第2話 第1章-2
龍とは、というところから始めよう。
かつて、龍は想像上の生き物だった。
体は硬い鱗で覆われ、長い尻尾を持ち、羽があるところは共通していたが、話によって角があるかどうかや、口から吐かれる息が炎なのか冷気なのか、はたまた人の言葉を話すかどうかまでバラバラで、一貫した龍の姿というものは伝わっていなかった。
そのため、寝ない子供が親や祖父母などに、「寝ないと龍がやって来て、食べられちゃうぞ」と脅されても、七歳になったころには、そんなわけないだろ、と鼻で笑うほどの扱いだった。
しかし、数十年前、とある街に本当に龍が現れた。その龍は現れただけで特に何もせず、震える人々を一瞥しただけで飛び立ち、雲の合間へと消えていった。
そのときにたまたま街に有名な絵描きが滞在しており、彼がその姿を紙に記した。それが国中に瞬く間に広がり、『龍は存在する』ということが認められた。今までは親の脅しを笑っていた子供が、口を結んですぐに寝るようになった、という噂を耳にしたことがない人はいないほどに。
「見たことはあると思うんですけど、一応持ってきました。これが龍の絵です」
カメラの入っていた鞄から出てきた、一枚の紙。
そこには、紙いっぱいに大きな龍が描かれている。左下に添えられた人間の絵から測ると、高さは人間五人分程。体長は、尻尾をどうの側に持ってきているので正確なものはわからないが、人間十人分以上あるだろう。また、鱗の色は薄い青で、頭の上に二つ角が生えているようだ。その角も、人間の半分くらいの長さがある。刺されても薙ぎ払われてもひとたまりもないだろう。
「今回はこの龍……ではないのですが、別の龍らしき目撃情報が多く寄せられていまして。目撃された龍は、おおよそ同じ方向へ飛び去っていることから、その先に巣があると思われています。
そこに卵があれば、持ち帰ってきてもらいたいのです」
お願いします! と頭を下げるお客様を前にして、アリサは冷や汗をかくことしかできない。一時の気の迷いで写真の代わりに引き受けることにしてしまったが、釣り合っていないにも程がある!
「えー、やっぱり無理……」
「そんなこといわないでください!」
どん、と、膝に置かれていた両手がテーブルの上につかれた。そのまま大きく頭を下げられる。突然の勢いに、二人は引いてしまった。
「もうあなたたちだけが頼りなんです!
一騎当千、百戦錬磨、灰髪の勇者様! なんでもござれの壮麗の大魔女様!」
これらは、彼らが昔旅をしていた頃、いきなり名乗れと言われて名乗ったものである。本人たちはなかったことにしていたのだが、まさかそれを頼りにした依頼人がここまで来てしまうとは。黒歴史を正面からぶつけられ、アリサの耳は真っ赤に染まっている。
「そ、壮麗は、言ってない、です……。あと、大とかは、ないです……」
フォローになっていない補足を入れ始めた。彼女の記憶では、「困ったときはこの魔女様におまかせあれ!」と言っただけという覚えだった。しかし、それを伝えたら、依頼を引き受けることになってしまいそうなので、訂正ができずにいた。
「壮麗は、術を見た人が、『大きいな、綺麗だな』と思って入れたらしいですよ! あとグレイさんの灰髪の、は、特に特徴がないから語呂合わせに差し込んだらしいです」
「本人の前で特徴がないと言うのは失礼では?」
「そ、そうかも……。でも一応真実を伝えたくて。
それは置いといて、何卒!」
もう一段階頭が下がる。もうおでこが机につきそうだし、結ばれていないやや長さのある顔の横の髪は、お菓子についてしまいそうだ。
「とりあえず、顔上げてよ。話しづらい」
アリサの耳はまだ少し赤らんでいたが、なんとか平静を保とうとしていた。声をかけられたお客様は、テーブルから手を離し、ソファに座り直した。
「私たちのことを知っていて、無茶な依頼を持ってきたことはわかった。
でもあなた、自分のことを話しかけたところで止まってるから、なんでそんなに龍の卵が欲しいのか、とかがわからないんだよね」
「それは紅茶を持ってきたアリサが遮ったからで……」
「そうじゃん。ごめんなさい。
で、そこをもし教えてくれたら、納得して、無理かもしれないけど、動けるかもしれない。できないことは受けられないから、断るかもしれないけど、それでも聞いたことは誰にも話さないから。ここまで来たってことは、それなりの理由があるんでしょう?」
さっきまでの勢いが一転、彼女の顔から笑みが消える。その真剣な眼差しに、二人も動かず、じっと待つのみ。静かになった部屋には、夕立だろうか、雨音だけが聴こえる。
ゆっくりと、口が開かれた。
「私、半年ほど前に王都で新聞社を始めました、マホといいます。自分の好きなことについて写真を撮って、それに自分の調べたことを書いて、買ってくださる家に自分で届けに行くという形のものです。以前までの掲示板に貼られたものを全員で見る形ではなくて、少し値は張りますが、印刷してもらったものを一人一つ読んでいただく形です。
