第16話 三流・訪問者

「イーリス、お前さん正気かね?」


 案の定リンダは同意してはくれなかった。ひどく心配しているようだ。血はつながっていなくても孫みたいなものだろうからな。さてこれはリンダのお説教のごく一部。


「旅に出るってことがどういうことかわかってるかい? お前さんの耳とその髪はちょいと目立ちすぎるんだ。特に魔法使いってのが怪しまれてきな臭いことになってる今、魔法使いを何も知らん人間が見たらどう思うかいね? あたしゃ直近のユルゲンブルクに行くのさえ危険だとあたしゃ思うがね」


 コホンと咳払いするとリンダは間髪入れず続ける。


「それになんだって? お前さんが魔法を使った? リリス隠れてないで出ておいで、お前さん何をしたかわかってるのかい? ただでさえお前さんらの身体は魂と身体の結合が不安定だ。そこに魔法で魂が変形なんてしたら何が起こるかわかりゃしないんだよ?」


 以下略。この長い長い耳にたこができるような説教に終止符を打ったのはシビルだった。あくびをしながら階段を降りてくると、ことの概略を聞いてこう言ったのだ。


「私は別に構わないよ。彼女がそうしたいなら。私もおじさんと二人旅はちょっと暑苦しかったしね。それに彼女が魔法を使ったって言うのは心配ない。私の魔法を信じてくれるかだね」


 シビルがそういうと、リンダは顎に手を当てて難しい顔をする。


「いやしかし……、イーリスを危険な目に合わせないかい? あたしゃそれが心配だ」


「それは私の知ったところじゃない。まあ私としては周りの人間が私のせいで死ぬなんてことはさせないつもりだけどね。私が嫌だから」


 らしい回答だな。回りくどいこと言うが素直じゃないだけだ。本当は自分が守ってやってもいいくらいに思っているんだろうよ。


「うーむ。だがイーリスや、お前さんがどこまで行くつもりかは知らないがね、少なくともユルゲンブルクを出たらそう簡単にはルードルフには戻れないんだよ? それに酒場の仕事とももちろんお別れだ。お前さんに良くしてくれた村の馬鹿どもとも簡単には会えなくなっちまうだろうねぇ。お前さんがよく知りもしないあんな馬鹿な男のためにそこまでする必要があるのかい?」


 そういわれるとイーリスは少し黙り込む。


「……村のみんなも、ばーちゃんもみんな家族だけどよ、親父ももちろん、何も知らなくたって家族なんだよ。親父が何考えてるかなんてわかんねーけどもし連れ戻せたら、ルードルフで一緒に暮らせたらどうなるかなって。アタシは親父をつれてこの村に戻ってくるつもりだ。どんなに難しくてもアタシはいまそうしたい」


「簡単なことじゃない。わかってるね?」


「わかってる」 


「そうかい。お前さんがそういうならもはや止めるまい。オスヴィンの馬鹿をぜひとも連れて帰ってきてくれるかい? そしたらあたしゃあいつに手料理でも振舞ってやろう」


 とうとうリンダも折れたようだ。いやはやイーリスの決断が吉と出るか凶と出るかは知らないが、彼女が決めたことだ。悔いはいるまい。


 いやしかし、たいしたことではないのだがリンダは料理はできないはずではなかったか。料理を振舞うといったリンダは明らかに悪い笑みを浮かべている。リンダの発言を聞いたイーリスは喜ぶ以前にまず、汗を浮かべて後ずさりしている。なるほどなんとなくわかった。恐ろしい魔法使いの婆さんだ。


 さて、そうと決まればおっちゃんや酒場の爺さんにもいろいろ話をつける必要がありそうなのだが、嬉しくないことにおっちゃんの方には会いに行く必要がなくなった。普通、手間が減ってうれしいだろうが生憎もっと面倒臭いことが舞い込んでしまったのだ。


 おっちゃんは血相を変えてリンダの家に飛び込んできた。


「リンダ婆、大変だ! ユルゲンの手先がブリュンヒルデもいねえのに北の山超えてきやがった。あいつらあんたを探してる。おまけに昨日でっけえ魔法を見たって、たぶん嬢ちゃんの存在もうすうす感づいてるじゃねえか? 東の大地がなんだとかルードルフを拠点として占拠するだとか――」


「落ち着けインゴ、そんないっぺんに話しても何かなんだかわからん。あの耄碌皇帝の手先がなんだって?」


 話の流れが飛び飛びでなにを言っているのかよくわからないインゴのおっちゃんをリンダは子犬をなだめるように諭す。


「落ち着いてる暇なんてねぇんだよ! いいから嬢ちゃんはとりあえず隠れてろ。イーリスもあいつらのことだ何するかわかんねーから一緒に隠れてろ。リンダ婆は後で詳しく話すから一緒に来てく――」


「――その必要はない。貴様らそこを動くな!」


 聞いたことのない鋭い女の声と共にリンダの家の扉が勢いよく開く。大柄なおっちゃんが扉に吹っ飛ばされた。まるで本を閉じるかのように、いとも簡単に。なんて馬鹿力なのだろうか。そとからずけずけと入ってきたのは声の主と思われる女とその仲間と思われる二人。


