第7話 川辺の小さな喧騒

 シビルの頼みにおっちゃんは快諾したので、ユルゲンブルクへ行くのはほぼ決まった。出発は五日後の朝だそうだ。このまま何事もなければ俺たちはルードルフを去ってまた見知らぬ地へと放り出されることになる。六分嬉しく、残りは残念さもあった。


 せっかく村にも少しずつ溶け込めているというのに離れなければいけないとは無情、学ぶべきは一つの場所に馴染みすぎては旅が辛くなる一方だということだろう。目標はシビルの記憶を取り戻して東の大地に何が起こったのかを知り、あわよくばその東の大地に帰ることだからな。


 いつまでもどこかにとどまっているわけにはいかないというわけだ。


 馬車の約束を取り付けたシビルはこの後どうしようか、と考えているようだった。こういうとき以前までのシビルはどうしていたかというと、家に籠もってひたすらに本を読むなり、何かを石像のように固まって考え込んだり、かと思えば急に外に出て訳のわからぬ儀式を始める。


 さて今できることと言えばリンダの家で魔法書を読み耽るくらいだ。一体何をしだすかと思えばシビルが言ったのは、


「散歩でもしないかい?」


という一言だった。


 散歩などと随分と普通な提案をしてきたものだ。別に不満は無いのだがあまりに平和すぎる。何か満ち足りない。何か本当は企んでいるんじゃないか、俺のそんな期待も虚しくその後彼女がしたことと言えば本当にただただルードルフを歩いて回るだけだった。


 風車だけでなく小さな水車も回っていたり、至るところに水路があってその上を小さな橋が渡してあったり。たまに村人とすれ違うと見ない顔だからか、不思議そうな顔をされもしたが少し話せばそれもすぐ馴染んだ。人と関わりのなかった人間が記憶がなくなると何故こうなるのか、関心だ。


 道中俺のしっぽをおそらくは興味本位だが子供に握られたときには命の危険を感じたな。うしろにニヤリとほくそ笑むシビルが立っているのと同じくらいには恐怖だった。おれが威嚇すると逃げ惑うトカゲのようにチョロチョロと母親の後ろに隠れたが。


 そんな他愛もない一日を繰り広げていたらあっという間に日はてっぺんを通り過ぎていた。シビルはまだまだどこかへとさまよい続けようとしていたみたいだが、丁度村を二分する川のほとりに来たところで彼女の足はピタリと止まる。


 じっと遠くの草むらを眺めているのか目を細めるシビル、俺は目線が低いから最初は目に入らなかったが、彼女の目線の先には人影があった。一つはよく見た真っ白い髪の少女によく似た人影、そしてもう一つ、彼女背を向けて立ち尽くすその人影は――真っ黒いローブに身を包んでいる。


 少女は必死に何かをローブの人物に訴えかけてるようだが相手は煩わしいという風に相手にする素振りもない。そして次の瞬間には、奴は振り向きざまになにかを少女へと放っていた。それが当たると少女はふらりとその場に倒れてしまう。


 ローブの人物はその勢いでこちらに気づいたようで今度は遠く離れたシビルに向かって何かを放ってきた。近づけば近づくほどそれが複雑に出来た魔法式であることがわかる。それに対してシビルがすかさず放った魔法。それらがぶつかりあった結果、空中には淡い炎のようなもので文字が刻まれた。


 それをシビルはこう読み上げるのだった。


『見・つ・け・た・ぞ・リ・ー・ゼ・ル』


 まるでやつがふっと笑ったように背筋に悪寒が走る。気づけば奴はもう姿を消していた。宙に浮かぶ文字は燃え尽きるように消えていきそこには静寂が訪れる。シビルはこれまでにないほど不機嫌そうな顔でやつが居なくなった後にのこった虚空を睨みつけている。


 倒れた少女はどう考えてもイーリスだ。そしてもうひとりはおそらく俺が昨日見たあの謎の人物。それにしてもリーゼルを見つけたとはどういうことだ。石なら俺達が探したいところなのに。


 いやなに俺は冷静に考えているのだ。こんな事を考えている場合では無いだろう。

 

 俺は背の高い雑草の中を泳ぎながら急いでイーリスの方へと駆けていく。シビルも只事でないと察したようで、俺が通った揺れる穂先を追いながらイーリスのそばまで駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」


 俺がどうしていいかとおろおろしていると、シビルがイーリスのそばに屈み込んで寝転ぶ彼女の肩を軽く揺する。イーリスには外傷はなさそうで生きてもいた。むしろ穏やかな顔で気を失っているだけのようだった。


