エピローグのその先へ

千代紙

第1章 龍の卵を持ち帰ってきて!

第1話 第1章-1

 地図の外れの村からさらに歩いて一時間のところに、今にも崩れてしまいそうに見える一軒の小屋があった。

 その小屋の前には、風に吹かれれば飛んでいきそうな木の看板が刺さっていた。


『伝説のパーティー、いません』




「えっ、ほんとうに立ててきたの、その看板」

「ああ、いないことにするならば、いないと書いたほうがいっそ意味があるのではないのかと」

「意味がないでしょそれは。火のないところに煙は立たないのに、その看板じゃ、薪をくべにいったようなものなんだよ!」

「なるほど。以後気をつけよう」


 今日もいつものように、二人でリビングの大きなソファに座り、たわいもない話をしていたときだった。不意にグレイが立ち上がり、外へ出ていった。そして、数十分後に戻ってきた。アリサはその後ろ姿を見送るときに、(何かを思いついたんだろうなぁ)とは思ったが、特に止める理由を思いつかなかったのでそのまま見送った。その結果がこれである。


 このような、どこかずれたグレイの突発的な行動は、アリサと二人で暮らし始めてからもしょっちゅうのことだった。しかしそのたび、アリサはため息一つに「なんでこいつと二人っきりで暮らすことを選んじゃったんだろう」という自分への嘆きとそのときにいいかけた文句を七対三くらいで込めて、飲み込んで過ごしている。決して二人で暮らしたくないわけではないが、一人で過ごした期間が長かった彼女と、とても変わった人であるグレイの組み合わせは、彼女の過去の選択について悩ませてしまうほどのストレスを与えているのは確かではあった。


「まあいいよ、次から気をつけて。

 っていうか今すぐ抜いてこよう! こんな山奥、全然人が通らないから今抜けば大丈夫!」

「そうだな、行ってくる!」


 フットワーク軽く、グレイがソファから立ち上がったそのときだった。

 カラン、とベルの音が鳴った。部屋の外、でも、この家の中。このベルの音は。


「玄関のドア?」


 グレイが呟く。さっきすぐ近くで聞いた音。


 その言葉をを聞き取ったアリサの顔は、あっという間に青ざめた。早口で話しながら、それと一緒に泡もふきそうな様子。


「ちょっと、ちょっと待ってよ、こんな看板で呼び込み成功みたいなの望んでないんですけど!

 ってか、誰か知らないけど、玄関のドアを勝手に触ってるんじゃない! 呼び鈴を作ってないのは私だけど、大声で呼ぶとかちょっと待つとか、リビングの大きい窓から手を振るとか考えれば何かしらあったんじゃないの! でもいきなり知らない人が窓の外にいたらめちゃくちゃビックリしちゃうからやっぱりそれなし。呼び鈴がない時点で諦めて帰ってくださいよー!」


「落ち着け。そんなに騒ぐとドアの前の人に聞こえるだろう」


「そうじゃん。失礼しました……」


「謝ってる声は聞こえてなさそうだが」


「いいんだよそれは……。向こうも大声のごめんなさいが飛んできてもどう返したらいいかわからないでしょ。

 でも、どうしよう。来てるわけだよね、誰かが」


 声は落ち着いても、グレイにはくるくると宙に円を描くアリサの両手が見えている。


 アリサが驚きを通り越し、パニックに陥っているのには理由があった。あの日、彼女が選んだのは、グレイと二人でのスローライフ、一つ一つの時間を大切にしながら過ごす余生である。


 また、彼女はこのドアベルを買うときにこう話していた。


「この音が鳴れば、いつグレイがふらっと外に出ていったり、帰ってきても、すぐに気がつけるから」


 と。そして、彼女自身は玄関を利用しないので、この音は彼専用のもののはずだった。


 そして最後に。家主が知らない訪ね人というのは、往々にして迷惑なものであるということ。


「すみません。私、ここにいるらしいグレイさんとアリサさんに依頼をしたいことがありまして。いらっしゃいますか」


 しびれを切らしたのか、それとも二人の話し声が止まったからなのか。見た目以上に広い家だが、決して大きくはない家。なおかつなぜか玄関のドアが開いているのなら、大声でないだけの普通の話し声が聴こえてしまったとしても不自然ではないだろう。


 会話が止まった隙に割り込める、玄関のドアを勝手に開けるその強気の依頼人は、どうやら女性らしい。少し上ずった、緊張しているような声。その声に、中にいる二人ともに心当たりはなかった。


