第5話
私はひどく動揺しながら歩いた。彼女がすっかり変わっていたから。似ても似つかない、明るい女の子になっていたから。
うちに来てよと勧められて、断ることもできたのに、私は曖昧に頷いていた。ジュンは私の手を握った。そして昔のように引っ張った。
「ミッちゃん、疲れてたのかな。お腹いっぱいになるといつもは元気いっぱいなんだけど」
子ども部屋から戻ってくると、ジュンは私に笑顔を向けた。
「あ、ごめん。お茶とかいる? 喉かわいてるよね」
どちらとも言えなかったから曖昧に頷くと、ジュンは微笑んで冷蔵庫へ向かう。
「麦茶でいい?」
「うん」
「氷は?」
「大丈夫。ありがとう」
ジュンは私が座るソファの斜向かいの一人がけに腰掛けた。持ってきたお盆には、コップを二つと、お茶請けのお菓子があった。
「食べて食べて。遠慮は良いから」
「うん」
お茶を口に含むと懐かしい味がした。なんどかお家にお邪魔したことを、私は思い出していた。
「変わらないね、クニちゃん」
「そう?」
「うん。見てすぐに気づいたよ、私」
「そう……」
「あ、気付かなかったこと、気にしなくていいからね」
「はは……ごめん」
ジュンはお茶を飲んだ。
「最近はどうしてるの? 東京に行ったことは聞いたけど」
「……誰から?」
「お母さん。クニちゃんの。ミッちゃんが生まれたとき、たまたま病院で一緒になって。……あ、いま田舎っぽいって思ったでしょ」
苦笑すると、ジュンも笑った。口元を押さえて、体を丸めて笑うクセは相変わらずだった。この笑みに、愛おしさを感じたことも、憎悪を感じたこともあった。
「帰ってきたの、いつ?」
「今日。……お父さんが倒れたらしくって」
「大丈夫だったの?」
「熱中症だって。水不足で……脳の血管が詰まったりもしてたから、ちょっと大変だったみたい。手術したらしいけど、それは容態を確認するための検査で見つかった腫瘍に関するものだって……」
「そんなことあるんだ。……怖いなあ」
ジュンは、まるで母さんみたいな口ぶりで言った。昔は……こういう風に話したっけ。
「東京はどう?」
「普通かな」
「昔っからいっつもそう言うよね」
「でも、ほんとに、そういうふうにしか言えないし」
「ふうん……」
「会社行って、仕事して、スマホで音楽聞いて……また会社行って」
うんうん、とジュンは頷いた。
なんとなく落ち着かなくて目を逸らす。
リビングの壁の本棚には見覚えがあった。中学の頃にも見た歌集が、埃を被って並んでいた。それで、気づいた。
「ジュン」
「うん?」
「……創作、もうやってないの?」
ジュンは私がなにを見てるかに気づいたようだった。
「……うん」
頷くと、ジュンは懐かしそうに目を細めた。
「大学時代にいまの旦那に会ってさ。それから、そのまま結婚して……子どももすぐ産んだから、忙しくて」
「それで……」
辞めたというのか。
私が届かなかった場所にいたのに。
「……クニちゃんに小説、見せてもらう前にやめちゃった。ごめんね」
「なんで、謝るの」
悪いとも思っていないくせに。
声が震える。
ジュンは両手でコップを持つと視線を小さく揺れる水面に向ける。
「ん……先しとけば送りやすかったかなって。クニちゃんにちょっと無茶なお願いしちゃったし」
ジュンは子供部屋の方をちらっと見た。
「けど、全然時間なくて……それに、私はミッちゃんとか旦那が、面白い、って言ってくれるだけで十分だったし、悪かったな、って」
顔を上げて、私の方を見て、ジュンの顔色が変わった。
「ごめん」
「っ……なにが」
お茶を飲む。口の中が熱い。ジュンは戸惑った様子で、声をかけあぐねている。私は時計を見て、大げさに声を出した。
「ごめん。そろそろ帰るね。ごちそうさま」
席を立つ。玄関に向かうと、足音を立てながらジュンが追いかけてくる。
「クニちゃん」
玄関を開けて出ようとすると、名前を呼ばれて呼び止められた。
「なに?」
「……また、また会おうね」
私は曖昧に頷いて、扉を閉める。
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