第12話 化け猫は化かし、本命はとっておく

 大役など任されたところで全うできる気などさらさら無いのだが、生憎なことにシビルに言葉が通じようと通じまいとどちらにせよ使い魔という立場上、俺に拒否権は無いのだった。気を引き締めていこう。


 シビルは身を潜めながらスタスタと酒場と距離を開けていく。酒場のあったところから二つ先の通りまでやってくると、列を成した家々の隙間へ液体のような身のこなしで滑り込ませる。ここで約束通りの待ち合わせ。ちょうど狭い通路で顔と顔とが向かい合わさる。


 約束とはさっきの手振りのこと、向き合った顔はリンダのものだった。俺としてはよくあの手振りでこの場所に落ち合えたなと、ゆっくり感心及び分析したいところなのだが、現実を見てみると今はそんなことをしている暇は無い。まさに化け物――素性を知っている以上化け物と呼ぶのは忍びないが――がゆっくりと迫って来ているのだから。


「それであたしを呼んでどうするんだい? 酒場は放ったらかしにしてきちまったが」


「酒場ならあの杖があるから心配ないよ。安堵の灯火を払ったあれはある種の防壁だからね。それで本題なんだけど……、相手を見るに都合上あんまり暴力的な手は取れなさそうだ」


「おまえさんに良識があって助かったよ。さて、どうしたものかねぇ?」


「すぐに思いつくのは相手の動きを完全に封じることだね。ちょっとばかり大きな魔法式が必要になるけど」


「あれこれ手を選んでる暇もなさそうだねぇ。手があるなら任せよう。あたしゃ何をすりゃいいんだい?」



 シビルがリンダに頼んだことはいわばリンダの得意分野の一つなのだが、まあ実際彼女が何をしたかを見るのが早いだろう。


 驚くことにあの巨大な化け物はその大きさに見合わず、足音一つ立てずに近づいていた。俺には臭いでわかるが、魔法使いのお二人さんがどうやってやつの接近を知っているかははてさて。しかしそれもこれも少し前の話。


 もはややつが近づいているのは誰にだってわかる。やつ影がただでさえ薄暗い路地に影を落とす。その大きな鋭い目が路地を覗き込んだからだ。


「待ってたよ」


 覗き込んだ路地にはシビルが一人。シビルはもともと一人しかいないというのがおそらくここにいた誰しもの思い込みだろうがそれもさっきまでの話だ。どうしてシビルが二人に増えるなんて嘘みたいな事ができるか、それはリンダが何の魔法の専門家か考えれば簡単だ。


 リンダはそもそも俺達の前に現れたときは婆さんの姿だった。そしてシビルによれば彼女はどうやら生体操作魔法の権威ヴィネッサ=ダレルとか言うすごい魔法使いの孫だとかいう話。生体操作魔法は生命体のあらゆるものを操る魔法の総称、姿形姿形を変えるのは朝飯前というわけだ。


 つまり今、ヤツと向き合っているシビルはリンダなのである。しかもただの変装と呼ぶにはあまり精巧な変装だ。声、髪一本一本の長さ、歩き方から匂いに至るまでほぼすべての見た目を写している。今の二人に並ばれたら俺にだって簡単に見分けられはしないだろう。まあ一ついうとしたらシビルはそんなに無いんだがな。何がとは言わない。


 本物のシビルは何をしているかというと、彼女はすでにこの路地を離れている。姿を消して誰に見つかることもなくとてつもなく巨大な魔法式を描くために村中を駆け回ってるところだ。そして俺を含め三者は視覚共有をして誰がどこで何をやっているか把握している。


 シビルが丁度魔法式を描き終わった時点でリンダはやつを村の中心部に誘い込むという算段だ。


 さてお待ちかね、俺のやらねばならない大役とはなにか。それは酒場の前で何を考えているのか悠々と待ちかねているオスヴィンの足にがぶりと一噛みすることだ。


 なんでもその巨大な魔法式を使って繰り出す魔法、強力ではあるが魔法使いであれば防ぐのも不可能ではないというのだ。よって確実に倒すには、やつの魔法を使う力を一時的に奪う魔法をかけてやる必要がある。効果はほんの一瞬ではあるし、やつの血が一滴は必要だが、それがシビルが用意している魔法と重なればオスヴィンに抵抗の余地は無いということだ。


 なぜ魔法に血が必要かといえば魔法使いが悪魔と繋がっている部分は魂であるが、魂と最も体の中で近いのは血だからである。そこから作用してやつの悪魔とのつながりを一時的に断つというわけだ。さすがにどんな悪魔とつながっているかもわからない他人の血の構造を魔法式で表すなんてシビルにだって無理というもの。だから実物の血が必要になってくる。