 だから、二人は同時に、一つ頷いてから大きく息を吸い、持てる限りの大声で叫んだ。


『家の前の看板をご覧ください!』








「とはいっても、ここ歩いてきた方をそのまま返すのは失礼。そして、アリサは応接室を作っている」


 冷静なグレイ。大声の後でも表情一つ変わらない。


「まあ……まあね。一応、知り合いとか? が訪ねてくる可能性がないわけじゃないじゃない。そのときに何ももてなせないのは、一国一城の主としては不適切だと思って」


 息を整え、ようやく本当に落ち着いたアリサ。


「でもまだ本当にお客様が来るとは思ってなくて。出せるお茶もないし、水でいいかな?」


「さすがに水はまずい。いや味は井戸水にしては美味しいが。

 待て、そんな顔をしないでくれ。わかっている! 少し場を和ませようと……、すみませんでした。

 で、まずい理由が、あの無駄に豪華絢爛な部屋の装飾と、いつも使っているガラスのグラスは合わないと考えたからだ。丁度似たような雰囲気だと同時に買っていたティーセットがあったはずだから、それを使って出せそうなお茶は本当にないのか?」


「ティーセット、どこだっけ。

 ってなってるってことは、無駄って言葉を否定できない……」


 アリサに、ティーカップ、ソーサー、ティースプーン、ティーポットまでが同じ柄のセット一式を買ったという記憶はあったが、使う予定が全くないのでどこに閉まったのかを思い出せない。一階の物置? 階段下のスペース? 地下室? 二階? 屋根裏? 屋根裏だと大分面倒だし、お客様にこれから会うのに埃まみれになってしまったら失礼?

 でもこのまま今日を逃して眠らせてしまったら、グレイの言う通りに無駄な買い物になってしまいそうだ。ならば。


「とりあえずグレイ、お客様を応接室に通して。それから、茶葉買い一分、湯沸かし三分、抽出五分、持っていくの一分、合わせて十分稼いどいて! カップは……、見つける!」


 早口で言い残して、アリサは消えた。すぐに街の紅茶専門店に飛び込んでいるのだろう。


「まったく、人使いが荒い。

 さて、俺は、家主が戻るまで十分ほど応接室でお待ちいただいてもよろしいですか、とそのまま言ってしまってもいいのだろうか」


 グレイは悩みながら、玄関前で待っているであろうお客様の元へ向かった。









 天使の刺繍されたカーテン、どこかわからない草原が描かれた風景画、白い花が飾られた花瓶、肘掛けが金色の革製のソファ。案内したお客様の目が見開くところをグレイは見ることになった。


(やっぱりこの力の入れようは、誰かを招く気があっただろう)


 口ではスローライフ、隠居生活と繰り返していても、本当はどこか寂しいのかもしれない、とグレイは思ったが、いつも彼女に「グレイは何もわからないのに、女の子の気持ちはさらにわからないよね!」と言われているのでそんなことはないのかもしれない、ただ買い始めたら楽しくなっただけかもしれない、と思い直した。


 今はそれよりも、目の前のお客様に対してだ。どうにかして時間を稼がなければ。


 お客様は、まずカーテンと窓の外(この季節は色とりどりの花が咲いている)を見に行き、そのあとに花瓶と花を少し見て、風景画の正面のソファに腰かけた。柔らかい毛並みの絨毯には、なぜか用意されていたお客様用のスリッパの跡がたくさんついている。



「わぁ、すごい応接室!  今まで見た中で一番素敵です!

 あ、座っちゃって大丈夫でした……?」


 ぼんやりと時間稼ぎの方法を考えていたため、グレイ自身は気がついていなかったが、目つきが悪くなっていたらしい。今までの行動の全てが大胆なお客様も、様子を伺うように入り口で立ちっぱなしのグレイを見上げてきた。


「ああ、構わない。でも、ソファ以外のものには触らないでくれ。家主のものだから、俺からは何も言えない」


「わかりました。それと、今のうちに写真を撮らせてもらってもいいですか?」


 お客様は、腰の前側に固定していた鞄から、黒く四角いものを取り出した。正面に銀色の輪がついている。


「写真?」


 その物体を知らないグレイは、おうむ返しをするしかなかった。


 お客様は、慣れた手つきで銀色の輪をくるくると回し、外して鞄に閉まった。それは蓋だったようで、円の内側、さっきまで黒だった場所にグレイが写っていた。


「そう、写真、カメラです。

 もしかして、知らない……?」


「ああ。初めて見た。写真も、カメラも、聞いたことがない。アリサなら知っているかもしれないが」


 頬に手を当てるグレイの前で、パシャリ、と音が鳴った。数秒後、黒い物体を自身の顔の前からずらし、両手で抱えたまま説明を始めた。


「今音が鳴ったときに、写真が撮れたんです。音はこの黒いカメラからしていて、今グレイさんが写っていたところ、レンズって言うんですけど、そこに写っていたものが写真になるんです。

 ええっと、これで合ってるのかな。私は買っただけなので仕組みに詳しくはないんです。でも分からなくても使えるので、王都だと二人に一人は持ってますね。グレイさんも一枚くらいでしたら撮ってみても大丈夫ですよ」


