老人街(後編)

堀川士朗

老人街(後編)



 「老人街」(後編)


              堀川士朗



 8ヶ月後。


 世界中で蠱毒病は大流行した。

 あいつもそうではないかという猜疑心が人々の胸に席巻した。

 各国は制約がより厳しくなる緊急事態宣言をたびたび出したが、その都度対応が遅すぎた。

 スーパースプレッダー!スーパースプレッダー!スーパースプレッダー!

 蔓延!蔓延!蔓延!

 その渦は加速度的に増した。

 WAAHOのトドロセ事務局長は行方をくらました。

 日本の総理大臣は政府専用機に乗ってアメリカへ亡命したが大統領に全く相手にされず、ダウンタウンで飲んだくれた。


「おい、そこのお前。外出禁止令だぞ」

「や、知らなかったんだ。も、も、戻るから」

「うるさい。炭になれ」


 外出禁止令の違反者は火炎放射器で焼き殺された。


 欧米諸国は、蠱毒病は白黒熊猫共和国のばらまいた生物化学兵器だと断じた。蠱毒病ウイルスのDNA配列が自然界に存在しないものだというのがその証左だと主張した。 

 流行の発端となった白黒熊猫共和国に世界各国が多額の賠償請求(総額、3京円)をし、逆ギレした白黒熊猫共和国は世界を相手に核戦争を起こした。

 欧米諸国多国籍軍VS白黒熊猫共和国軍&ボリショイ連邦軍の図式はまさに第三次世界大戦で、総理大臣不在(副大臣は任命されるのを拒否した)の日本は完全に蚊帳の外だったが、ただ核ミサイルだけが嫌がらせ的に双方から落とされた。

 27発も落とされた。

 日本の主要都市は全部狙い撃ちにされた。

 世界の人口の9割は死滅した。


 近代化された核ミサイルは残留放射能を出さなかったのが唯一の人類への救いと言えば救いだった。

 ただでさえ蠱毒病で人口減少に歯止めが効かなかった所へダブルパンチ。


 世界は無秩序状態、無政府状態となった。世界中の至る所で生き残った者たちによる食糧の争奪戦が始まった。

 蠱毒病ウイルス流行前の社会システムは完全に崩壊した。パニックはそれを支えきれなかった。


 内部留保した大企業だけが生き残ったが、超超ハイパーインフレを起こした貨幣はもはや何の意味もない紙屑となった。旅行カバンいっぱいに敷きつめられた1000ドル札はジャガイモ一個分の価値しかなかった。

