第4話 第1章-4

 二人の山登りは、当然といえばそうだが、すこぶる順調だった。


 雲山の山裾は木々に覆われていたが、中腹以降は一転、木どころか膝より高い草すら一本も生えていない。足首にもかからない程度の低い草だけが、乾いた山肌の隙間からたまに顔を覗かせていた。たまに人が腰掛けられる大きさの岩はあったが、それも登るにつれて見かける機会は減っている。さらに彼らの登山にはルートを決めるという工程が存在しないので、ただ話しながら歩き続けるだけとなっていた。


「つまらない!」


 歩き始めて四時間。五回目の休憩のとき、ついにアリサが本音をぶちまけた。


「人がいないのは知っていたけど、花もない、動物もいない、雲の変化もない、下の景色は森ばっかりだし、私がすごいから歩くだけになっちゃうし!」


 見渡せる限りに岩が見つからなかったので、アリサは地面にぺたんと座った。グレイからリュックサックを受け取り、中から銀色の袋とチェック柄の布を取り出した。


「リュックサックを貰ったから、球体はまた作り直しだし、ここでお昼ご飯にしちゃわない?」


「そうだな。そろそろ昼か」


 彼女の魔法である球体(登山中、ふいに「これ、登山の”のぼる”、と球体の”ボール”をかけて、『のボール』はどうかな!」と閃いていた)は、強めの衝撃を受けると割れるという特徴がある。一度グレイは彼女に改善を提案したことがあったが、「一生出られなくなってもいいなら作れるけど」と冷たく返された。いつもの強度なら机の角にぶつけるくらい、今日のなら反動をつけてアリサのリュックサックをぶつけるくらいで解除できる塩梅が、ちょうどいいというものなのだ。


 グレイも自分のリュックサックを下ろし、アリサが広げていた布の角を持つ。比較的平らに近い場所を選び、広げて、リュックサックを重しにする。長辺が両手を広げた長さほどしかないので、仮の重しとしてはグレイのリュックサックで十分だった。


 次に、銀色の袋。アリサが両手で抱えるその中身は、もちろんお昼ご飯!


「食べやすいようにサンドイッチにしてみたよ!」


 二人で並んで布の上に座ってから、アリサが袋の中身を取り出す。木で組まれた箱が一つ。中身は色とりどりのサンドイッチ!


「もし腰を落ち着けられなくても食べやすく、量の調節も効く。正解だな」


「でしょうでしょう! おかわりはないけど、いっぱい食べてね!」


 とグレイに食べさせようとしながらも、最初の一切れ目を手に取ったのはアリサ。挟まれているのは、肉と白色のソース。


「でも私は鶏とマヨネーズが好きだから貰う! グレイの好きな苺とチョコレートソースは、一番端ね。そこから四つは甘いので固めてあるから」


「好きだが、甘いの以外があるのなら、それから食べよう。

 アリサ、この紫色のは何だ」


 グレイが指差す、パンの間から紫色が覗いたサンドイッチ。普段はない色だ。


 大きな一口目をごくりと飲み込んでから、アリサは答えた。


「それは、今回の挑戦枠その一! 茄子をチーズで焼いたもの! わりと無難かな。味見ができていないけど、冷めてるのをのぞいてもいけるんじゃないかなって思うよ」


 鮮やかな茄子だったので、紫色が目立っているだけだったようだ。中身を知っていれば安心して食べることができる。グレイは一切れ目をそのサンドイッチにした。


「どう? おいしい?」


 確かにアリサの言う通り、冷めた結果チーズが少し固くなっていたが、噛みきれないほどではなかった。パンに挟んだ結果、茄子とパンだけが口に入るときもあったが、茄子に下味がきっちりとつけられているので問題はなかった。


「おいしい。この感じだと他の挑戦枠も気になるな」


 最後の一口も飲み込んで、アリサの太ももの上に置かれた箱を見る。ぱっと見たグレイに具の予想ができなかったのはあと二つ。


「この白の具と、パン同士の間が薄すぎるのが、挑戦枠か?」


 正解! と言って、アリサは甘いサンドイッチとは反対側の端の、白の具のサンドイッチを取り出した。そのままグレイの左手に乗せる。一つ目の冷めたものとは違い、明らかに冷たい。


