第6話

 くくり罠がいいだろう、とニヌムは思った。


 はこ罠も圧殺罠も持ちはこびが大変だし、落とし穴は時間がかかりすぎる。


 その点、くくり罠ならば縄さえ持っていけば、あとは現地で手ごろな重石を見つければいい。わな結びのやり方は、前にサンシュから教わった。


 あとは、どこに罠を仕かけるかが問題だった。


 狙うのはウサギだ。だから、まずはウサギが寄りつく若木を見つけなくてはならない。


 身を切るような寒さの中、十歳の女の子がひとりで山を歩くのは容易ではなかった。


 だが、ニヌムは一言も弱音を吐かなかった。


 これから自分は一人前の狩人かりゅうどになって家族を支えていくのだ、という強い決意が、彼女の心をふるい立たせていた。


 ニヌムはまず、祖父から教わった〈かよい〉のそばで、けもの道を探すことにした。


〈通い〉とは、獲物がエサ場やねぐらへ移動するとき、いつもとおる道のことだ。そこから、捕獲によりよい場所を見つけ出す。


 しかし、これは思っていたほどすんなりとはいかなかった。


 せっかくけもの道を見つけても、なかなか条件がよくないのだ。


 たとえば、けもの道が薄いものはよくない。あまり利用されてない道ということだからだ。


 また、けもの道の幅が広いのもよくない。獲物が自由に動き回れるため、うまく罠を踏みぬいてくれないからだ。


 さらに、傾斜が急なところもだめだ。道がくずれて罠がまる見えになったり、逆に土砂でうまったりする。


 ほかにも、見とおしが悪いところ、イノシシのエサ場になっているところ、水はけが悪かったり木の根や石ころが多いところ――うまく罠をはれる場所というのは、意外と少ない。



「あ、糞だ」



 真っ白に雪化粧した笹の影に、小さなつぶがひとかたまりになって落ちている。それも、一か所だけでなく、あちこちの下生えに隠れるようにして、いくつも見つかった。



「きっと、ウサギのお気に入りの場所なんだ」



 この近くに罠をはれないだろうか。見とおしがよいし、傾斜もゆるやかだ。それに、けもの道が細くてくっきりしている。


 よい場所だ。ここにしよう。


 ニヌムはさっそく、ここに罠をはることにした。


 麻なわと重石で作った簡素なものだが、うまくいけば動物が首や足を引っかけたとたん、反対側にある石が落下して、強くしめつける仕かけだ。


 そしてまわりを草や土で隠し、違和感がなくなるようなじませる。


 最後に、さりげなく罠へ誘導できるよう、通ってほしくない道には、よせ木やまたぎ棒などを置いた。


 あとはしばらくして罠のようすを見にくればいいだけだ。


 ニヌムはすっかり満足すると、ふたたびここへ来られるように目印をつけながら、村へと帰っていった。




       ※




 罠の見まわりは、天気のよい日に行う。


 雨や雪の日は地面がすべりやすくて危険であるし、獲物たちも動かずじっとしている。空が晴れたあとは動物たちも動きはじめるので、罠にもかかりやすくなるというわけだ。


 その日ニヌムは、母に「川で洗濯してくる」とうそをついて、罠の見まわりに出かけた。ほんとうは昨日のうちに、洗濯はすべてすませてしまっていた。


 目印をたどって目的の場所までたどりつくと、罠を仕かけておいたあたりに、一匹のイノシシの姿が見えた。



(……イノシシがかかっちゃったか)



 とはいえ、これは予想の範疇だった。


 罠から少し離れた赤松の木に、イノシシの〈泥こすりあと〉があったからだ。


 イノシシは時おりこうやって、体についたダニを落としたり、ほてった体を冷やしたりするために、泥あそびをすることがある。


 この、イノシシが泥浴をする場所を〈ぬた〉と呼ぶ。〈ぬた〉は〈沼田〉と書き、ようするに泥土のことだ。


 イノシシが転がりながら全身に泥をぬるようすを〈ぬたうつ〉といい、これが転じて〈苦しみもがく〉という意味の〈のたうつ〉という言葉が生まれたという。



(念のため、斜面の上からきてみて正解だった)



 斜面の上から近づけば、万が一、興奮した獲物がこちらへ向かってきても、坂をかけのぼることになって速度が落ちるからだ。


 しかし、かかったイノシシは、ニヌムよりひと回りほど大きく見えた。


 そうとう暴れたのだろう、あたりの地面はすっかりえぐれて、景色が変わってしまっている。



(これは〈とめ刺し〉が大変そうだなぁ)



 罠にかかった獲物にとどめを刺すことを〈とめ刺し〉と呼ぶ。



(毒矢をもってきて正解だった)



 こういうときのために、トリカブトの毒をぬった弓矢を持ってきたのだ。


 こうすれば少ない力でとどめを刺せるし、毒でまひさせてしまえば、逆襲されにくくなる。矢の刺さった部分を大きめに取りのぞいて、火でじっくり加熱すれば、肉だって安全に食べられる。


 ニヌムはさっそく、矢を射かけるためにつがえようとして――




 とっさに、しげみに身を隠した。




 一瞬のことだった。


 とっさに動けたのは、まさに本能的な反射だったと言ってもいい。


 それは巨大ないわおだった。とつぜん大地にいのちが宿って、イノシシに襲いかかったように見えた。


 どんなにたくましいイノシシといえど、大自然が相手ではかなうはずもない。


 断末魔をあげる間もなく、またたく間に倒れ伏した。


 そのおそろしい光景に、ニヌムは息をのむ。


 ――クマだ。


 巨大なヒグマが飛び出して、爪の一撃でイノシシの内臓をえぐり取ったのだ。


 ひどい飢えを満たすように、ヒグマはイノシシをむさぼった。その両目が、不自然につぶれている。



(――じいちゃんをやったクマだ!)



 ニヌムは一瞬でわかった。


 話に聞いていたのと、自分の目でたしかめたのでは、まったく印象が違う。


 実際に目にしたそのクマは、栄養が足らずにボサボサの毛並みをしていてなお、あらがえぬほどの迫力があった。山に君臨する王者の気迫だ。



(これは、だめだ。逃げなきゃ。逃げて、大人たちに伝えなきゃ)



 思うが、体がうまく動かない。恐怖で足がすくんでいるのだ。



(音を立てるな。息をころして、あいつが去るまでじっとしていよう)



 そう思ったとき、びゅうっと強い風が吹いた。



(いやな風だ。天気が悪くなりそうな――しまった!!)



 ニヌムの顔が青ざめた。


 風は斜面をかけおりていった。


 こちらが風上。向こうが風下。


 クマは飛びぬけて嗅覚のよい生き物だ。八(約三十二キロメートル)先の獲物のにおいを嗅ぎわけると言われている。


 ――つまり。



(バレた――!)



 つぶれているはずの大グマの両目が、こちらをとらえた気がした。

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