 というわけで俺にその役が任されたのだ。俺はやつを噛めば勝手に魔法が発動するような魔法を先程かけられている。血一滴なんて噛めばそれでおしまいだ。そーっと忍び寄って後ろから噛み付いてやればいい。唯一難しいのは三人がそれぞれの役目を気づかれぬように成功させなければならないこと。


 そんなわけで俺は丁度初めてオスヴィンのやつを見つけたときのように、屋根伝いにやつのもとへ向かおうと跳び上がる。ここまでは意気揚々としていたのだがしかし、ここで俺が忘れてはいけないことを思い出してしまった。逆さにした瓶の蓋を開けた気分がする。


 何を思い出したかというと、知っての通り俺は方向音痴であるということだ。どうやってオスヴィンのところへ辿り着こうか。シビルはおそらくそれを忘れて俺にこの役を任せたのだろう。


 俺の小さな頭がだんだん熱く詰まるような感じがする。いい手立てが思いつかないのである。もしや俺のせいでこの作戦は失敗するのでは、そんな考えが頭をよぎっているさなか、


『今向いている方向から煙突を三本数えてその左だよ』


 と頭の中に声がした。そして更には表情が見えるはずもないのになぜか声の主はふふと小さく笑った気までした。


 誰かさんが視覚が共有されているおかげで、行き詰まる俺を見かねてくれたのだろう。ありがたいことだ。この声がシビルのものかリンダのものかは不明だが。


 まあ状況からして笑っている余裕なんてあるところからするに概ねシビルだ。リンダは絶賛化け物から逃走中である。シビルと近づかないように村中を駆け回ってる。これは村をよく知っているリンダにしかできない芸当だな。


 さて、屋根の上は見晴らしが思ったよりも遥かに良い。煙突や屋根の勾配にうまく身を隠さないと簡単に見つかってしまいそうだ。 嬉しいことに俺の体は小さいし足音も立たないから隠れるにはもってこいだった。順調にだいぶ近くまで来たがどうだろう。


 オスヴィンのやつは一人余裕ぶって傍観でもしているのだろうと思っていたが、実際はなにやらあせった様子で何やらぶつぶつとつぶやいていた。シビルが魔法式を書き終えるまで盗み聞きするのにまだ余裕はありそうな様子なので俺はそっと聞き耳をたてる。


「あの少女は確かにリーゼルの望石そのものです。ええ姿はあなたの言う後者ですが」


 一体誰と会話しているのか、オスヴィンは目の前に小さな魔法式を浮かべているがどうやらあれと話しているらしい。どういう仕組のものかはさっぱりで相手がいるのかもわからないが。


「俺の力で彼女に叶うかどうかは現在は五分五分です。幸い彼女の意思はリーゼルそのものではない様子、もしリーゼルが自らの意思で動いてたら私はこの場にもういないでしょうね。……少々お待ちを」


 とここでオスヴィンは話を急に止める。とてもいやな予感がするのだが。


「何をこそこそとしている、ちっぽけな獣」


 さっきまでの誰かと話す丁寧な態度とは打って変わってオスヴィンは敵らしい話し方をしてくれるようになった。これは嬉しいことか嬉しくないことかと聞かれればまったくもって嬉しい話では無い。


 もし仮におれがここにいることがばれていたとしても返事をする義務はない。小さな獣と言っている時点で間違いなくばれているが、俺はあくまでいないふりを貫くまで。だんだんと肉球が湿ってきた。人間で言う手に汗握るという奴かもしれない。


「俺のところに一匹で乗り込んでくるとは身の程知らずめ。貴様の主は手こずって猫一匹よこすので精一杯か?」


 オスヴィンはそう言うとすぐさま魔法式を放ってくる。その魔法式はどうやら俺が身を隠していた煙突に当たったようで魔法式が煙突に当たると煙突を縛り上げるように広がり無残に砕け散った。


 俺は慌てて飛び退く。あんなもの当たったら一発でころりである。さてどうする、俺はもはややつの魔法式を避けるので精一杯になってしまった。目的だったやつに噛み付くなんてもっての外だ。


「ふん、返事のないやつを罵ってもつまらないだけだな」


 返事をしてやりたいのはやまやまなんだがな。あいにく言葉も喋れなければ、奇襲に失敗した以上俺は所詮ちっぽけな獣だ。打つ手なし、返す言葉もなしというところ。しかし俺には共有された視覚がある。俺からは向こうを確認する余裕は無いが、俺が狙われてるのはシビルから丸見えなのだ。


 つまりきっと魔法式を描き終えたシビルが駆けつけてくれるだろう。なんとも他人任せだがそれは至って当然のことである。


 なんたって俺は使い魔、本命は主なのだからな。


「返事があればいいのかい? なら話し相手になってあげようか?」


 シビルは屋根の縁に手をかけてひょいと身軽に舞台へ上がるのだった。


 



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