「いや、遠慮しておこう。触って壊してしまったらいけない。

 ところで、さきほどの話にあったが、あなたは王都から来たのか」


 王都からここまでは、歩きでは一週間以上かかる距離だ。流行りものを買えるくらいの経済状況である以上、歩いて来た訳ではないだろうが、それでも相当に時間がかかっているに違いない。


「はい。って、興味持たれたのはそこですか。

 こういうのはアリサさんも揃ってから話そうかなって思っていたんですけど、聞かれたし、また後で被ってしまっていたらすみません。

 私は王都で、個人での新聞社を始めたばかりなんです。このカメラで写真を撮って、それを現像、現像っていうのは、何だろう、それをすると写真が出来上がるんです。たとえば、さっきの悩むグレイさんとかが紙になって、持ち歩けたり、飾れたり」


「その話詳しく!」


 耳障りの悪い、カップとソーサーのの擦れ合う音とともに、アリサが部屋に飛び込んできた。あまりにも突然の出来事に、会話も止まり、やがてカップの揺れもも止まり、空気も止まったまま。


 アリサはそこでようやくことの重大さに気がつき、お客様とグレイの顔を確認して、にっこりと大きな笑顔で話し始めた。


「あっ、あらあら、あらあらあら、お客様! 本日は遠路はるばるありがとうございます。つまらないものですがお茶とお菓子を用意しましたので、どうぞお召し上がりくださいませ」


「さすがに無理がある」


 あわてて被られた猫を剥がす容赦のない現実。それでもめげずに被り直して、アリサはこれ以上音を立てないよう、丁寧にティーセットを机に置いた。そして、グレイと共に、お客様の向かい側に座る。


「お客様が王都から来たことを知らなくて、王都で流行りという茶葉と焼き菓子にしてしまったけれど、食べ飽きた味だったらごめんなさい」


「いえいえ、私この組み合わせ大好きなんです! ぜひぜひいただきます!」


 カメラを机に置き、お客様はまずクッキーを手に取った。そのとき、アリサがほっと息をはいたことに、隣に座るグレイだけが気がついた。


「どうした?」


「実は……慌てて入ってきちゃったから、紅茶がまだ出ていないかもしれなくて。クッキーから食べてくれてよかった」


「まったく。そんなに写真が気になったのか?」


 アリサは頷く。


「写真になった悩めるグレイが見放題なんでしょ?」


「多分……?」


「笑うグレイも、怒るグレイも、写真にして現像してもらえれば見放題?」


「まあ……?」


 アリサの目が輝いている。だんだんと興奮してか声が大きくなっていて、お菓子を食べ続けるお客様に聞こえてしまっていた。しかし、お客様は何かを察したのか、はたまたお菓子に夢中なのか、何も言わない。


 グレイはキラキラした瞳を見ながら、今困っている俺の顔も写真にしたいのだろうと考えていた。


 彼女は、その通りのことを考えていた。そして、なんとかお客様のカメラを向けさせることができないかと、ちらりちらりとカメラを見始めた。すると、視線の動きからか、お客様はお菓子に伸ばす手を止めた。


「さっきの流れから感じていたのですが、アリサさんはカメラに興味がおありですか?」


「はい! 私、すっごく興味があります!さっきのようにもう何回か、グレイを撮って、現像した写真を頂けないでしょうか?」


 もうどちらがどちらに依頼をしにきたのかわからない。


 お客様は、少し止まって天井を見上げた。その後目線を戻し、言い淀みながらもこう言った。


「で、では、私の依頼の報酬、という形とか……?」


「わかりました! どんな依頼でも私たちが引き受けましょう!」


「待て。簡単に言うな。俺にメリットがない」

 

 まだ内容を聞いてすらいないのに、勝手に二人で引き受けるという約束に巻き込まれてしまったグレイ。しかも報酬の彼自身の写真は、彼にとって報酬になり得るほどのものを感じさせない。アリサが喜ぶのを見ることは悪くないことではあったが、わざわざここを訪ねてきたほどの依頼内容に釣り合ったお礼なのだろうか、さっきカメラは王都で二人に一人が所有していると言っていたので、アリサが買って俺の写真を撮ればよいのではないか、と考えてしまっていた。


「今のグレイの顔、写真にしてほしいな……」


 アリサの声で我に返るグレイ。また目つきの悪い顔をしていたのだろう。


「次していたら、バッチリ収めますので!」


 オーケー、と手でサインをしながら、カメラが撫でられる。彼に逃げ場はない。


「で。依頼って、内容は?」


 グレイはなるべく平静を装って、お客様の手がお菓子に戻る前、アリサによって話が脱線する前に、勝手に巻き込まれた依頼の内容へと切り込む。お客様はいつのまにか半分近く減っていた皿から手を引き、両手を揃えて膝の上に置いた。


 二人の視線が、神妙な面持ちのお客様に注がれる。


「実は、お二人に、龍の卵を持ち帰ってきてほしいんです!」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る