第8話 魔女になった者
日も下り一行さんは酒場に来ていた。ただの夕食である。何やらテーブルの上では談笑が騒がしかったが、俺は一日歩いて疲れてしまったので地面の冷たさを感じながら一匹でうとうととしていたところだった。
話し声の中にはシビルが早々に村を立ち去ってしまうことを意外に思う声もあったようだ。他にもシビルは魔法でただの水を葡萄酒に変えるなんて真似もやって見せていたようだがはてさて売上的にそれはいいのか。
あの魔女はどうしたかと言えば、それ以降沙汰もない。奇妙なほどにな。村の中にも見た人間はどうやら居ないようだ。その正体は謎に包まれたまま。イーリスはやつがいまだ気がかりか時々ぼーっと何かを考えた様子をしている。
さっきは危うく持ってきた器を柱にぶつかって落としそうになっていたな。そうそう、彼女は普段はここで働いているから皿を運んだりもしているらしいが。そんなこんなで魔女についてここで何も口にすることはなかった。
そこから何かが起こったのはその日の夜遅く、リンダ宅でのことだ。俺がふらふらと明かりの灯っていない家の廊下を、床を見ながらさまよっていると何やら話し声が聞こえてくる。かと思えば何か固くは無いものに頭をぶつけた。
見上げてみれば近くの部屋から漏れる薄明かりでシビルの顔が浮かんでくる。こいつは明かりを漏らすその部屋に聞き耳を立てているようで、聞こえてくるその話し声もまたその部屋から出ていた。
シビルは俺を見るなり口に人差し指を当てて見せる。何を盗み聞きしているのか気になって、俺はそろりそろりと顔を覗かせる。
明かりの灯るそこには大柄な男の影がそびえていた。見慣れた黒いフードを取っておりその下にはフードよりも暗く細い髪が真っ直ぐ伸びているのがわかる。間近で見るのは初めてだが間違いない。あの魔女だった
そして彼が話している相手は紛れもなくリンダだった。リンダは男に目を合わせることなくパイプを更かしている。
「一体全体、どうして今更戻ってきたんだい? オスヴィン」
「先生、俺はリーゼルを探しにきた」
男の声は低くかすれていて、無機質。そんな彼にリンダは表面的には優しげな声を装っているが、その後ろで壁を超えて伝わるほど静かに怒りをためていた。
「先生なんて呼ぶんじゃないよ。あたしゃおまえさんが教え子だなんてもう思っちゃいないからね。それにリーゼルの望石なんてあたしゃ知らないよ。用がないならちゃっちゃと失せな。そしてもう二度とルードルフに戻ってくるんじゃない」
「望石など探していない。俺は人を探している。知っているはずだ。昨日この村に異邦人が訪れただろう?」
「はてさて、お前さんのいう”リーゼル”なんてのは訪れてないね。それにだ、仮に訪れてたって魔女なんかに下ったお前さんに答えることは無いよ。さあ早く去りな。あの子が起きちまう前にだ。お互いそのほうが幸せさ」
「なるほど黙秘する、それがあなたの選択か……。昔からあなたはそうだったな。俺には肝心なことを何も教えようとしない。相変わらずかこの老いぼれ、明日の朝を楽しみにしていろ」
そう吐き捨てて男はこちらに歩いて来た。俺は慌てて顔を引っ込める。
「ふん、お前さんの魔法で何ができるってんだい」
リンダは立ち去ろうとする男に独り言のように返す。そう言ったところで男は足を止めて振り向きざまにリンダにこう言った。
「そういえば、イーリスは元気そうだったな」
「――ッ、お前さんイーリスに会ったのかい?」
「さぁ? どうだろうか」
リンダが慌ててパイプを机に突き放つと男は暗闇へとすでに消えていた。
そこからまもなく階段を駆け下りる音が響いた。その足音の主は脇目も振らず、シビルのそばさえも通り過ぎてリンダのいる部屋へ駆け込む。リンダは息切れするイーリスに目を見開いた。
「イーリス、どうしたんだいそんな慌てて」
「なあばあちゃん、今誰かいただろ?」
イーリスに尋ねられるとリンダは先程までの慌て具合とは打って変わって、さも自然にうそぶく。
「何を言うんだい。この家にはあたしとお前さんと後はシビルさんしかいないよ」
「じゃあ質問する相手を変えるよ」
ここでイーリスは振り返り、誰もいないと見えて俺達のいるその壁に向かって話しかける。
「誰かいただろ? シビル」
無論その投げかけはシビルへと向いていた。隠れていたつもりだったシビルは一瞬体を縮こませて驚く素振りを見せる。俺はこいつがそのまま立ち去るかその場に現れるか疑問だったが彼女は後者を選択したらしい。
ゆっくりと、盗み聞きに悪びれた様子もなくシビル二人の前に姿を表した。
「私は盗み聞きしてたんだから、話しかけないでほしかったよ」
シビルがそう言って肩をすぼめると、それに頭を抱えたのはリンダだった。
「お前さんそんなところで盗み聞きとは趣味が悪いねぇ。こりゃまいった」
「他に魔法使い、いや魔女の気配を感じたからね。気になったのさ」