 世界は再び物々交換の時代に突入した。

 生き残った、もはや国家とは呼べない集落は点々と存在した。そこには老人しかいなかった。


 戦火を生き残った人々を更に蠱毒病が襲った。抗体を持たない若者や中年層はそのほとんどが蠱毒病によりやられた。

 科学的に解明されていないが、なぜか幼児と老人には蠱毒病に対しての抗体が存在した。

 第一波、第二波、第三波を以て蠱毒病は終息した。ようやく集団免疫を獲得したのである。

 だが、人類はあまりにも犠牲を払いすぎた。



 元、東京都志田区のあった地域のバラック。

 周りにはトタン屋根やビニールハウスの粗末なバラックや動かなくなった自動車などが乱立している。

 若い者は一人としておらず老人しかそこに住んでいない。


 老人街だ。


 そのスラム街のビニールハウスで胎蔵、ジャギ、安田はたき火をたいて暖をとっている。


「いや~しかしざまあみろだったな、若い奴らなんかどんどんジャンジャカいなくなれば良いんだ」

「そうだな。あいつら俺たち世代を老害としか考えていなかったかんな。早く死ね早く死ね言うてたあいつらの方がいなくなっちまった。ははははは!」

「軽く万歳だ」

「お年寄りを、老人をなめるな~!!」

「おおー安田が珍しく吠えてる」

「小型ポメラニアンみたいな吠え方だけどな」

「へへへ」

「俺らある意味上級国民だな。生き残ったんだから」

「そうだね」

「胎蔵、お前あれどうしたよ?“上級国民”」

「あ?何だっけそれ?」

「電気治療器だよ足つぼの。お前あれ38万も出して分割で買ったじゃねぇか」

「あああんなん核の爆風で壊れたよ」

「勿体ねぇな」

「人生そんなもんだべ」

「しかし運が良かったな俺たち三人。あん時大江戸線乗ってなかったら完全にスリーアウトチェンジだったよな。大江戸線には感謝だな、もう動いてないけど」

「かっ~ぺっ」

「汚えなジャギ」

「痰、美味しい」

「やめろ馬鹿」

「お腹すいたね。あ~あ。富士そば喰ってたあの頃がほんと懐かしいな。もう、あの、平穏な日々日常には、戻れないのかなぁ」

「安田はほんとセンチメンタルジャーニーちゃんだな、でもほんとそれな。現代文明が絶えちゃったからな」

「でもわしらはこうして蠱毒病にもならず活き活きと今日を生きている!」

「何でだろね?わしら若い頃にちゃんとみんなBCGとかやってたからかなぁ」

「ああでもワクチンの効果って15年で消えるらしいよ」

「根性だよ!若い奴らとわしらじゃそもそも根性が違う!」

「でもあれだよな、若い奴らが生まれないとわしらを支える支援者がいなくてしんどいよな」

「そうだね」

「関係ねぇよそんなもん!もう年金ももらえねぇんだからよおっ!腹が減ったらウシガエル捕まえて喰うしかねぇだろが」

「そっか。そうだね。核の影響でウシガエルとアメリカザリガニだけは大量発生したからね」

「でも飽きたな。良いもん食いてえよ。良いもん。……俺たちもそろそろ働き口探さないとな」

「あ!そうだ上級国民で思い出したけど、秋恵様が私設軍隊の兵士を募集していたよ。三食昼寝付きだって」

「マジかよブラックじゃねぇだろうな」

「贅沢は言えないよ。行ってみようよ」

「おうさ!」


 三人はビニールハウスを少年のように飛び出して行った。



 高い塀で囲まれた堅牢な建物に1台のジープが近づいて行く。

 黒と白の斑点模様で塗られた国産ジープ。都市型迷彩が施されている。

 天井のルーフを開け対戦車ロケット、RPG-7を担いだモヒカン刈りの屈強な老人が建物の鉄扉を狙う。

 キュオオオォォン!

