第10話 魔女の訪れ

 翌朝俺はリズミカルに扉を小突く、リズミカルと言っても少しも楽しそうではない音によって叩き起こされるのだった。起こされるということは当然眠っていたのであり、俺が眠っているということはシビルも寝ているということだった。


 さて、扉をこんなにも叩く人間がいるということはつまり何かがあったに違いない。それは流石にわかるとしてまず妙だ。何がかと言うとシビルの障壁魔法には傷一つついている様子が無い。完全体で機能している。


 ということはこの家に何かがあった可能性は低い。ではリンダが行った村の方で何かがあったか、そう考えるのが妥当だろう。だが残念なことに、確かめようにも俺には扉を開けることは出来ない。そんなわけだから俺は椅子にもたれかかって寝ているシビルの足先をちょいちょいと突くのだった。


 すると渋々目を擦りながら目を覚ましたシビルは俺に気づくよりも先に部屋中に鳴るこの音の方に気がつく。そして眠たげに扉の方へ歩いて行く……かと思いきや、シビルは慌てて扉へと駆け寄り扉を開け放つのだった。


 あまりにいきなりなもんだから足元にいた俺は蹴飛ばされないように避けたので精一杯、それから一瞬頭が真っ白になる。首を振って正気を取り戻すと、扉の先には一人の男。酒場で見た髭の親父だ。


「大変じゃ、村が!」


「――わかってるよ」


 動転した様子の男に対しシビルは今の状況をまるで理解しているかの如く答える。


「おじさんはこの家の中に居れば安全だからかくれてて」


 そう言い残すとシビルは外に駆け出して行ってしまった。言われた通り男は家の中に駆け込み、俺はそれとすれ違いざまに急いでシビルの後を追う。まったくシビルのやつが何を考えてるかは読めないが、おいていかれるのは御免だ。


 シビルのすぐ後ろまで追いつくと走りながらシビルは俺に話しかけてくる。


「君にも説明しないとあれだね」


 お、よくわかってるじゃないですか。こちらは何がなんだかさっぱりで、とまあそんな軽い気持ちでいていいような状況でないことはさすがにわかっているが。


「障壁魔法が破られた」


 その言葉の意味を俺には図りかねる。なんてったって障壁魔法は壊されてなどいなかった。俺とて魔法使いの使い魔だ。それくらいはわかるのだが、しかしこいつが言うからには何らかの形であの機能している障壁魔法は破られたのだろう。


 ではその何らかの形というのが一体どんなものか。ここまできて俺はようやくわかった。まずは後ろを一度振り返る。それからあたりに漂う臭いの記憶を掘り起こして、最後にあの障壁魔法の性質をおさらいしよう。


 あの障壁は向こうで何度か見たことがある代物、ある一方からの一切の衝撃を受け止める。反対側からは自由に通れるがな。そして俺が振り向いたとき見えたリンダの家の二階の窓、こいつは開いていた。臭いの正体は俺がイーリスに最初に会ったときに感じたものと一緒だった。


 つまりシビルの言う内側から破られたとはイーリスが家を出て村の方へ向かったということだろう。そしてシビルが障壁が破られたなどという言い方をした理由はこれだ。辺りに漂うこの獣の臭い、これが異常に強くなっている。俺と同じような正真正銘獣の臭いに変わっていたのだった。


 イーリスが自分の意志で何かをしているのかはたまた魔女が何かを仕組んでいるのかは謎だが、しかしただ家を抜け出したと言うにはあまりに不自然といったところだろう。



 俺らが村の中心部に近づいて行くとそこにはなんともまあ不自然な光景が広がっていた。どんな光景かというと村中が炎に包まれていた。ただ燃え盛る火炎に包まれていたなんて単純でそれでいて恐ろしい話ではない。炎は赤い色をしておらず透き通った不気味な靄の姿をしておりゆらゆらと風とは分離して揺らめいている。そして炎の立つその地面、建物は一切の焼け跡が刻まれていない。