「なるほどね……」
リンダは消えかかった煙を上げるパイプを再び手にして一息つくと、慌てた態度を隠して冷静を取り繕った。
「それで、わざわざお前さんもあいつが来るのを待ってたみたいだがイーリス、お前さんは何が聞きたいんだい?」
「ばあちゃんは昔、アタシの親父は魔女に殺されたって言ったよな」
なるほど通りでリンダのところで養われているわけだ。母親の存在は不明だがそちらも魔女に殺されたと判断するのが妥当だろうか。いやしかし、それならば両親と言ってもいいものを。
「ああそうさ。何も嘘は言っちゃいないよ。おまえさんが物心付く前に死んじまったね」
「今日村で見たあの男、そして今ここにいたであろう魔女は親父を殺した魔女じゃ無いのか?」
朝、俺が言って駆け出したのも奴が仇であるからか。いやそれ以上に彼女は自分の出自を知らないと言っていた。つまり親を殺した魔女に過去を求めていたか。いずれにしたってやつを知ろうとするのに理由は十分だ。
リンダは一瞬答えるのに戸惑ってから、
「そうだね。そう言っても間違いじゃない」
と濁った言葉を発する。
「じゃあどうして……、どうしてばあちゃんはあいつと話なんてしてるんだよ。なんでばあちゃんは平然としてられるんだよ」
イーリスが喉の奥が詰まるような声を絞り出すと、リンダは深くパイプの煙を吐き捨てた。シビルはそのやり取りを壁に寄りかかりながら聞いていた。こいつが感情移入なんてものをするとは思えないが、今はただ静かにうつむいている。
「そりゃあいつが、あたしの教え子だからさ。おまえさんを救うために魔女なんかに下っちまったけどね」
さてさて、いまリンダはなんと言っただろうか。救ったと言ったな。話の出口が見えない、そう思っているのは俺だけじゃなく、この場にいる誰もが思っていることだろう。あの魔女はリンダの教え子でありそしてイーリスの親の仇であり、イーリスを救うために魔女になったと。
「どういう意味だよ。アタシを救うためって……」
「くだらない昔ばなしさ。長くなるけど聞くかい? シビルさんは関係ない話になっちまうかもしれないが。いや、でもあの馬鹿はどうやらお前さんを探してるみたいだったね。おまえさんたちに任せるよ」
イーリスはつばを飲み込み、そのうしろでシビルは無言で頷いた。俺は誰も見ていないだろうが首を縦にふって見る。
「そうかい。なら話そうか。あいつはオスヴィンといってね、こんな小さな村に誰が捨てたかは知らんが孤児だったんだよ。それであたしが面倒を見てやってたんだけどね。何を思ったか魔法使いの子でもないあいつにあたしは魔法を教えちまった。思えばここで間違えてたのかもしれないね」
リンダは一息ついてから、
「でもそのときは魔法を少し知っている以外村の子供と何ら変わりなく、いつしかあの子は大人になったさ。そして気がついた頃には村の娘――たしかフリーダと言ったね。彼女と結婚して幸せに暮らしてたよ」
と、いやはやまったくなんら人殺しなんざに、そしてイーリスとの接点も未だ見当たらない。しかしそれがどうやって結論に至るか、予想がつかないかと言ったらそれは嘘になってしまう。正確に言えばそれは嫌な予感であるのだ。それも積極的に肯定したいとは到底思えないような。
そこまでの懐かし思い出を回顧するような穏やかな口調はそこで終わり、リンダの声は随分と低くなったように聞こえた。
「ありゃあいつが、ちょうど魔女として疑われぬよう魔方使いと認められるためにユルゲンブルクを訪れていたときだ。ルードルフに野犬が出たんだよ。ありゃ今思い出しても痛ましい事件だね。多くの村人が傷を負ったり命を落としたさ。無論さっき言ったフリーダと、そして二人の間にいた一人娘、まだ赤ん坊だったがその二人も例に漏れずね」
リンダの小さな咳払いが大きく聞こえ、窓の隙間からは虫の音だけが聞こえている。
「オスヴィンが戻ったときにはフリーダはもう手遅れだった。娘の方はまだ息はあったが”普通の魔法”じゃあもう助けられなかったよ。あいつはあたしにどうにかしてくれとせがんだけど、あたしゃあいつに何も教えなかった。助ける方法は知っていたけどね」
「なるほど、それが禁じられた魔女の魔法というわけだ」
ここで結論をまるで引き伸ばしてるかのように、できれば自分の口からは話したくないという様子のリンダにシビルが言葉を挟む。
「そうさ。あたしにしびれを切らしたあいつはどこからか知ったか魔女の魔法を使って彼女を救った。二つの命をつなぎ合わせてね。あの馬鹿は自分の使い魔の命を使って娘の命を救ったんだよ」
「それって……」
うろたえるイーリスにリンダはそっと告げる。
「それがお前さんさ」
リンダがそう言ったのとパイプが燃え尽きるのはほぼ同時だった。
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