 発射された弾は後方から白い煙を吐いて鉄扉に着弾した。


「やったか!?」


 やってない。鉄扉はビクともしていない。鋼鉄とセラミックのサンドイッチ五層構造を用いているからだ。老人たちは知る由もない。


「ダメだ、クルマ寄せろ!近付いてフックかけて塀越える!」


 屈強な老人は運転手にそう命じた。後部座席にもドラグノフ小銃を携行した老人が三人狭そうにして座り、こめかみに血管を浮き上がらせ殺気に満ちた顔をしている。

 その刹那、モヒカン老人と運転手は眉間を狙撃されて絶命した。


 二人は知るよしもなかったが、建物の屋上から狙ったのは半田猟兵105歳その人だった。使用武器は彼の愛銃である三八式歩兵銃。

 ジープはヨロヨロと蛇行運転になり塀の手前30メートルラインで対戦車地雷を踏んで四散した。


 堅牢な建物の最上階で双眼鏡を手に静が言った。迷彩のTシャツの上から防弾チョッキを羽織っている。


「むやみに近づくとこうだよ」


 未亡人となった鳥山静。76歳。

 夫、直道は78歳で旅先で蠱毒病にかかり死んでいる。

 静は、直道が残していった葉隠保育園を守る為に極悪な老人野盗の群れと戦いの日々を繰り広げていた。

 一面荒野となった宇土川区。

 耐震コンクリート、強化鉄骨四階建ての葉隠保育園だけが核の猛威を耐え、建造物として唯一残っていた。


 葉隠保育園。

 完全自給自足施設。

 太陽光発電。

 水質浄化設備。

 豚と鶏を飼育。

 野菜園。

 広大な敷地。

 6メートルの高くて分厚い壁が周囲に存在する。

 大戦と蠱毒病蔓延を生き延びた保育士さんたちによる機関銃陣地(M1919 Browning)が構築されている。六門の陣地。

 直道は70年代、米軍から秘密裡に八丁の機関銃を購入、保管していた。

 他二丁の機関銃は園の所有する車輌のM1151装甲ハンヴィーとハマーH2に搭載されている。

 そんな環境の中で、親がこの子の命だけはと預けていった0才児から5才児が健やかに育てられている。

 園児の数は38人。


 静の傍らには参謀として徳島が付いていた。静の恋人でもある。

 元、移動販売の店員をしていて足繁く通う静と恋に落ちた事を直道は死ぬまで知らなかった。

 徳島は70歳で、とても性格が良く、ワンマンな直道とは真逆の人柄だった。性格が良いからこそ脱サラして移動販売という真心こもる職業を選んだのだろう。徳島も静の事を深く愛していた。手を繋ぐ二人。見つめ合う。もうすぐ日が暮れようとしている。


 葉隠保育園の二階の広い保育室を使って、今日は寒いので鍋パーティーの日となった。

 自家菜園で育てた野菜(タマネギ、にんじん、キャベツ、白菜など)がたっぷり入っている。鶏もつぶして入れてある。自家製醤油で味付けしてあるそれは美味で、このご時世とてもとても贅沢な食事と言える。

 静が園の用心棒として雇った半田猟兵の元に子どもたちが集まっている。半田の膝に乗っている子もいる。

 みんな、この老人を、太平洋戦争激戦地生き残りの何百人殺しているか分からない大日本帝国陸軍きっての凄腕スナイパーを恐れていない。悪い奴らをやっつけてくれる、みんなを守る正義のヒーローだと子どもたちは思っている。

 半田はひまわり組の3才児ににんじんをふうふう息で冷ましてから食べさせている。

 彼は歩兵銃のスコープを覗いている時以外はまるでサンタクロースみたいに慈愛に満ちた眼差しをしている。

 4才児のだいちゃんはボクにも食べさせてとせがんでいる。


「西の……」


 徳島が静にだけ聞こえるボリュームで言う。でも少し声が小さかったようで、静は耳が遠いので補聴器のつまみを強にした。


「……西の、元博多があった地域に平和憲法を謳(うた)う独立国が出来ているそうですね。ドンタク市国と言う。市民も温和な人間性に溢れた奇跡の国だそうです。民主主義は復活しているんですよ」


 未だに徳島は静に対して敬語で話す。二人の距離感ではなく彼の人柄なのだろう。それについては静もあきらめているフシがある。


「こないだ物々交換に来た流民商人が言ってた情報でしょう。確かに行ってみる価値はあるけれど余りにも遠すぎるわ。途中のナニワ帝国に襲撃されてしまう」

「ガソリンの補給が厳しいかもしれませんしねぇ…」

「ナニワ帝国は強大で野蛮よ」

「ですねぇ。ドンタク市国に移住出来ればこれ以上ベストな事はないのですが……」

「葉隠保育園を頼って入ってくる人たちも後を絶たない。でももうその人たちを養っていけるほどの余分な食糧はないのよ。今いる人員と今ある設備を大切にしなければ」

「静さん」

「シズって呼んで」

「みんないますよ」

「そっか」



 矢部秋恵はマルチ商法や足つぼ電動治療器「上級国民」で得た金を早々に食糧物資に変えて私設軍隊「日本の國の母」を率いていた。

 残存する食糧倉庫や工場に立て籠もる勢力を皆殺しにし、略奪を繰り返していた。

 「國の母の教え」と称した秋恵の首絞め拷問が今日もアジトで行われていた。

 何を悪い事をしたでもなく、その日の秋恵の気分で行う拷問は度々死人が出た。文句を言ったり逃げ出す兵隊は射殺された。

 老人たちは、わずかばかり支給される食糧のために心を無色透明の家畜状態にして秋恵に付き従った。

もう既に心という概念すら無かった。

 胎蔵、ジャギ、安田の三人を除いては。


 「日本の國の母」に晴れて入隊した三人。焼け残ったカラオケ店の、三畳ほどの一室を居室に与えられている。一人あたり起きて半畳、寝て一畳だ。

 ジャギは配給でもらったメチルアルコールと安い焼酎が混ざった酒らしき液体をがぶ飲みしている。胎蔵と安田は酒に口を付けていない。カビが生えかけているビスケットをもそもそと食べている。