 皆そろった服を着ていて、その手には見慣れない道具を持っている。鉄と木でできた棒、いや筒のようなものだ。どうやって使うのかは見当もつかない。


 そして意外なことにおっちゃんを吹っ飛ばしたのは小柄な女だ。シビルよりも少々背が高くイーリスよりも低い。目つきがわるくまさに悪人面、髪は短いと思わせつつ、実は一部だけ後ろで束ねているらしい。


 後ろの男女二人は見るからにへっぽこそうなので気にしなくていいか。リンダはパイプを深く吸い込むと、煙を吐き捨てながら彼女をにらみつける。


「随分と物騒なことをしてくれるねぇ。あの耄碌ジジイの手下らしい」


「貴様、皇帝陛下を愚弄するか。ルードルフ自治村統括、リンダ=ダレル」


「ふん、愚弄も何も自治者と皇帝の立場は同じ。あのジジイは所詮あたしら統括者の代表。別に偉いも何もないんだがねぇ。若いのはそんなのも知らんのかい。第一、名乗りもせんで」


「先日も書簡を送ったはずだが? 今回の東の大地消滅とかつての大悪魔の厄災についてそれからリーゼルの望石について貴様の知恵を借りたいと皇帝陛下がおっしゃっている。加えて東の大地調査の拠点としてこの村を使わせていただきたい。その二件だ」


「あたしが言ってんのはあんたのことさ。名乗りもせんでずけずけと。礼儀知らずにもほどがある」


 リンダは明らかに不機嫌な様子。彼女が怒っているのが単に礼儀というわけでないのは明白だった。だったら今頃シビルは干されている。相手に探りを入れているだけだろう。


「これは失敬、申し遅れた。私はユルゲンブルク近衛兵団三番隊副隊長ジルビア=アーリケ。東の大地消滅の一件において調査隊の指令を任されている」


「そうかい、なるほどねぇ。耄碌ジジイ、こんなところまで嗅ぎまわってるのかい。だけどお生憎様だねぇ。まず一つ目にリーゼルの望石についてあたしゃ何も知らん。もしかしたら婆様の手記に何か書かれているかもしれんが知らないね。読みたきゃ読んでくといい。千冊はくだらないがねぇ。そして二つ目、ルードルフにお前さんたちの居場所はない。とっとと出ておいき」


 リンダはどうやらユルゲンブルクの皇帝とやらをよく思っていないみたいだ。リンダの脅すような態度は後ろの二人には効果てきめん、二人で先頭の女の後ろに隠れておびえている。


 一方その先頭の女は全く怯む様子がない。


「それは皇帝陛下への反逆とみなしてもいいか?」


「反逆も何も、なにも嘘は言っちゃいないよ。それにこの村の民家の数はそう多くない。麦の収穫期にはいりゃお前さんらに構ってる余裕もなくなる。食料も売る分を引いたら残っとらん。相応の支払いがあるなら多少の融通はできなくないかもしれんが何もできないってのは本当だねぇ」


 リンダが懇切丁寧に説明してやるとなぜか女は勝ち誇ったような顔をした。


「ふん、まあいいわ。皇帝陛下にはそっくりそのままの言葉でお伝えしよう。首を洗ってまっているがいい」


 ふう、乱入者が来て話が逸れたがやっと帰ってくれるか。そう思った矢先彼女は次の話に口開く。


「――ところでそこの貴様」


 キリッとした声と同時に彼女はある方向を指さす。そこにいたのはシビル。シビルは首をかしげて自分のことかとでも言いたげなそぶりを見せる。


「そうだ。貴様だ。ここいらで見ない服装だな。ここの村の者か?」


「そうだけど?」


 シビルはしれっと嘘をつく。それもあまりに自然な流れで。こいつにこんな演技力があったとは意外だ。いかにも普通の村娘といった雰囲気を装っている。わざわざ振り返るということは怪しまれているということ。どこかでボロが出なければいいが。


「そうかそうか。いやなあ、我々は昨日北の山脈から巨大な魔法を見たのだ。この婆さんの魔法とは思えんほどのな。貴様、なにか心当たりはあるか?」


 女は悪そうな笑みでシビルをにらむ。確実にこのジルビアという女、分かったうえでやっているのだろう。表情は何とも三流じみた悪役顔だ。シビルのあの不敵に笑う笑みに比べたらしょぼいものであるがしかし展開的にそうもいっていられない。


「ないけど……」


 シビルはまるで分らないとでも言いたげに首をかしげて言った。


「ふん、しらばっくれるか。ならばこちらも少々荒っぽい手を使わせてもらおうか」


 そう言うとジルビアは懐から何か紙切れのようなものを取り出した。表面には何か書かれている。魔法式だった。


「なんだい? それは」


 シビルはおっかなびっくりおびえるようなそぶりで体をすぼめてそう聞いた。シビルのこうも弱気な姿はある意味貴重、しかしなぜジルビアとやらは魔法式が描かれたものを持っているのだろう。荒っぽい手と言ったが何をするつもりか。


「言わずともすぐわかる。それにだ、使というなら説明してもわからないだろう?」

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