当然、これだけのことをただの一般人である私が簡単にできたわけではありませんでした。ある縁から親しくなった富豪の方に出資していただいています。そして、大きなお金を、儲けから少しずつ返していっている形です。十年、二十年以上かかると思っていました。
しかし、先週突然、すぐに全額返せ、できないのならば何か価値のあるものを渡せ、と。そして、価値があるものとして提示されたのが、龍の卵です。当然ながら私には無理です。手持ちもあまりなく、前払いで王都の傭兵を雇うことはできませんでした。雇えたとしても、あるのかないのかわからない探し物に、真剣になってくれるとは考えられなくて。お二人はご存じないのかもしれませんが、最近の傭兵はあまり信用ならない相手という考え方が多いんです」
「なかなか大変なのね、若いのに……」
歳はグレイと同じくらいだろうか。グレイの苦労とは誰も比べられないが、マホもまた年相応以上に苦労しているであろう現状がひしひしと伝わってくる。
今手元にハンカチがあれば目元に当てていそうなアリサに対して、グレイは表情一つ変えない。マホの話し始めから眉一つ動かさないので、冷淡に見えていることだろう。
そしてそこから、
「では逆に、なぜ俺たちを選んだんだ? 俺たちだって、同じことをするかもしれない。伝説の一行なんて言われているようだが、それは縋るほどのものなのか?」
「ちょっとグレイ!」
同情の一欠片も感じさせない、変わらない表情のまま、ナイフのような言葉が投げられる。マホは言葉に詰まり、もごもごと口を動かすだけになり、それを見たアリサは、彼を睨みながらぐっと拳を握りしめている。
「あ、いや、すまない。
マホが困っているのもわかるが、俺たちにも俺たちの生活があるし、依頼内容についても目処が立たないというのが事実だ。話にあった傭兵のような引き受けて働かないということはないが、できないことは引き受けられない。もしよければ、場所などをもう少し詳しく教えてもらえないか」
「はい、わかりました」
後から察した彼の弁明に納得したのか、はたまたどんな態度の相手でも頼らないといけない状況なのか。マホは頷き、鞄の中を探り始める。
すぐに、もう一枚紙が出てきた。これは二人も知っている。一般的な地図だ。この地図の右端の村がこの家の最寄りの村になっていて、左端には王都が描かれている。
「これは、王都の東側を重点的に描かれた地図です。ここは、地図の外ですね。なので、最寄りの村を目印に話しますね。
この村から、ここへ向かう東への道の他に、南へも道が出ています。でも、村はなく、行き止まりになっていますね」
「そうね。家をどこにしようか見に行ったけど、山が険しすぎて引き返しちゃった。」
「ご存じでしたか。それなら話が早いです。
その道の先、東側で一番高い山の頂上付近に向かって、龍が飛び去っていくのを見かけた、という話が多く寄せられています。」
この山の頂上は、いつも厚い雲に覆われていて誰も見たことがないと言われている。雲を観察している物好きによると、あの雲は他の雲とは様子が違う、『動かない雲』だという。雲が動かない理由が龍と関係あるという可能性は、ないとはいえない。
「なるほど。
では次だ。なぜ龍の卵なのか。卵があるという理由が今までの話にない。また、大きい龍の大きいだろう卵をどうやって渡せばよいのか」
理路整然と、次の話へと進めていく。マホの目線が左右に少し揺れたあと、潜めた声で話を続けた。
「龍の卵、というのは、無理難題というものではないか、と考えています。
なぜなら、私の借金は、私一人が人生をかけて返そうとしていたものだからです。言ってしまえばその程度です。龍の卵なんて、誰も見たことがないものとは釣り合っていません。
率直に言うと、彼はすぐにお金が欲しいのではないかと考えています。現金か、龍の卵か。この二択だとお金を選ばざるをえませんよね。選択肢を出しているように見せかけて、実際はない。契約をして、対等に貸借をしたと思っていたのに、こんなことは、ひどい、納得いきません!」
マホの両手がぎゅっと握られる。
「だから、私は、龍の卵を持っていきたい。ただ借金を全て返すだけじゃ納得いかない、不当なことに屈しないところを見せたいんです!
でも、私だけでは、たとえ場所がわかっていても、卵を取りにいけません。そこで、前に取材していた方が言っていたこの場所に来て、お願いするしかないと考えて、来ました!
さっきは写真の交換条件なんて言ってしまってごめんなさい。私も釣り合わない条件を言ってしまったら、彼と同じです。写真はお渡ししますが、他にももっともっと、お返しはします。でも、今約束できる手持ちはありません。けれど、でも! いつか必ずお渡しするので、あの山の頂に龍がいれば、卵を持ち帰ってきてもらえませんか!」
もう一度、深く、深く頭を下げるマホの前で、二人は顔を見合せた。
二人の理由は違ったが、その答えは同じ。
『わかりました。引き受けましょう』
「ありがとうございます!」
商魂逞しい彼女は、顔を上げてすぐにカメラを構えた。そのときの写真は、後に新聞の一面を飾ることになる。
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