 これが魔法でなかったら何だというのか。俺はこの炎がどうなっているのかとそっと触れようとしたその時、


「触っちゃだめだ」


 とすかさずシビルに止められるのだった。


「これは安堵の灯火って言うんだ。炎をより安全に扱おうとして組まれた魔法だけど、失敗。触れた命ある物だけが気づかぬうちに焼かれていくなんて恐ろしいものが生まれたっていう有名な魔法だよ」


 怖え。なんてもんに触ろうとしてたんだ俺は。


「あんまり離れないように気をつけて。気づかず触ったら大変だから」


 ご指示のままに。おれがシビルの足元に寄るとシビルは地面を一度踏んづける。すると地面に魔法式が自然に組み上がりしかし発動はしない。そこにシビルが自分の手を少しだけ噛み一滴の血を魔法式に落とすと魔法式は動き出しシビルと俺らの周りに似薄い赤いガラスのようなものが広がるのだった。


「上手くいったみたいだね」


 こいつは触媒と言ってだ、魔法は基本は基本悪魔の力をそれを制御する魔法式に流し込んで使うってのが基本なのだが中には魔法の制御に必要にも関わらず式で表すにはあまりに難解なものがあって例えば人間の血なんか、そういうもんは魔法式に取り込んで使うんだ。これシビルからの受け売り。


 この赤いもんは安堵の灯火を可視化しておまけに俺らから遠ざけている。障壁魔法とはまた違ったもののようだ。ここからは慎重に俺にもそろそろ感じられる、村の中心部でぶつかり合う二つの魔法を使う者の気配に近づいていった。


 舞台はやはり酒場の前だった。シビルは身を隠し様子を伺うとどうやらリンダは酒場の建物前で立ちふさがり、シビルが使っているのと同じものらしき魔法で酒場の建物全体を覆っている。おそらく村の住人達はこの中に隠れているのだろう。


 リンダの向かいには当然のごとくあの魔女、オスヴィンの姿があった。


「いつまでその陳腐な魔法を使っているつもりだい? いい加減諦めてごめんなさいでもしたらどうだいね?」


「自分が置かれている状況もわからないか。見損なったな先生。残念だがあなたの言うとおりにする必要はなさそうだ。目当ての人物が来たみたいだからな」


 そういうとオスヴィンはシビルの隠れる建物の方へすかさず魔法を放ってくる。俺に放ってきたものと同じやつだった。


 シビルは勿論かわしたのだが、普通にかわしては俺が灯火にさらされてしまう。じゃあどうしたかと言うと俺はシビルに首根っこを捕まれ無力にも持ち上げられたのだった。


 シビルはすかさず何かをつぶやきそして相手に魔法の反撃を仕掛ける。相手はこれを展開した魔法式とぶつけ相殺させるのだった。


「お目に掛かれて光栄、こうして話をするのは初めてかなリーゼル」


「生憎だけど私はリーゼルなんて名前じゃないよ。シビルだ」


「そう名乗っているであろうことも無論知っている。あの方が言った通りだ」


「あの方っていうのが誰かは知らないけど、もし知っていることがあるなら教えてほしいかな。でもその前にだ。まずは関係のない人間に手を出すのを止めて、それから君の力を奪ってからだ」


「どうしてだ? 私はいつでも話ならしてやる。むしろ平和的に貴様を連れてくることが一番いいのだがな」


「理由をおしえてあげようか? 私は魔女ってものが大嫌いだからさ」


「記憶のない貴様がなぜそう思う?」


「心がそう言うんだよ」


 シビルはそう言うとリンダに向かって杖を貸してと一言つぶやいた。リンダは――老婆ではなく元の姿に戻っている――その杖をシビルに投げ渡す。シビルが地面にその杖を突き立てると杖の先からは今までにないほど巨大な魔法式が広がった。


「我が名はシビル、世の理を超えしこの世ならざるものよ、我が命に従い其の意を完遂せよ。代償は貴様の我に刻む現世への鎖」


 そうシビルが言い切るとあたりに広がっていた安堵の灯火は風に吹かれるように消えていった。すごいだろう。普段ならよくわからぬ悪魔の言葉を言うところ人間の言葉を使っている。これはつまり人間の言葉を理解できるほど高等な悪魔の力を使っているというわけだ。


 さてこの形勢逆転に奴がどう反応するかは未だ未知数であるが。


 

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