 シビルが何度かおい、と声をかけるとイーリスはハッと目を覚まし体を半分ほど起こす。それから辺りを見回すなりもうあの人物がここに居ないことを知ったようだった。


「あいつは? あいつはどこ行った?」


 シビルが無言で首を横にふると、イーリスは慌ててあの人物を追おうとする。しかし当然俺もシビルもやつの行方を知らないわけで、イーリスが一人で探しに行くのが得策で無いのは明らかなわけだ。


 立ち上がろうとするイーリスをシビルが慌てて諭し、イーリスが無闇矢鱈に駆け出すような真似をするのは既のところで阻止できた。


 イーリスは冷静になったところで何故こんなところにシビルや俺がいるのか気になったようだが、そこのところは通りがかりとしか言いようが無いのでシビルがさらりと受け流すと。そうしたらイーリスはふぅんとあまり興味がなさそうに答える。


 結果としては今の所何事も無いようで一安心だった。


 あの人物と何を話していたのかあれが何者なのか俺の関心をくすぐるところではあるが、しかし俺にはそれを知る手段は無いのでいつものごとくシビルが聞いてくれるのを待つしか無い。


 イーリスはしばらく自分の中で今起こったことの整理をつけているようだった。その横でシビルは片足を抱えてイーリスのそばに腰掛ける。最初、イーリスは不思議そうにそれを見てからまた川の方を眺めるのだった。


 そんな風にしてしばらく二人が黙って川辺を眺めていると、やっと意を決したようにイーリスがシビルに話しかけようと試みる。そんな様子を見て何もそんなにためらうことは無いのに。別にシビルとて獲って食うような真似はしないのだがな。と思ったのだが、どうやら彼女が戸惑っていたのは何もシビルと話すことではなくその内容らしく。

 

「――なあ魔法使い、死んだ人間を魔法で生き返らせることって出来んのか?」


 イーリスは真面目な顔をしてシビルの方を見た。その突拍子もない話があの人物に関わることなのはもはや脈絡からして疑いようがない話だった。しかし死人を生き返らせるとがあの人物とどうつながるのか。


 なるほどいきなり人に尋ねるには確かに躊躇う話だ。


「あの魔女に関わることかい?」


「……いや……ただの興味だ」


 イーリスはあからさまな嘘を取り繕おうと目をそらす。自分の口からやつについて言及したくないのか、はたまたイーリス自身も確証が無いからそう言っているのか。


「そうは見えないかな。……まあ、結論から言えば魔法使いにもそして魔女にも死んだ人間を生き返らせることはできないよ」


「じゃあ、仮に死んだはずの人間が目の前に現れたらそれはどういうことだと思う?」


「魔法で出来ることといえば死んだ人間の姿を幻覚あるいはほんとに人体を操って装うこと。他には禁忌とされる死霊魔法、これは魔女ならやりかねない。あとは魔法に関係なくそもそもその人間が死んでないって可能性だってあるよ」


 シビルの回答を聞いてもイーリスは未だ腑に落ちないようだったがそれ以上彼女が言及することはなかった。自分でそこからは考えたいのか少し黙ったあとこう返事する。


「そうか……なるほどな。なんか変なこと聞いちまったな。ありがとよ」


「私は別にこういう話は好きだからいいさ。魔法のことなら何でも聞いておくれ。記憶がない私からしたら魔法だけが唯一の取り柄だからね」


 シビルはというと魔法の話となって随分と上機嫌だった。


 しっかし、死人が生きているというのは、あの魔女――シビルが魔女と言うからには魔女なのだろう。それでいて体格からしたら奴は男、先程も言ったが魔女は追放された魔法使いの総称で雌雄は関係ない――がイーリスからしたら死人ということか、はたまたやつによって死んだはずの人間でも見たのか。


 俺からしたら謎が深まるばかりなのだが。いずれにしたってイーリスのみぞ知るといったところだ。



「そっか、そう言えばオメー記憶が無いんだったな」


「そうだよ。さっぱり自分が今までどんな人間でどんなところでどう暮らしてたのかわからない」


「……じだ」


 イーリスは何かを小声でつぶやく。俺にもシビルにも彼女の言葉は聞き取れずただその声が悲しいとも嬉しいともつかないことだけは分かった。シビルが聞き返すとその言葉が何だったかわかることとなるのだが、


「同じだよ。アタシは今はばあちゃんの世話になってるけど、本当の親が誰でなんでばあちゃんのところに居て、それでいてなんでこんな姿かも知らない。気づいたらそれが当たり前で、村のみんなに聞いても結託して隠してるみてーでなんにも知らねんだ」


 だから、ああも俺と話せた不思議能力についても無関心だったのか。無関心というよりもそれは諦めに近かったわけで、


「なんか似てると思わねぇか?」


「そうかな?」


 二人は顔を見合わせて小さく笑ったとさ。

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