「うめ~!うめ~よ~!五臓六腑に染みわたるゥゥゥ」

「おいおい」

「何か脳から幸せの物質が出てらぁ。ひ~うめ~何だこれ」

「それエンドルフィンだよ多分」

「エンド、何?」

「幸せの物質の名前だよ」

「へ~」

「安田はほんと物知りだな」

「高校出たからね」

「うめ~!エンドルフィ~ンうめ~!」

「やめとけジャギ、そんなもん飲んでるといつか目が潰れるぞ」

「うるせぇっ!超久しぶりの酒盛りなんだ。祭りだ!ガソリン注入祭りだ!俺の好きなようにさせてもらうぜ」

「じゃあそうしなよ。もう知らないよ」


 安田は心配そうに子鹿の様な瞳でジャギを見つめている。76歳なのに。


「へっへっへ。今日の集会。秋恵様の野郎、今日もミニ履いて挑発してやがったな」

「あんま見たくないけどな、豊胸とかも。ジャギ、あんなのもイケる口なのか?」

「いや俺は豊胸は趣味じゃねぇ。けどおっぱいはデカいに超した事はねえさね」

「男が何でおっぱいが好きかって言うと」

「お、待ってました安田の新解釈」

「うん。何でかと言うと」

「小学生みたいに言うなよ」


 ジャギは急いで賞味期限が6年過ぎた鰯の缶詰をかきこんで少しむせた。老人なので誤嚥性肺炎になりかねない。安田が一瞬心配する。


「うん。何でかと言うと、赤ちゃんの頃の記憶が連綿と受け継がれているからなんだな。で、男が何であそこが好きかって言うと、もう一度妊娠してほしいからなんだな、自分を」

「ほう」

「寺山修司が何かそんな風な感じのテイストっぽいような事らしき事のような事を言ってたよ」

「アバウトすぎる」

「そういや秋恵様、顔変わったなぁ。蠱毒病騒動の前は目が細くてアジア丸出しだったのに」

「何かプリクラの修正後みたいなツラになったよね」

「明らかに整形だよな。豊胸もやったし」

「こえーよ。人造人間かよ」

「キャシャーンがやらねば誰がやる!」

「お。懐かしいねぇ」


 みんなで秋恵を汚すほど三人は元気だ。



 廃墟となったショッピングモールに粉ミルクやベビー用品を調達に行く途中、静らの車列は老人たちの集団に待ち伏せされた。

 50人はいる。

 周囲を囲まれている。

 老人たちは89式小銃を五月雨撃ちに撃ちまくるが、徳島の華麗なドライブテクニックの前に一向に命中しない。

 もし命中した所でM1151装甲ハンヴィーは40ミリの特殊硬化カーボン装甲で覆われておりかすり傷すら負わせられない。

 静は慣れた手つきでハンヴィーに搭載されたM1919 Browning機関銃を三点バーストで発射した。

 老人たちは次々と蹴散らされていく。銃撃は止めない。

 ハマーH2に乗り込んだ保育士たちも機関銃を撃ち続けた。こちらも三点バーストで無駄弾は浪費しない。

 老人集団は撤退を始めた。だが静のハンヴィーはその逃げ道を塞いだ。

 決して逃さない。叩く時には叩く。水に落ちた犬は徹底的に叩く。それが静が生前、直道に教わった戦術、戦法だった。


 10分後、辺り一帯には老人たちの死体が山積みとなっていた。硝煙と血の匂いが立ち込めている。静は防塵マスクをしているのでむせなかった。慣れた手順を踏んでいる。


「妙だね。みんな同じ軍服を着ているよ。いつもの野盗じゃないね。89式かい?装備も金がかかっている。それに……」


 静はそう言って老人の死体の背中を足で踏んづけた。


「日本の國の母?」


 軍服の背中には旭日旗の上からその六文字が派手な色で刺繍されていた。静は一気に警戒心を高めた。


 廃棄されたショッピングモールで静たちはミルクを何とかして入手し葉隠保育園に戻り赤ちゃんを育てる。

 貴重な粉ミルク。

 生き残った母親たちも何人かが葉隠保育園の保育士となって赤ちゃんたちに授乳している。


 静と徳島は菜園に噴霧器で水を与えている。作物は順調に育っている。保存食(直道が生前備蓄していたもの)ばかりとなっている園の給食メニューを考えると、野菜類は貴重な栄養源だ。

