第6話 朝焼けと探し人、忘れた記憶のすごい人

 それからシビルとリンダの話は長々と続いたとさ。最初の方は俺にだって理解できていたのだ。しかし話はだんだんと魔法の深い深い魔法の理論の話になり俺は置いてけぼりに、いつしか鍵付きの扉で締め出されてしまったような気分だった。


 魔法の知識という鍵がなければその中で繰り広げられる言葉の数々を知ることは出来ず。きっと、魔法がわかる者にとっては宝のように価値のある会話がなされたに違いない。


 結局俺はそのまま退屈になってその場で眠ってしまった。そして今はもう、一度沈んだ太陽が再びおっちゃんに負けるとも劣らない禿頭を少しだけ見せているところだった。丁度やつは地平線から這い上がろうとしている。


 俺は朝の運動がてら、朝露に濡れた庇や建物の凹凸を足を滑らせないよう気をつけながら登って屋根へと至った。そこからは村中の景色が見渡せるたのだがそれが存外美しい。


 なわけでそれに見とれていたのだが、そこにはすでに「うわっ」というなにか汚いものでも見たかのような反応をして俺の優雅なひとときの幕をおろしてくる先客がいた。


 居たのはイーリス、飾り気のない室内着のようなものを着て屋根のてっぺんであぐらをかいている。そして眠そうにあくびを一つ。


「なんだ、オメーか……」


「そんな変なもん見たような反応されると傷つくな。こんなところで何してるんだ?」


「オメーは?」


「俺は……何となく来ただけだけで特に理由は」


「同じだよ。無性に高いところに登りたくなるときってあんだろ?」


 なるほど甚く同意できる話だった。特に目的もなく屋根の上に来たのはイーリスも同じということか。


「たしかにあるな」


 しっかしシビルや婆さんの居ないところでは普通にイーリスと話せるみたいだな。まあどうせ今話したこともシビルらの前では忘れられてしまうのだろう。忘れるというと俺は忘れているものがあった。そう昨日イーリスと会う前に見たあの魔法使い、あるいは魔女の存在だ。


 断っておくと魔女は追放された魔法使いの総称であり男だろうと女だろうとそこのところは関係ない。よく間違えるやつがいるのでな。


 さて、そいつの話をなんとかして誰かに、一番は村の長であるリンダに伝えるべきなのだろうが生憎俺が直接言葉を伝えられるのはイーリスだけ。しかしイーリスに話したところで他人には伝えられない。


 イーリスが俺の言葉としてでなく、自身でヤツの事を認知すればおそらくはシビル達の前でも忘れることは無いのだろうが、しかしそんなことどうやったら出来ようか。


 まあ一応はイーリスにも伝えておくとしよう。なにかの拍子に伝えられるかもしれないし、もしかしたら彼女があの人物についてなにか知っていて、怪しいやつが居ただなんて言うのは思い過ごし終わるかもしれないからな。


「そういや昨日、怪しいやつを見たんだがよ」


 俺が前置きするとイーリスは、ん? とこちらを振りむいて興味を示すした。


「真っ黒いローブを羽織ってて、魔法を使ってたんだ」


「ばあちゃんでも、おめーの主のアイツでも無くてか?」


「ああそうだ。長身でやせ細った男で、そうだな顔はよく見えなかったんだが――」


 俺が言った特徴について、イーリスは首を傾げて丁度喉のあたりまで何かが上がってきているのに頭までたどり着いてこないといった様子。


「おかしいな。この村にばあちゃん以外魔法使えるやつなんていねーぞ。いや、ちょっとまて、それ本当か? つーかどこで見た?!」

 

 とここで彼女は眠そうな顔を振り払って妙に食いついてくる。俺の言葉を急かしてその続きを引っ張りぬこうとするものだから俺は少々驚きながら答える。


「どこって、村の中を屋根伝いに走り回って酒場の近くで見失ったな。それくらいしか……」


 俺の言葉をそこまで聞いたイーリスは返事もせずに屋根から飛び降りた。それからまるで誰かの背を追うかのようにリンダの家から伸びる一本道を駆けていってしまった。勿論俺のどこへ行くのかという問いに答えることもなくだ。


