第13話 止めの大魔法、留めの小さな魔法
オスヴィンはどこからともなく表れたシビルを見て顔を歪めた。薄暗い顔がより一層薄暗くなったように見える。おそらくは困惑しているのだろう。なぜかって、シビルは他の誰かさんの相手をしていなければおかしいはずだからだ。
「なぜ貴様がそこにいる? リリスはどうした?」
そう、オスヴィンはシビルと面と向かって戦うのを恐れ、シビルが攻撃できない相手と戦わせようとしたはずである。
「あの猫、リリスって言うんだ。彼女なら今頃一生懸命に私を追いかけているんじゃないかな?」
イーリスとリリス、なんか語感が似ているな。そんなくだらないことを考えられるくらいには俺にも余裕が生まれている。シビルが生きてる限り俺は死なないだろうからな。そしてシビルのやつはこんなところでくたばらないだろう。
「馬鹿な、幻影程度ではあいつの目は誤魔化せないはず……、なるほど先生か」
オスヴィンはこちらの手口に気が付いたようだ。だが気が付いたところで彼の策略はすでに失敗に終わっている。シビルがここにいる時点でだ。オスヴィンは慌てて右を向き左を向く。まるで手で退路を塞いでやったアリみたいにだ。きっとリリスとリンダを探そうとしたのだろう。
しかしよそ見をするというのは緊張感にかける。目の前に敵がいることを忘れたとわ言わせまい。
「どこ見てるんだい? 愛猫が恋しくなったかな?」
シビルはそう言って魔法式を放った。放った魔法式が屋根に当たるとその先でたちまち炎が上がる。無論この程度では倒せない。しかしそれは分かった上だろう。
既のところで、オスヴィンは体を瓦の上に投げ出してシビルの魔法式を振り切る。彼が転がった先の瓦が砕け弧を描いて散らばった。しかし怯んだと思ったのもつかの間、ふらふらと片膝立ちになったかと思うとたちまち反撃を仕掛けてきた。
もちろん返されたのも魔法式だ。さてこれがなかなかに賢い一撃である。厄介なことにそれは完全にシビルではなく足元の俺を狙っていたのだ。自分では何もせずのうのうと横から人を馬鹿にしているような悪い黒猫にはばちが当たったか。だが使い魔とはそういうものなのだ。あきらめていただこう。
俺は人間よりもよっぽど身軽なその体をひょいと持ち上げオスヴィンの一撃から逃れようとした。ところがだ、俺の意思とは無関係に俺の体はふわり宙へ浮く。
持ち上げてくださったのはほかでもないシビルである。俺は正直感動した。なんてったってシビルが俺を助けてくれたと思ったからだ。しかし、まあ当然シビルがそう俺を猫かわいがりしてくれるような奴ではない。ただのちょっと夢を見たかっただけさ。
シビルは俺を持ち上げるとその勢いでくるりと一回転し、再びオスヴィンに魔法式を放つしかも今回は特別サービスだ。彼女が放った魔法式は一つではない。彼女の背中の後ろに円状の魔法式が浮かび上がったかと思うとそこから無数の手のような魔法式が伸びていった。
「貴様は鎖火しか使えないのか?」
オスヴィンはさも当然のようにつかみかかってくる魔法式を打ち払おうとした。だが魔法式はオスヴィンの目の前で彼を覆うように逸れ、そして彼の背中へまっすぐ向かった。
「ふん、後ろからの不意打ち程度で――」
オスヴィンがそう言って後ろに素早く振り返る。そしてシビルの魔法式を払うと、そこにはお待ちかねの二人がいたとさ。巨大な猫とそしてシビルそっくりのリンダだ。さあ役者はそろった後は、
「今だ!」
シビルが珍しく元気な声でそう言うと俺はシビルに思いっきり投げ飛ばされた。シビルが俺を持ち上げてくださったのはこのためである。俺は宙を舞い、空を泳ぎオスヴィンへと一直線。俺の役目は最初から奴にかみつくことである。
――カプッ。