 二人はお互いを見つめ合い微笑む。


 半田猟兵は銃の手入れに余念がない。ブラシをかけ、三八式実包をマガジンに詰めている。


 もう一人の用心棒、剛力歩(ごうりきあゆむ)は園児たちを背中に乗せてアイソメトリックトレーニングを積んでいる。園児たちは彼がトレーニングの傍ら遊んでくれるので大喜びだ。順番待ちの列が出来ている。


 ひとりひとりが明日を信じて今日一日を一生懸命に生きている。また明日そこに日が差す。



 「日本の國の母」本部。

 ピーコックチェアーに座る矢部秋恵の元に伝令が戻ってきた。

葉隠保育園の車輌を襲撃しに行った一隊が逆に返り討ちにされた、と。

秋恵の整形の顔が怒りで歪んだ。

 もはや人間の顔の形をしていなかった。

 伝令は「ひっ!」と悲鳴を漏らしてしまった為に秋恵のデザートイーグルで射殺された。


「チッ!甘かったね。あらかじめ戦力を削いでおこうと思ったけど、やっぱり本陣を潰さないと駄目なようだねぇ」


 秋恵が葉隠保育園を狙う怖ろしい理由。それはこうだ。

 秋恵は執着していた。そして妄信していた。

 子どもたちの若いエキスを、つまり血肉をすすれば秋恵自身の美貌が永遠に保たれるのだと本気で信じていた。今までも何人もの子どもたちをその毒の牙で喰らってきた。まさに鬼女である。


「明日、総攻撃するよ!」


 秋恵は側近に言い放った。側近は余計な事を言うまいとただ「はい」とだけ答えた。



 静は待ち構えていた。私設軍隊「日本の國の母」の襲来を。臨戦態勢を既に取っている。

 午前11時35分。

 日本の國の母の偵察用ドローン、3機が保育園に飛来してきた。

 屋上でテントを張っていた半田が狙撃する。

 目標物の体積が大きすぎる。彼にとっては初心者向けのクレー射撃よりも朝飯前だった。

 「情報は伝達されるより前に殺れ」。優れた狙撃兵は敵の小隊を発見すると、小隊長ではなく先ず通信兵から狙う。半田もそうした。


 フル電源の電流バリケードで防衛された葉隠保育園を静は、徳島の運転するハンヴィーに乗り出撃した。

 タイトなパンツスーツの上から防弾チョッキを羽織った静は熱線電磁ナイフを腰に二丁装備していた。横田基地の倉庫から見つくろって頂戴してきた最新式の陸自装備品である。


「かすり傷でお陀仏さ」


 矢部秋恵は髪を逆立たせ、マッドマックス・サンダードームの時のティナ・ターナー的な出で立ちをしていた。

 文字通り勝負服だ。

 200人の老人兵が整列している。それを二つの部隊に分けた。

 まず彼女は先発歩兵隊100人を前進させた。比較的体力の劣る後期高齢者部隊だ。

 捨て駒に様子を見させたのである。秋恵は残忍だ。

 89式小銃を二人で一丁だけ手渡された老人兵たちが恐る恐る前進していく。あまりにも怖じ気づいている者は後ろから撃たれた。まるでソ連時代の懲罰大隊のような用兵法だった。


 1964年東京オリンピックのレスリング選手、剛力歩は塹壕(ざんごう)の中で敵兵が来るのを待ち構えていた。

 超力持ちの彼は85歳。

 彼も半田猟兵同様、静が葉隠保育園の用心棒として雇ったお年寄りだ。

 近接格闘術のエキスパートで、影のようにスピーディーに第一陣の敵老人たちに忍び寄り関節技を極め骨折させ戦力を削いでいった。老人兵たちは剛力目がけて小銃を撃ちまくった。

 が、当たらない。

 卓越された身体能力と弾丸の軌道を読み取る力が彼にはあった。また骨を折った。また。無力化していく。


 ハンヴィーから降りた静はわざと銃撃に我が身をさらし、深追いさせて、敵兵を同着指向性地雷(M18クレイモア地雷)のあるゾーンへと誘い込んだ。9台のクレイモアが有線で結ばれている。

