第10話 三人の男たちによる総括その1

2021年9月27日(月)

永田町・自民党本部会議室


「さてさて……事前に話は来ていたとはいえ、世界中、見事に大騒ぎになっちまったな。

 正直どうよ? 総理大臣殿よ」

「改めて気が引き締まる思いですな」

「ははははは! そーいうマスコミ向けトークを聞きたいんじゃねえって!!」


 青天の霹靂にも似た、トランプ大統領による対中国封鎖宣言から一夜あけた、月曜日の午後。

 騒然とする国内マスメディアを何とか振り切って、自民党本部ビルの中でも、特別、防諜に配慮した会議室へあつまった三人の男達がいた。


「ったく、それにしてもトランプのとっつぁんもやってくれるな。

 映画の切り取りかってところだよ。ありゃあ、生まれながらの役者だよな」


 悠々と葉巻をくゆらすのは、ヤクザ映画の大親分役が似合いそうなアクの強い顔立ちの男。老人の顔立ちであるが、衰えぬ鋭さを秘めている。既に80歳を超えていると聞いた者は誰もが驚くだろう。

 安生太郎あそうたろうである。財務大臣にして、元・日本国首相。自民党の中でも大物中の大物といってよい。


「へっ、やっぱドミニカ産はダメだな。ああ、ハバナのヘンリークレイが懐かしいねえ……おっ、また『えごさ』かよ? やるねえ、Twitter上級者」

「いえ、さすがに皆さんの前でSNSはやりませんよ。この後の予定1つリスケ再調整になったようでしてね……まあ、どちらにしてもこの状況じゃ事務方は大騒ぎですね」


 スマホをちらりと見たかと思うと、苦笑しながら胸元にしまった堅物メガネの壮年男は神野太郎こうのたろう防衛大臣である。

 外務大臣を2年ほど務め上げたあと、防衛大臣に就寝。SNS界では伏せ字や比喩を使って神野について呟いても、謎の超感度エゴサーチで反応してくる政治家として、一部からは人気があり、そして一部の専門家からは恐れられている男だった。


「防衛大臣になってから太郎ちゃん・・・はずいぶんヒマになっちまって。まあ外務大臣に比べりゃ閑職だよな。あの岩破ゲルでも務まったくらいだからな」

「太郎さん・・こそ財務省内の掌握はすっかりお手の物ではないですか」

「冗談言うねえ。あいつらはな、この国で最大最強最悪の魔物どもだよ。伏魔殿なんて言葉が陳腐に聞こえるね。ちょっと都合が悪いことがあれば、腐るほど潰しのリークネタを持ってきやがる。

 ……給付金の件だって、ちと俺がババを引かされる羽目になったが、林・花型ハヤシ・ハナガタ問題で一発くわせてなかったら、内閣の何人がやられてたことか」


 安生の深刻な顔は演技ではないようだった。

 少なくとも林・花型ハヤシ・ハナガタと呼ばれた片方である林仁学校にまつわるスキャンダルは、一口でいえば自分たちの意に沿わない亞倍首相をはじめとした自民党勢力に対して、財務省の主流派官僚が仕掛けた攻撃と言ってよいものだった。


