第18話 策略家の料理
焚火の火に俺らの影がゆらゆらと揺られている。ということはつまり辺りは暗い。もう日が沈んだ後というわけだ。おまけにここは山間の小さな洞の中、インゴのおっちゃんの休憩所である。吹き抜ける風は湿っぽい。毛並みがぼさぼさとする。
「今日は早めに休めよ。明日は朝から一気に山を下って街道を西にまっすくだからな」
おっちゃんはそう言って焚火の上の鍋から煮た芋をよそうとシビルに手渡した。受け取ったシビルは手をあたふたさせている。
「ところでユルゲンブルクはなんで急に魔法使いを捕まえたりリーゼルの望石を探したりしてるのかしらね。リンダの婆さん曰く東の大地で何かがあったらしいけど」
口を割って話し始めたのはイーリス、というよりリリスか。その話しぶりを聞いたエマは食べかけていた芋を器に落としてイーリスの方を向いた。
「ど、どうしたんですか? 急に別人みたいに」
「いろいろ事情があるの。気にしないでちょうだい」
「は、はぁ。ええとですね、ことの経緯としましてはまずご存じの通りちょうどひと月ほど前、魔法使いたちの住む東の大地が突如消滅しました」
らしいね、とシビルが一言相槌をうつ。
「それで皇帝陛下は国中の学者に過去の文献を調べさせたらしいのですが、そこで今回の一件と最も似ていた事件が四〇〇年前に起きた大悪魔の厄災だそうです」
「知ってる?」
リリスはシビルに向かってそう尋ねる。シビルは記憶はなくとも魔法関連の知識は一通りなくなっていない。となれば魔法使いに関連する歴史上の出来事なら覚えていてもおかしくないと、そういうことだろう。
シビルは顎に手を当ててしばらく悩ましそうな顔を浮かべてから自信はないというような小さな声でぶつぶつとこう言った。
「知ってはいる。だけど詳しくはわからないね。大事なところが妙に抜けている気がするけど……。ひとまずある魔法使いが六柱でさえ力の根源として使わなかった悪魔を使役するどころではなく人の身に降ろそうとまでした。けど、依り代が耐え切れず半端に顕現した大悪魔は暴走してこの地に厄災をもたらしたと」
シビルが一通り話すと聞いていたリリスは先ほどの話を続けようとするエマに割り込むようにして口を開く。
「六柱って何だったかしらね」
俺もその質問をしたかった。もはやエマは何の話かついてこれず頭の上にはてなを浮かべている。一方のおっちゃんはなんとなく理解しているのか料理に夢中なのかただうなずいていた。
「もっとも偉大な六人の魔法使いさ。生命のヴィネッサ、万象のアルヴィン、精神のシンシア、魔封じのイヴ、時導のミュリエル、そしてすべての魔法使いの始祖ソロモン。この六人のことさ。別に覚えるほどのことじゃないよ」
「ヴィネッサってたしかあの婆さんの婆さんよね?」
「そうみたいだね。こんなところで偉大な六柱の血縁に会えるとは、記憶を失う前の私だったらどれだけ喜んでたか」
エマはきょろきょろうずうずとした様子で
「え、えっと、話が逸れましたがそれで大悪魔の復活について調べたいので魔法使いを集めたいと。それで西のこの大地にいる魔法使いのリンダさんを伺ったのですが断られてしまい、そこにたまたま居合わせたあなたを連れてきたというわけです」
「リーゼルの望石については?」
シビルは追って尋ねた。
「同じく文献を調べていた時に関する記述が発見されたものらしいのですが、なんでもあらゆる願いをかなえる石だということで。それで……大悪魔が復活……しても」
途中まで話したところで声が急に弱く、とぎれとぎれになる。エマの様子がおかしい。そう気づいたときには彼女はふらふらと持っていた椀を落としてその場に倒れこんだ。
リリスもといイーリスが倒れたエマを揺さぶって大丈夫かと言っている。シビルはその様子を見た後、ある一点を睨んでいる。そしてこともあろうにおっちゃんはその様子をむしろ喜ばしそうにしていた。
「やっと、眠ってくれたか……」
インゴのおっちゃんはため息交じりの吐き出すような声でそう言ってから、
「指令とはいえ悪事を働くのはいい気がしねぇな」
と小さな声で添えた。
「どういうつもりだい?」
シビルは低い声で尋ねる。
「どうもこうも、俺の雇い主からの頼みでな。嬢ちゃんをみすみすユルゲンの皇帝に引き渡すわけにはいかねぇんだ。……ああ、心配するな? あの兵隊さんに飲ませたのは単なる眠り薬だ。明日にはすっかり元気だろうよ。もちろん二人のには入れてねぇからな。イーリス、そのままじゃあれだ。兵隊さんを寝かしてやっといてくれるか」
