧することで対応する。


 そうなると、中国に残された海上輸送網は東シナ海経由……つまり九州や沖縄、さらには宮古島や石垣島近郊を通る海路になる。

 だが、ここは在日米軍の制圧下にあり、中国としてはなんともやりにくい場所だ。もし、衝突が発生しても、反撃もままならない。沖縄や佐世保の米軍基地に攻撃をくわえれば、日本が参戦してくるからだ。

 あえて米国が日本に対して、対中封鎖参加を強いなかった理由でもある。中国からすれば、ベトナムやフィリピン、そして台湾の方がよほど与しやすい相手に違いない。


(つまり……南シナ海とバシー海峡こそが、もっとも重要な封鎖線になる)


 従ってフィリピンの役割はきわめて重要である。この2つの海に面しているのはフィリピンだけだからだ。もし協力が得られなかった場合、米国の海上封鎖構想も破綻していた可能性が高いといえる。


『それにしても、ブロンコのような骨董機までよくぞかき集めてくださったな』

「まったく苦労しましたよ。消防機になっていた個体まであったんですが、片っ端から現役復帰させました」

『我が国にはこういう扱いやすい機体が一番だ!』


 2つの垂直尾翼が水平板で結ばれた、P-38ライトニングのような双発機を前にして、フィリピン空軍デルガード中将は満足そうに日焼けした太い腕を組んでみせる。


 OV-10・ブロンコ。COIN機と呼ばれる双発小型の多用途機である。

 簡単に言えば頑丈に振りまわせる軍馬━━という感じの機体であり、短距離で離着陸が可能であるだけでなく、機関銃で銃撃してよし、ロケット弾を撃ち込んでよし、その気になれば爆弾も投下できるし、サイドワインダーミサイルを積んでヘリコプターくらいなら叩き落とせる……というCOIN機の一大傑作であった。


 もっとも、傑作といってもそれは武装ゲリラや麻薬組織、海賊を相手にする場合の話である。

 まともな戦闘機にはとてもかなわないし、ベトナム戦争時のMig-21やF-4ファントムにも一蹴されてしまうだろう。


 したがって米軍では既に二戦級どころか三線級の機体であったが、中東におけるISILいわゆるイスラム国との戦いではうってつけの機体だったため、一部が現役復帰した経緯がある。


 このため保守部品の供給も何とか可能であり、モスボールされていた機体をかき集めて、実に60機がフィリピン空軍に緊急供給されたのだ。

 サロン大佐が乗ってきたC-17グローブマスター戦略輸送機にしても、半分解状態のOV-10・ブロンコと予備部品を満載しており、人間は空きスペースに搭載されたついでの荷物であった。


(それにしても相変わらず凄い大気汚染だな……)


 見あげる空は晴れ渡っているのに、うっすらとモヤがかかっているように見える。

 サロン大佐にとってフィリピンはなじみの土地である。かつて米軍がこの国を離れる前、マニラにほど近いクラーク空軍基地にいた経験があるのだ。デルガード中将とはその時代からの知己である。


 2016年に米軍が再駐留を開始したあとも、フィリピンとの関係はお世辞にも順風満帆とは言えなかったものの、新型コロナウィルスの第1次・第2次流行でドゥテルテ大統領が中国への態度を硬化させると、敵の敵は味方理論で米比は一気に急接近した。


『で、何度も確認するようですが』


 もっとも━━それですべてがうまく行くほどにアジアの情勢は、そしてフィリピンという国は甘くない


『事成った暁にはファイアリー・クロス礁南沙諸島の例の島は我々にいただけるのでしょうな?』

「その件については間違いなく善処・・いたします」

『はははは! まるで日本人のような物言いをされる!

 まあ、現実的なところを考えるに、実行支配権を我が国が確保して、米軍が我が国同意の上で駐留するという流れになりますかな?

 そうなれば、恒久的な南シナ海の監視網があなた方にとっても完成する……悪くない話でしょう?』

「まったくクラークの頃からデルガード中将にはかないませんね」

『あの頃のあなたはまだ少佐でしたがね』

「本国からよろしく回答させますよ……ところで、OV-10のパイロットはアテがついているんですか?」

『ええ、問題ありません。

 悲しい話ですが、新型コロナウィルスの流行以降、我が国でも失職したパイロットが山ほど出ていましてね。

 フラッグキャリアのフィリピン航空とLCCのセブパシフィック……好条件で募集をかけてごっそり転籍させました。後方任務は全面的に彼らに任せて、軍のパイロットはOV-10でバシー海峡の監視に参加させます』

「なるほど、合理的ですね。バシー海峡ならせいぜい幅100kmほどです。

 OV-10にもってこいでしょう」

『もちろん、引き抜いたパイロットに弾む給料は米国あなたがたにも補填いただきますぞ?』

「話が進むのが早いのはいいですが、我々の財政事情も少しは考えてくださいね……」

『うぁーっはっはっはっ! まあ、どちらにしてもこれからいよいよ忙しくなるでしょう!

 今夜は部下と一緒に歓迎させてもらいますよ。マカティのブルゴス通りにあるとびきりのゴーゴーバーを貸し切りにしてありますからな!』


 これから実質的な戦争が始まり、恐らく少なからぬ死傷者も出るはずなのに、デルガード中将は突き抜けるほどに明るい笑顔でサロン大佐の肩を叩いた。


(まったく……この人も、この国も、本当に変わらないな)


 どうせ店の貸し切り料金も米軍にツケられるのだろう。一体いくらになるんだろうか。そんなことを考えながらもサロン大佐は思わずつられて笑ってしまう。

 それはサロン大佐が知るフィリピンそのままだった。貧困がある。非効率がある。悪習もある。しかし、それらすべてを吹き飛ばすように明るい常夏の国。それがフィリピンだった。そんなフィリピンの混沌を彼は愛していた。


 この後、サロン大佐とデルガード中将はこのマニラで米比両空軍の連携に忙しい毎日を送ることになる。

 そしてバシー海峡の海洋監視へ投入されたフィリピン空軍の主力は、おおむね満足すべき働きを見せたが、最終的に40名近い戦死者を出すことになった。

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