 素早い動きで戦場を走り抜ける。白い息を吐く。

 狙い通り老人兵たちは大将首を取らんと追ってきた。

 静は無線でハンヴィーを中継補給基地とする徳島に指示する。

 合図を送られた徳島は安全装置を外し、起爆装置をダブルクリックする。

 通電。

 C4爆薬炸裂。

 刹那。

 40人の歩兵たちの塊目がけて「フロント・タワード・エネミー(敵側正面)」と刻印された同着指向性地雷が、まさにその敵側正面に向けて爆裂した。

 合計6300発(1台あたり700発)のボールベアリング弾が高速で半径100メートル以内にいる老人兵全てに襲いかかった。

 痛いという感覚は一切なく一瞬で彼らはミンチとなりこの世を去った。


 保育園の機関銃陣地からM1919 Browning機関銃が乱射を始めた。保育士たちが撃っている。

 一斉射撃。

 つるべ撃ちとはこの事である。Zip Zip Zipと地面に音を立てて大きな穴を穿(うが)ち老人兵たちを怯えさせ、銃を捨て退却させていく。秋恵のいない方角へ逃げていく彼ら。


「あんまり殺しちゃうと夜中ユーレイが出るって園児たちに泣かれちまうからね」


 と、静は言った。


 胎蔵、ジャギ、安田の所属する第二部隊もまた突撃命令を受けて前進を開始していた。


「緊張してきた」

「俺もだよ。もしお前が死んだら、骨は俺が拾ってやるよ」

「ありがとう胎蔵。お前は名バイブレーターだな」

「何だよそれエロいなジャギ」

「間違えた。名バイプレーヤーだ」

「そうか、あんま間違えんなよ」

「うん」

「あ、ダメだ俺この緊張感。脱糞しそう」

「俺は吐きそう」

「♪やめてん絹の靴下~ん。もーおーいやっん絹の靴下わ~ん、わたしーをーダメにするーん」

「そっか。安田は恐怖を感じると夏木マリの絹の靴下を唄うんだった」

「俺も恐怖を感じるよ。誰だってな。誰だって死にたくねぇ」

「でもヒデえよな、三人で銃一丁だぜ」

「お前撃てよ」

「やだよ」

「俺が撃つよ」

「いや俺が撃つよ」

「いや僕が撃つよ」

「どうぞどうぞ」


 その時、秋恵の後方から一輌の巨大な戦車が現れた。


「間に合ったね。ようし、戦車出陣!!」


 多砲塔戦車「玄武」が投入されたのだ。

 激しい砲撃が間断なく繰り返される。

 玄武の誇る57ミリ砲は合計六門搭載されている。

 ライフル砲でなく前近代的な滑空砲の為、弧を描くように榴弾は6メートルの塀を軽く跳び越え保育園の建物本体を襲う。

 被弾し、建物の壁が音を立てて崩落していく。鉄骨が露わとなる。園のブランコなどの遊具が破砕される。

 静は無線で、子どもたちと、保育士さんたちに銃座を捨てさせて地下壕へと避難させた。


「あの子たちは何としても絶対に護るのよ!」


 地下壕。体育座りの怯えた子どもたちはみんな泣きじゃくっている。

 赤ちゃんたちは訳が分からず、とりあえずみんなが集合しているので笑っている。嬉しすぎてオシッコを漏らしている子もいる。赤ちゃんは純粋だ。赤ちゃんには作為がない。

 一人だけ勇敢な、ゆり組のはるきちゃん5才はみんなを励ましている。


「みんな、大丈夫だよ!きっと、しずか園長先生と半田のじぃじと剛力のじぃじが悪い奴らをやっつけてくれるから!」


 でも、はるきちゃんも今にも泣きそうである。保育士ははるきちゃんをギュッと強く抱きしめた。


 玄武は前進をやめない。

 第二部隊の内、20人の歩兵が戦車のそばを離れず随伴(ずいはん)していく。

 玄武の伏角の取れる回転機銃が塹壕で息を整えていた剛力を狙った。避けた。だが彼は運が悪かった。戦車に随伴する老人兵たちは彼目がけて一斉射撃した。死角がなかった。蜂の巣にされた剛力は今際の際に高く青い虚空を腕で掻きむしって息絶えた。