「なんやかんやで連中とも痛み分けした上で、伸ばしに伸ばした消費税増税をやっと実行できたと思ったら、コロナがやってきやがったからな」

「あれはタイミングが悪かったですね……ウィルスは我々の都合など理解してくれいなようで」

「ま、財務省連中の肩を持つわけじゃねーが、いつかはやらなきゃならなかったがね。

 ……たとえば増税を撤回するとしてだ。あるいは、消費税なんか無くしちまうとしてだ。社会保障、その中でも医療はどーするんよ、って話さ。

 この国の医療は完璧とは言えねえが、まあ、庶民の命を救うってことについちゃ、世界一だろ。けど、金がなかったらあっという間にダメになる。

 皮肉なもんだ。増税で確かに景気は減速した。そこにコロナのダブルパンチだ。

 けどよう、あのウィルスの第1波を何とか死者1000人で乗り切ったのは、消費税があったからかもしれないんだぜ。

 なあ? 総理大臣殿よ。あんたは俺より10歳も若い。つまり、こんなめんどくせえ現実と、俺より10年長く付き合っていかなきゃならないのさ。

 まったく同情するね」

「しみじみと責任を感じますよ、安生さん」

「そういうトークはいいってよ。……で? この情勢、どう捉えるのか、ぶっちゃけを聞かせてくれねえか」


 ハバナからドミニカへ生産地が移ってしまった往年の名葉巻を━━そう、彼の祖父である義田茂よしだしげるも愛したヘンリークレイを━━何ともまずそうに吸い終えると、安生太郎は目の前に座る総理大臣に向かって、試すような視線を向けた。


「米国が我々に対して強く対中封鎖の参加を求めないのは、実に妙案ですな」


 須賀義偉すがよしひでである。今から三週間前、パラリンピック閉会式で突然の凶弾に倒れた亞倍晋三首相の跡を継いだ内閣総理大臣臨時代理であり、そして、10日間、亞倍の意識が戻らなかった時点で、正式に総理を継いだ波乱の第99代・日本国総理大臣であった。


「いい読みじゃねえか。俺もそう思うぜ。太郎ちゃん・・・はどうよ」

「私もそう思います。恐らく米国は我々に対して、戦わずして中国の行動を半分封じる役割を求めているのでしょう」

「中国を封鎖する、って一口に言ってもよう、あの国にはたくさんの出口があるわけだ。北のロシア……西の中央アジア……南のベトナム……」

「そして、海洋ですね。今回の封鎖の中核になるのはここです」

「陸上の完全封鎖は元より米国も考えておらんでしょうな」


 須賀首相も、安生財務大臣も、神野防衛大臣も、見えない世界地図が目の前にあるかのように、1つのイメージを共有していた。


「ですが、そもそも陸上の輸送量は限りがあります」

「そういうことよ。いくら頑張ろうが、中国につながっている国際鉄道網はたかが知れた輸送量しかねえ」

「もちろんトラックで何千キロも輸送するなんて、ナンセンスもいいところですね……」

「つまり、海上輸送を絶つだけで中国の貿易は大半が干上がるわけですな。そもそもすべての貿易をシャットアウトする必要はない。

 米国の目的は中国に『音を上げさせる』ことです。彼らが耐えがたい苦痛と感じる程度に、貿易量を激減させるだけで十分に目的は達成できる」


 須賀はそう言いながら安生と神野の目を見た。『二人ともその認識で間違いないですね?』と訊ねているかのようだった。


「おうよ、そういうこった」


 安生はなんとも満足げであった。首相経験者として合格点を出しているような顔だった。


「同意します。元外務大臣としても。そして現防衛大臣としても」


 神野は緊張感のある声でそういった。押しも押されぬキャリアを誇るとはいえ、この中では最年少の58歳である。まだまだ若手と言ってもよい存在であった。


「ここからは防衛省側の観測も共有させてください。

 我々があえて・・・対中海上封鎖に参加しないことで、中国は欧米と衝突したとしても、日本に手が出しにくくなります」

「考えてみりゃ当たり前のことだよな。上海や大連、天津から船が太平洋に出るとする……一番早いのは日本近海を抜けていくことだ。

 つまり、九州と沖縄の間を商船なりタンカーが航行していくとして……」

「ですが、その航路は沖縄や佐世保の米軍が完全に抑えている」

「かといって、航路確保のために在日米軍基地を攻撃することは、直ちに日本の参戦を招くことになるわけです。

 今の我々はアメリカの同盟国ですが、中国からみると中立国のようなものです。やりにくくて仕方ないでしょう」

「要は俺達日本に戦わずして中国の船をふさぐバリケードになれ、ってトランプは言ってるわけだ。

 ったく、こっちの事情を考えてくれているんだか、そうでないんだか……」

「思うに……亞倍さんとは元々、話をしていたのかもしれませんな」


 須賀は言った。それは生命の危険は何とか脱したものの、いまだ集中治療室で意識が戻らない状態が続いている亞倍首相が、トランプ大統領から個人的に何らかの話を聞いていたかもしれないということだった。


