第5話
「ウサギ汁が食いてえ」
病み上がりの祖父は、起きるなりそんな要求をしてきた。
なんといっても病人だ。多少のわがままは聞いてやらねばなるまいと、ニヌムは先日捕ったウサギの肉で料理することにした。
ウサギの肉は熟成まで三日かかる。きちんと冷やさないと、腹にガスがたまってしまうからだ。
冷たい雪の中に保存しておいた肉は、取り出してみると、すっかり熟れて食べごろになっていた。
ウサギ汁には骨のある部分を使う。そのままでは食べづらいので、まず金づちでウサギの骨を叩くところからはじめる。この骨から、よい
ただし、一刻半(約三時間)ほどひたすら叩かなくてはならないので、とてもニヌムひとりではむりである。
そういうわけで、きょうだいたちと協力しながら、代わるがわる骨を砕いた。
それが終わったら、ナタで細かく切りきざむ。
きゃっきゃと笑い合いながらみじん切りにしていると、
「なあ、姉ちゃん」
と、ヨヒラが声をかけてきた。
ヨヒラはすぐ下の弟で、きょうだいの中では二番目の子どもだ。
どことなく暗い顔のヨヒラが心配になって、ニヌムは作業の手を休めて、弟の顔をのぞきこんだ。
「どうしたの、ヨヒラ?」
「うん……あのさ……」
ヨヒラはためらうように口をもごもごさせている。
「なあに? 言いにくいこと?」
「えっと、その。姉ちゃん、おれさ――」
「――ニヌムねえ、ヨヒラにい、あたしもうつかれたあ!」
「はやくかわってよお!」
言いかけたヨヒラの言葉は、ウサギ肉を叩くきょうだいたちの悲鳴にさえぎられた。
「いま行く! ……それで、どうしたの?」
「いや、なんでもない……」
ヨヒラはふたたび口をもごもごさせて、むっつりと黙りこんでしまった。
気になったが、きょうだいたちにぐずられては放ってもおけない。後でもういちど聞いてみようと決めて、今はとにかく作業を代わることにした。
叩いた肉がひき肉のようになったら、これをすり鉢に入れ、あらかじめ一晩ほど水につけておいた大豆と一緒にすりおろす。
とちゅうで味噌、たまご、小麦粉を加え、トロトロになるまで丹念にする。
これをダンゴのように丸めてつみれを作り、野菜と一緒に鍋で煮こむ。ちょうど、うちで採れた大根とネギのほかに、近所からおすそわけしてもらったニンジン、ゴホウがあったので、それを入れることにした。
最後に、醤油と味噌で味を
「じいちゃん、できたよ」
ふとんで横になっているサンシュに声をかけると、彼はくんくんと鼻を鳴らして、
「ああ、よい香りだ」
と、頬をほころばせた。
ちょうど母も農作業から帰ってきたので、ニヌムはウサギ汁を汁椀によそうと、受け取りにきたきょうだいたちに次々と手渡していった。
そして、いまだふとんから起き上がれないサンシュ以外、家族全員で
「じゃあ、〈
「はーい!」
きょうだいたちは元気よく返事をすると、競うように口々に祈りの言葉を捧げた。
ただひとりヨヒラだけは、ふだんの快活さからは似つかない神妙な面持ちで、短く祈るだけだった。
「――ああ、よい味だ。しっかり出汁が出ている」
ウサギ汁をすすったサンシュは、幸せそうな吐息まじりに言った。
ウサギ肉そのものは淡泊であっさりとした味だが、骨からとれた出汁はコクがあってうまい。砂糖も入っていないのに、どことなく甘みがある。
出汁のきいた汁と、あっさりした肉がほどよく調和している。丹念に叩いただけあって、骨もほとんど気にならない。
ウサギの叩きは縁起のいい食べ物といわれている。ケガをした祖父の
「ケガが治ったら、カジカ酒で一杯やりてえなぁ。おいニヌム、頼んだぞ」
「うん」
カジカ酒とは、このあたりでは有名な祝い酒のことだ。