「では第二問! このサンドイッチの中身はなんでしょうか! 食べて当ててみて!」


 グレイならいけるはず! と太鼓判を押されては、食べざるをえない。しかし、アリサのわざと盛り上げる、乗せるようなノリのもとでこのサンドイッチを食べることを、急に体中が拒否し始めた。ぎゅるん、と胃は変な音を立て、鼻から入るのは山とは反対の、潮の香り。


 それでも今更返すわけにもいかず、目を閉じ、呼吸を止めて、口に入れた。小さめの一口を噛み切ろうとすると、身は柔らかく、すんなりと味わう段階へと移行することができた。


 しかし、この味が問題だ。やや甘味がある、が、パンに挟まれているだけの今の状態では少し物足りない。というよりも、グレイはこの食感に心当たりがあった。なぜこんなものを作ったのか理解はできないが、その心当たりを答える。


「昨日の、イカの刺身……?」


「正解、だけど、まずかった?」


 顔面蒼白で、答えてから口も止まっているグレイ。この味がまずいというわけではなく、サンドイッチに挟み込むアリサの思考回路がまずい。それを告げていいものかわからず、かといって飲み込むのも憚られるサンドイッチを口に留めたまま、硬直していた。


 一向に動き出さないグレイの横で、アリサがぼそぼそと言い訳を始めた。


「昨日、お刺身、残ったじゃん。でも、一週間家を離れるんだったら、残しておけないから。お刺身があったかくなったら駄目だし、解けない氷の横になるように調節して入れてはきたから、鮮度的には大丈夫なんじゃないかなって」


 腐っているような臭いはなかったが、肝心のサンドイッチにした理由は残っていたからなのか。


「揚げたりすればまだましだったと思うが、どうしてそのまま入れてしまったんだ」


「あっ、そうだね。え、私、なんでそのまま入れちゃったんだろう」


 グレイの予想するところとしては、今朝時間の迫る中冷蔵庫の残り物に気がつき、挟み込めばなんでも食べられるのではないかと詰め込んだといったところ。


 こうなると、最後の挑戦枠も問題児の可能性が高い。イカのような大きな具ではなさそうだが、中身を先に判明させ、一応の弁明を聞かなければ、グレイが安心して食べることができない。


「一人で反省会をしているところで悪いが、最後の一つ、この薄いサンドイッチの中身は何だ? 昨日の残り物は刺身以外になかったはずだが」


 つまんで取り出された、もはや中身のなさそうなサンドイッチ。その感想が半分正解で、半分間違い。


「それ、入れるものがなくなっちゃった、マヨネーズだけサンドイッチ……。食べられないわけじゃないけど、サンドイッチではないよねっていう。

 ほんとうにごめん! どんどん片っ端から挟んでいたら、パンだけ余っちゃって! 何もないより何かかな、って入れちゃった」


 具がない、味だけのサンドイッチ。


 でもこれならば、グレイに勝機がある。取り出したサンドイッチの上に、食べかけのサンドイッチを重ねて、一緒に口の中へ。


 目論見通り。刺身の生臭さがマヨネーズの味でいくらかかき消され、パンの割合が多いことに目を瞑れば十分に実食圏内にまでやってきた。


「名付けて、イカマヨサンドイッチ」


 パクパク、と軽快に口の中へ消えていく。その勢いは、どう考えても地雷のサンドイッチを生み出し食べさせたアリサも、食べてみたくなってしまうほど。


 ぼうっとアリサが食べる横顔を見つめているうちに、最後の一口も胃の中へ。ごちそうさまでした、と手を合わせてから、後ろに置かれていたリュックサックに手を伸ばす。水筒に口をつけるているのを見て、アリサは箱を片手に話しかける。


「お詫びになるかわからないけど、残りの中から好きな具を好きなだけ選んで食べて!」


 まだサンドイッチは八割近く残っている。さっきの二つが異常だっただけで、他のものにハズレはないと思われる。


「では、肉が入ったものと、甘いものを」


「それは全部ってこと? 私の分がなくなっちゃうのは困るから二切れくらい譲ってください!」


「甘いのは全部食べたいから、肉のほうから好きなのを持っていけばいい」


「本当に甘いものが好きだよね。こうなる気がするなって思いながら作ってたからいいけど。

 じゃあ、これとこれ、いただきます!」


 話しながらサンドイッチを食べる二人。暖かい日差しに包まれたその光景は、チェックの布の上だけを切り取ると、ただの穏やかなピクニックに見える。


 しかし、二人は気がついていなかった。食事をとる様子を岩の影から観察している男に。隠れたつもりでも小さな岩しかないためにはみ出している白いマントに。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る