「トランプのことです。本来ならば、さらに踏み込んだ対応を日本に求めるつもりだったのかもしれません。

 亞倍さんがトランプとの交渉で……もっと言えば、あの二人ならではの『友情』で日本が参戦せずに済むようにしてくれたのかもしれません」

「まあ……トランプの野郎は亞倍ちゃん大好きだからな。

 どうしてああもウマが合うのかね。米国にいる俺の知り合いなんかは、ちょっと酒が入ればトランプのことをボロクソ言うのによう」

「亞倍さんのああいうところは魔法ですよね。世界の首脳とあんなにいい関係を築いている人は珍しいんじゃないでしょうか」

「純一郎のやつも大した人たらしだったが……そのあたり、うまく学んだ感があるかもな。

 この国は結局、調整型のリーダーが似合ってるのかねえ……純一郎が信長なら、亞倍ちゃんは秀吉だよ」

「で、須賀さんは家康ですか?」

「私は御免被りますよ。大坂の陣なんてやりたくもない」

「はははは! なかなかうまい具合にはたとえられねえもんだな」


 そう言いながら安生が腰を浮かせると、須賀も神野も会議室の椅子から立ち上がった。

 このあとに外せない予定がある、というわけではない。現在の情勢下ではこの三人が打ち合わせをすること以上に、日本国において重要な会議など存在しないのである。


「何にせよ、三人の認識がきっちり合ってるのはいいこった。けど、須賀さんよぉ、これから大変だぜ?

 あんたの前にはとんでもねえ困難が待ち構えてる。亞倍ちゃんのそれよりキツいかもしれん」

「理解してますよ、安生さん。ですから……どうかよろしくお願いします。神野さんも」

「よしてくださいよ、須賀さん」

「へっ、日本国首相が財務大臣と防衛大臣に頭下げてるなんて、マスコミに知れたらなんて書かれることやら」


 深々と頭を下げる日本国首相を茶化すように笑いながらも、安生は不意に表情を引き締めると、須賀よりも数度だけ深い角度でお辞儀した。

 やや遅れて神野はさらに深いお辞儀。奇妙な絵であった。写真の一枚もあれば、後世に残ったかもしれなかった。


「本当に、本当によろしくお願いしますよ、財務大臣。防衛大臣」

「支えてみせるぜ。カネのことは任せとけ」

「全力でサポートしてみせますよ、首相」


 それは激動する世界において、動揺する世界各国の中で、例外的に安定した政治の『軸』が確立された瞬間であった。

 実際のところ、日本国は新型コロナウィルス対応でそうだったように、諸外国の中でも最小限のダメージでこの事態を切り抜けることになるが、彼ら三人も日本国民自身もまだそれを知らない。


 そして━━


『失礼いたします』

「おう、どうした」


 会議室から出た三人を出迎えたのは、緊張した面持ちの内閣情報官であった。内閣情報調査室と呼ばれる政府直属の情報機関、そのトップである。


 安生も、神野も、もちろん須賀も怪訝そうな顔になった。

 使い走りとは言いがたい役職である内閣情報官が、この自民党本部まで来て━━そして、どうやら三人の会議が終わるのを部屋の外で待っていたらしいのである。何か事情があるに違いなかった


『亞倍首相を狙撃した犯人ですが……』

「見つかったのかね!?」


 真っ先に顔色を変えたのは須賀である。彼にしては珍しく、激情を露わにしている。


『それが……それが……狙撃犯は……つ、対馬から小型ボートで大韓民国に逃亡しました!

 亞倍首相狙撃の容疑者は━━いえ、犯人は……韓国人です!』


 百戦錬磨といっていい三人の政治家たちが、愕然とした。

 ただでさえ激動の国際政治情勢に、とてつもなく巨大な二国間問題が加わったことを意味したのである。

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