 半田猟兵はスコープでその現場を見ていた。そして南無阿弥陀仏とだけ唱えて、三八式歩兵銃から対戦車ライフルの九七式自動砲に切り替えた。こちらも太平洋戦争からずっと半田が隠し持ち毎日手入れを欠かさず保管していた銃である。

 三八式よりも遥かに大きな銃声を立てて、20ミリの完全徹鋼弾が三発撃ち込まれ玄武の装甲を撃ち破り、戦車内部で乱反射跳弾し装填手1名を殺害した。

 その代償に半田の利き手が玄武の放った榴弾で弾き飛ばされた。半田はすかさず包帯でえぐられた手首の傷をぐるぐる巻きにした。

 逆手で銃を放つが、玄武の採用する避弾経始(傾斜した装甲により弾丸を弾く)装甲に阻まれ有効射とならない。当たる事は当たる。だが弾かれた。また跳ね返された。

 傷口からは赤い血がどくどくと溢れた。

 九七式自動砲は箱形弾倉で7発しか装填出来ない。マガジンの取り替えのこの1秒2秒の差が命の成否を分けるのだ。しかし半田は慌てなかった。


「へっ。ガダルカナル以来だぜ、このヒリつく感じはよォ」


 ニヤリと自嘲気味に笑いながら半田は銃を担いで15メートルほど屋上を移動し狙撃位置を変えて、敵戦車玄武の側面を狙って発射した。今度は二発命中し、内部で跳弾して操縦手と第三砲手を殺った。

 半田はそのまま出血性ショックで失神した。

 操縦手の死体はハンドルにもたれかかった。大きく傾いて玄武は進み、随伴歩兵たちを次々と挽きつぶしていった。その軌道の先にはTマイン(対戦車地雷)がまとめて仕掛けられていた。まさにラッキーというより他はない。

 大爆発。

 玄武はキャタピラーを吹き飛ばされ擱座(かくざ)した。残り6人いた乗員は底面からの爆風により全員この世を去った。


 矢部秋恵は虎の子の玄武があっけなくやられる様を見てぽかんと口を開いた。一瞬だけ、整形前の顔に戻った。静は秋恵と対峙して言い放った。


「うちらの勝ちだよ。大人しく投降しな!」

「するわけないだろう」

「そうかい。……じゃあここからは無駄な犠牲者を出さずお互いトップ同士でやり合おうじゃないか」

「クソババア!望むところだよ!」


 矢部秋恵と鳥山静の一騎打ちとなった。デザートイーグルVS熱線電磁ナイフの攻防。

 近接戦闘。

 秋恵はガンカタに似た動きで静を翻弄(ほんろう)する。狂女秋恵の銃さばきに静は劣勢となる。至近距離で撃たれた。防弾チョッキを着ていなければ静は三回ほど撃ち殺されていただろう。静の動きに疲れが見え始めていた。

 ナイフは秋恵の腕や脚や頬をかすり、赤い火ぶくれを起こしていた。それでも秋恵は手慣れた手つきでデザートイーグルのマガジンを交換し、また静に狙いを定めた。眉間を狙っている!