 かくして俺は屋根の上に取り残されてイーリスの駆けゆく影を眺めながらひとりぼーっとしていることになった。



 しばらくして家の中に戻るとシビルは硬そうなパンに悪戦苦闘しながら、我が物顔でリンダのものと思われる魔法の本を読んでいた。俺は人の本にパンくずを落とさないかとヒヤヒヤ眺めていたのだが幸い問題なく。


 しばらく窓辺をうろうろしているとシビルは俺に気付き、改まっておはようなどというから俺は少しばかり目をそらして毛づくろいした。


「今日はおじさんにユルゲンブルクまで乗せてもらえるか聞きに行くけど君はついて来るかい?」


 無論俺には返事出来ない。シビルも分かっているようで投げかけたあとは返事を待つ素振りもなく本の世界へ帰っていた。ついてきたければ勝手についてこいということだろう。


 シビルが朝食を済ませて家を出るので、俺は開け放たれた窓から一緒に家を出ることにした。リンダが見当たらないが、寝坊なのかはたまたもっと早く起きてどこかで何かをやっているのか。


 気にせずいこう。シビルの足取りは軽くなんだか楽しそうだった。何をそんなに浮かれているのか。はもしやおっちゃんに会えることが嬉しいとか? いや、絶対ないな。


「なあ使い魔くん、あの人はすごい人だよ」


 とここで独り言のようにつぶやき出すシビル。言い方では俺に聞かせるつもりは微塵もないように見える、がしかしその態度とは裏腹に言葉では俺に投げかけている。


 そこには少なからず聞いていたら嬉しいという心があるのかもしれないような、なんとも微妙な距離の話し方だった。


 話に上がっているあの人というのはリンダのことだろか。すごい人というと、西の大地に魔法使いがいる時点で只者でないことは確かだが。しかしそれ以上の何かがあるといいたげだ。


「あの人はリンダ=ダレルっていうんだ。彼女のお婆さんはヴィネッサ=ダレル、どっかで君も聞いたことがないかい?」


 ダレル、ヴィネッサ=ダレル、聞き覚えも何もよく知っている名前だった。シビルが唯一くらいに苦手としていた――とは言っても本に書いている程度の内容はほぼ全てできるが――生体操作魔法の権威の名前だ。


 ヴィネッサ=ダレル著の魔法書がシビルの本棚にいくらかあったのも覚えているし、不得意分野ともあって特に生体操作魔法の本を使うことは多かったので俺も見る機会が多かった。だから魔法書の著者の中では一番良く覚えている名だ。


 してまさかあのリンダがそのヴィネッサ=ダレルの孫だとでも言うのか。


「四〇〇年近く昔に、突如姿を消した生体操作魔法の権威が西の大地にいるなんて。きっとすごいことだよね」


 きっとというと、シビル自身は驚いていないということか? それだけのことが分かっていてしかもすごいという感嘆の感情に関してきっと、と曖昧にしか表現できない理由は何なのだろうか。


「理屈ではすごいってわかるんだよ。それは自分のものかもわからないような膨大な知識から判断しているだけ。実感が伴わないんだ。君ならこの凄さ実感できるのかな」


 彼女には魔法書を読んでその世界に心躍らせた記憶も一つとして残っていないということか。そして本の中身だけが頭の中にあると。驚けないのは至極当然だ。でも気にすることはないさ。


 記憶があったってお前はそんなことで驚きやしない。結局昨晩みたいに魔法の話に夢中になるだけの話だろう。


 そもそもそんなしんみりしたことを考えている割に、お前はそうも楽しそうなんだ。またきっとろくでもないことを考えているのだろう。


 話と表情のあってないシビルにふらふらとついて行って、道中村の人に道を聞いたり無駄な寄り道をしたりもしながら、たどり着いたのは倉庫。芳しい穀倉の匂いが立ち込める中に見慣れた馬車が停まっていてその横では男二人が何かを話していた。


 おっちゃんが話を終えて馬車にあれやこれやを詰め始めようとするとここでシビルに気がついて。


「おう。嬢ちゃんか、どうした?」


と尋ねてくる。このあと特におっちゃんに馬車に乗せてもらえるよう頼むのは特に問題なく終わるのだが問題はその後だった。


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