イーリスはおっちゃんとエマの間で視線を何度か往復させた後、言われた通りにした。
「それで、私はユルゲンブルクの皇帝さんと会わないのであればどうするというんだい?」
「実はうちの上が嬢ちゃんに頼みたいことがあるらしくてな。詳しい話はある男に聞いてもらうつもりだ。つまりまずはそいつに会ってもらうわけだな」
「なぜそもそも、記憶すらなく突然現れた私を君の上は知ってるんだい? 不思議な話だが」
「そりゃうちにも諜報活動をしてるやつくらいいる。帝国の奴らが嬢ちゃんに目をつけて捕まえようとしてるって話を聞いてな。それで奴らより先に嬢ちゃんを捕まえようとしたわけさ。そして案の定俺が最初に見つけたと。魔女の襲撃や帝国の奴らが想像以上に早く来やがったのは予想外だがな」
「へぇ、つまりエマ君が言っていたたまたま居合わせたは嘘ということかい?」
「そうかもしれないし下っ端にはそう聞かされてるのかもしれないな」
「なるほどね、じゃあ聞こう。なぜ帝国は私の存在を知っていたと思う?」
「それが一番大きなもんだいなんだよ。俺らの見立てでは皇帝は魔法にかかわる何者かと通じている。魔法使いか、あるいは……魔女か」
おっちゃんは声を小さくしてそう言った。
「そして皇帝はおそらく、もはや自分の意思で意思決定すらしていない。考えてみろ、普通の人間が一二〇歳まで生きて、しかも皇帝を務められると思うか? 奴の息子娘はもうとっくに死んじまって王位継承権を持ってる孫ももう年のいったやつばかり。だがいまだに皇帝は皇位を退かない。つまりだ、この国は何者かに毒されているわけだ」
「つまりその魔法使いなり魔女なりユルゲンブルクに巣食うやつの正体を暴けばいいということかい?」
「端的に言えばそういうことだな。嬢ちゃんにとっても悪い話じゃないはずだぜ? 何企んでるかもわからねぇユルゲンの皇帝の言いなりよりは協力者がいて探りを入れられる方がいいと思うけどな」
「そうだね。こっちには助けてもらった恩もある。それに私も付け狙ってくる魔法使いの手中に素直に収まるのは嫌だからね。魔女の襲撃の件もある。私が信用するにはおじさんたちの方が値するかな」
ということは、しかしエマはついてきているというのにどうやって逃れようというのか。それに帝国の中にいてはいくら隠れようと見つかってしまうのではないか。先に言えばそんな心配は無用だった。
というのもおっちゃんは俺が思っていたよりも相当やばい人間だった。そしてこれから会うというその男はもっと常人に域を超えていた。さらに言えば帝都ユルゲンブルクは都というにはあまりに異質な場所だったからだ。
「交渉は成立と考えさせてもらうぜ。具体的な話に入ろう。まず俺たちはユルゲンブルクの南東門から帝都へ入る。この地区はうち仲間の手が薄い。よってまずは西部の商業区に入る。ここで兵隊さんにはもう一回眠ってもらう。その後俺は兵隊さんを人質としてうちの親玉のところまでお連れするわけだ。その間に嬢ちゃんとイーリスにはある店に行ってもらう。場所は向こうで伝える」
「わかった。まずは言うとおりにしてみるとするよ。君たちが私の味方になり得ないと判断したらこちらも切らせてもらうがいいかい?」
「もちろん構わねぇよ。こっちはあくまで協力してもらいたいだけだ。そんであってほしい男だが、ユルゲンブルクでの活動は基本そいつとしてもらうことになる」
「どんな奴だい?」
「俺の旧知の仲でな。傭兵の男なんだが名をイェルクという。ちょっくら普通じゃねえし何ならユルゲンの皇帝よりよっぽど人間離れしてるけど悪い奴じゃねぇ信頼してやってくれ」
おっちゃんはそう言うのだった。今の一言で信用をすべて失ってもおかしくない。なぜおかしくなった皇帝の調査を頼むのにもっとおかしい奴と協力せねばならないというのか。ユルゲンブルク、一体どんなところなのか見当もつかない。
「じつはその傭兵が気になっていたんだよ。君から少々気になる魔法に似た気配があったけど話を聞いた限りその傭兵の物のようだね。とても私の好奇心をくすぐる気配だ」
シビルはシビルでなにかよろしくない好奇心の炎がついてしまったようである。こういう笑みを浮かべるシビルはろくなことを考えてないからな。
ルードルフのように穏やかに、とはいかなそうである。そう、魔女の襲撃など所詮穏やかなものと思えてしまうほどに。
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