俺が奴の肩のあたりにひと噛みするとそこから紫の魔法式が一瞬だけ広がる。そしてその瞬間をシビルは見逃さなかった。大魔法のお時間だ。
彼女が恒例、何かをつぶやく。するとたちまちシビルの瞳と体がうっすらと光りだす。加えて辺りが暗くなっていきまでする。俺の毛も逆立ってきそうだ。シビルの言葉が一度途切れると、村中に刻まれた魔法式から青白い光の柱が立ち上がった。
光の柱はまるで羅針盤、いや時計というもののような形を描く。そしてまさに時計のごとくあちらこちらで魔法式が動いていた。魔法式の動きに合わせ、その魔法式の中心ちょうどシビルの後ろからは黒い大きな影が浮かび上がってくる。
黒い影は大きな手と羽があるようにも見えた。その大きな影は三本爪が付いたその両手を大きく振り上げ、まっすぐにオスヴィンたちへと振り下ろす。それと同時にシビルはもう一言だけ何かをつぶやいた。確かにそれは先ほどと同じような悪魔の言葉であった。
しかしひとつ、違う点があるとすればそれは俺にも内容が分かったという点だ。まるで誰かが話しているようで、話し手はしびるいがいありえないにもかかわらずその語り口調はシビルとは思えなかった。
『あまり僕を怒らせないでくれるかな? 坊や』
坊やというのがだれを指していたのか、そんなことを考える暇もなく目の前が一瞬で真っ暗になる。何が起きたのか理解するのにはしばらくかかった。まるでシビルが記憶を失う前のあの時みたいだ。加えておくと俺はシビルがこの魔法を使うところを過去に見たことは一度もなかった。
ここからは俺の視界が戻ってからのことである。まず目に入ったのはシビルだった。彼女はお世辞にも元気とは言い難い様子で、頭を抱えて今にも倒れそうな様子でこちらへ歩いてきている。こいつが魔法を使っただけでこんなになるとは驚きだ。
そして次に俺が嚙みついてやったオスヴィンは……、見るも哀れだ。ただでさえやせ細っていた体がただでさえやせ細り空に片方の手が二つ別れ原型をとどめていない。血などは出ておらずまるでそのまま肉体が変形したようなありさまだ。悪いがおぞましいというのがふさわしい姿をしていた。
彼は掠れるような声でうなりながら、なけなしの力でどこかへと行こうとしている。彼が行こうとしていた先にはまず、婆さん姿のリンダがあった。どうやらひどく慌てているようだ。それに誰かの苦しむような声が聞こえる。しかし俺にはオスヴィンが邪魔で見えない。
するとオスヴィンの上に何かがぴょいと飛び乗り俺の前に現れたのである。そいつは白猫だった。それも小さな小さな。
「どうするの? あの子、このままじゃ死んじゃうわよ?」
その猫は俺に向かって話しかけてきた。
「誰だ、お前?」
この猫とは言葉が通じるらしいな。
「やだ、もう忘れちゃったのかしら。ちょっと前に会ったばかりじゃない」
「オスヴィンの使い魔か……、お前小さくなれるのか」
「私一匹ならこれが普通よ」
「一匹って……、イーリスはどうした?」
俺は慌ててオスヴィンを迂回してリンダのほうへ行った。そこにいたのは、いやいたというにはあまりに無残な姿になっていたのはイーリスだった。
その髪は俺が知る白ではなく、オスヴィンそっくりの黒。おまけに猫の耳はない。そんなことはどうでもいいことばかりが先に目につく。目を逸らしたいから意識が勝手にそうするのだ。
彼女を見ればその体はバラバラに近く、全身から真っ赤な血が溢れんばかりだった。リンダは何らかの魔法でその傷をふさごうと必死に足搔いているようだが。しかし閉じたそばから別の傷口が開いていたちごっこである。
俺はただその光景に言葉を失うので精一杯だった。
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