「これでお終いだよ、保育園のババア!」


 間髪、ハンヴィーで駆け付けた徳島は上気した顔で静に向かって叫んだ。


「静さん!補聴器の電源を切って!!」


 静は訳の分からないままに徳島の言葉を信じて補聴器のスイッチをオフにした。

 徳島はハンヴィーに搭載された音響兵器LRADを秋恵の方向に向けて起動させた。超高周波音が秋恵を襲った。鼓膜が破れた。悲鳴を上げて両耳を手で覆う。

 すかさず静は最後の死力を尽くし、走り寄って熱線電磁ナイフで深々と秋恵の胸を突き刺した。ジウジウと肉の焼ける音がした。


「こんなの夢……」


 どうと秋恵は前のめりに倒れた。

 それを受け止めた静は冷たく言い放った。


「いや現実だから。悪いけど」



 逃げ遅れた胎蔵、ジャギ、安田の三人は捕虜となった。ひざまづいて静に命乞いしている。


「俺たち三人はバイトで雇われただけなんだ。許して」

「ひ~!母ちゃん!」

「そうです。殺さないで下さい!私たちは、に、に、に、……日本の紳士です!」

「駄目よ。あんたたちはやり過ぎた」


 静は胸のホルスターからオートマグを抜き三人を狙って撃った。

 三発の銃声が荒野に鳴り響いた。



 夜が来た。葉隠保育園側にも戦死者はいた。

 用心棒、剛力歩。

 保育士と園児にひとりも犠牲者が出なかったのは奇跡だった。

 園児たちが泣きながら優しかった剛力のお墓に花をあげている。赤ちゃんはそのそばでハイハイをしている。意味が分かっていないようだ。いや、意味など分からなくて良い。

 寡黙な半田猟兵がみんなのいる前で珍しく口を開いた。


「また生き残っちまった」

「半田さん」

「やがてわしらもあの赤ちゃんの世界に帰っていくんだろか。本当に帰れるんだろうか。100年以上も生きてきたわしにそんな権利はあるんだろうか。蠱毒病と核戦争をわしは生き残っちまった。本当に、本当にわしら老人は死ねるんじゃろうか。その権利はあるんじゃろうか」

「ありますよ半田さん。きっとあります。私たち老人は、ちゃんとしっかりきちんと死ねますよ」

「そうか……なあ静さんよ。明日って来るんじゃろうか。明日って何だっけか?」

「分からないです。誰にも、誰にもそれは分からないです。でも……それでも明日を待ちましょう。明日の朝日が昇るのをみんなで楽しみに夢の中で待ちましょう」


 静はそう言いながらひよこ組の2才児の子どもの頭を優しくさすった。その子は、かわいいミルクの息をケプッと吐いた。その吐息に呼応するかのように静はウッと吐き気を催した。


「ウプッ」

「……静さん、あんたもしかして妊娠……」


 徳島が照れた表情を浮かべながら静の元に駆け寄った。




「胎蔵お前臭ぇよ」

「ジャギお前もな」


 胎蔵、ジャギ、安田の三人が荒野を歩いている。元、熱海があった辺りだろうか。

 三人は命拾いした。静は三人を殺さなかったのだ。なぜかは分からない。


「臭えからひとっ風呂浴びて行きてぇな」

「やってないよ。温泉はみんな核戦争の時に枯れたよ」

「そうか。いやー、それにしてもあのナイフ持ってた敵の大将のばあさんハクいスケだったな。ああいうの何つうんだっけ、あそうだ。立てば極楽、座れば地獄、歩く姿は豚のケツだっけ」

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花だよ」

「そうか。おっ勃つぜ」

「胎蔵、お前ババ専かよ。違うだろ!俺たちはロリータだろ!10代の女が大好きだろ!?俺たちはロリータ好きだろっ!」

「そんな概念もう忘れちゃったよ、ジャギ」

「……文化が消えてしまったからね」

「ああ……」

「何もかも昔あったものはひとつ残らず消えてしまった。ひとつ残らず。僕らにサヨナラも告げずに」

「ああ……」

「これから……どこ行く?俺ら」

「とりあえずこのまま西に行ってみようぜ!博多のドンタク市国を目指して。あの伝説の」

「よっしゃ!」

「博多っていやぁ、中洲のホワイトロリータって店、まだあるかなぁ?」

「ほわ…何それ。あんじゃん」

「凄いんだよ、昔金ある時に行ったんだけどすんげーカワイコちゃんの嬢に無理やり目隠しと手錠かけられて甘いささやきとジラされテクでもう昇天モノだったよ」

「闇だ。闇を感じるよ」

「胎蔵はそういう風俗で満足しとけよ。俺は違う道を行く」

「あ?」

「遥かなる道の彼方へ」

「ジャギお前ボケてんのかよ?お前も本当は行きたいんだろ?ホワイトロリータ」

「……うん。ホワイトロリータすっごく行きたい」

「よぉっしゃドンタク市国で決まりだなっ!」

「うん」

「腹減ったなぁ」

「ウシガエルでも捕まえて焼いて喰おうぜ」

「それだ!」


 胎蔵、ジャギ、安田の三人はウキウキしながらまるで少年のような足取りで博多ドンタク市国へと確かなる歩みを始めた。



                   おしまい


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老人街(後編) 堀川士朗 @shiro4646

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