川でとれたカジカという魚に串を打ち、囲炉裏で焼いて、それを熱燗に漬けて飲む。こうすることで、魚の出汁が出て、コクのある濃厚な味わいになるという。
くいっと酒をあおる仕草をするサンシュを見て、ホーコは目をつりあげた。
「もう、じいちゃんたら! 治る前からお酒のことばっかり! よくなるまでお酒は禁止ですからね!」
「わあってるよお」
サンシュが情けない声をあげると、みなクスクスと笑った。
それでもやはりヨヒラだけは、あいかわらずボーっとなにかを考えているようだった。
さすがに息子のようすがおかしいことに気づいた母が、
「どうしたの、ヨヒラ。なにか悩みごとでもあるの?」
と
ヨヒラはしばらくウロウロと視線をさまよわせたが、やがて決意した顔をすると、母親をまっすぐ見つめ返した。
「おれ、〈
え、とその場にいた全員が目を見ひらいた。
母が困惑して聞き返す。
「古着って……いったい、どうして」
「ずっと考えてたんだ。じいちゃんがこんなことになっちゃって、これから先どうなるかわからないだろ? だったら、おれなんかより、家のために使ってくれよ」
〈
特に、家の跡とりには特別に仕立てた着物を用意するものだ。
金がない家は手ずから
この家の長子はニヌムだが、女だ。家長は長男であるヨヒラが継ぐ。
冬が明ければ、ヨヒラは数えで十歳になる。
母が、ふうっと疲れを吐き出すように息をした。
「なに言ってるの。子どもが変な気を回すんじゃないよ。そんな心配しなくても、これまで貯めたお金でじゅうぶんやってけるんだから」
「でも……」
「いいから。この話はおしまい! さ、食べた食べた」
パンパンと手を叩いて、次の話題へと移っていく。それきり、このことが話題にのぼることはなかった。
けれど、ニヌムは母の態度に、なんとなく不自然なものを感じていた。
それはのどに引っかかった魚の小骨のように、いつまでもいやな感じで残りつづけた。
※
翌日、農作業の手伝いをしていたニヌムは、母を観察していて奇妙なことに気がついた。
母が手ずから肥料を作っていたのである。
米ぬかや油かすに土やモミガラを混ぜたそれは〈ぼかし肥料〉といって、このあたりの農家ならば当たり前に作るものだ。
だが、人手が足りない我が家では、いつも肥料は買い入れて使っていた。作るひまがないからだ。
ひとつ違和感に気づいてしまえば、次々と目に入ってくる。
あるときは、母がよそった汁椀に、母のぶんだけ実がほとんど入っていなかった。
またあるときは、冬を越すのに必要な毛皮を、自分のぶんだけ売り払っていた。
そのまたあるときは、これまでうどん粉とふのり(海藻の一種)で髪を洗っていたのに、米のとぎ汁に浸したくしで髪をとかすだけになった。うどん粉とふのりをお湯に入れてかき混ぜるとぬめりが出て、それで洗うとツヤのある髪になると評判なので、村の女たちはみなそうしている。
これだけ目につけば、ニヌムにもさすがにわかった。
母も不安なのだ。
それでも、決して表に出さず、どうにかヨヒラに晴れ着を仕立ててあげようとしている。
(わたしになにができるだろうか)
息子のために切りつめる母と、いじらしく身を引こうとするヨヒラを想い、ニヌムは考えた。
そして気がついた。
(そうだ、狩りをしよう)
思いいたれば単純なことだった。
(獣が捕れないからいけないんだ。わたしが稼げるようになれば、もう誰も心配する必要はなくなる)
それは、このうえなくすばらしい提案に思えた。
そうと決まれば罠の準備だと、ニヌムは飛ぶように山へかけていった。
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