第5話 使い魔少女と三代目魔法使い

 恐ろしいな、シビルという魔法使いは。何が恐ろしいかといえばイーリスが俺について途端にさっぱり忘れてしまった理由にあいつはすでに検討をつけているらしい。俺は未だに動揺しているというのにだ。


 シビルはふらりイーリスに歩み寄ると、彼女の肩に軽く手を載せた。失礼するよと一言断ると目を瞑り何かをつぶやく。すると例のごとく魔法式がずらりイーリスの肩を起点として周囲へ展開するのだった。


「ひぇ、なんだ?」


 軽く手を当てただけにも関わらずイーリスの叩き起こされたような驚き方、その後ろでは店の中に居た男らが卓を押し倒してその後ろに跳んで隠れる。綺麗に食事や酒瓶は手に持ったまま。

 

 カウンターにいたイーリスに返事をした男も驚いてか皿を拭く手を止めて髪に隠れていた目を見開いている。こうも派手な魔法式展開、婆さんがいるとはいえ魔法を見慣れない人間にはちと刺激が強かったか。


 シビルはそんな彼らにお構いなしだ。


「人間に、猫――しかも使い魔契約されたもの。随分と歪な式だ。素人のものだね。だけどやってることはなかなか上等」


 シビルが一通り、独り言をつぶやくと魔法式の光は店の中の空気に溶けて消えていく。溶けた魔法式がまるで空気を固くしたかのようにしんと静けさが広がる。


「急に悪いね。君がおそらくは私の使い魔と話したのだろうからそれを確かめたかったんだ」


 シビルはしばらくの後、俺とイーリスが会話できてしまったネタばらしの口火を切った。その内容が早く気になるところではあるが、それを聞く前に俺は何気ない一言が気になっているのだった。


 そう、彼女は記憶を失ってから初めてはっきり使い魔と俺を呼んだのだ。だから何だという話だが、俺は懐かしさのようなものを感じていた。実際経ったのは一月とはいえ体感は一晩、しかしそれでも懐かしさを感じるということは気づかぬうちに俺も孤独を感じていたのかもしれない。


 俺の個人的な感情がお邪魔したな。さて、シビルが断りを入れたのに対してイーリスは苦笑いする、それからまた怪訝な顔をしてこういうのだった。


「あー、話したのは思い……出した。けど駄目だ何話したかは思い出せねー」


 そう言ってイーリスは斜め上を見上げながら頭をかく。そこをなんとか思い出してくれ、と言いたいところだがシビル曰くそれは不可能な話らしい。というのも、


「簡潔に説明しようか。使い魔同士は魔法使いと魔法使いの伝令として例外的に他の存在と話せるのさ。そしてその条件が満たされた。勿論私は君の主では無いからその話を聞くことは出来ない。それが君が経験したことだね」


とのことなのだ。


 その語り口調はまるで本を読み上げただけのようで無機物的。魔法の話をするならもっと活き活きと釣り上げたばかりの元気のあふれる魚みたいに語りやがれ、お前らしくない。


 そんでもってこの話をイーリスがどこまで理解したか。ちょっと特殊とはいえ相手は魔法もろくに知らないであろう人間だ。


「それってアタシが誰かの使い魔ってことか? 気持ち悪っ」


 気持ち悪いとは言うがイーリスが切実に思い詰める素振りもなく、軽く分かってしまったようである。全く驚いたやつだ。


 むしろイーリスのなんやかんやを不思議に思っているのは俺やシビルのようだった。俺の理解が遠く及ばないのは自明のことだが、しかしシビルが魔法について詳らかに出来ていないのは意外だった。


「まあそういうことになるね。生憎魔法の組み方の癖が強くて何故人間がそんな事になっているかは読み解けなかったけど」


 シビルはそう言葉尻を濁して答える。なるほど魔法式の癖が強いとな。


 しかしこうして自信が無いときも彼女は大抵面白くないとは思っていない。魔法に病気なのはご存知だろう。だから癖の強い魔法式など見たらふつふつと興味が湧き上がってきていることだろう。


 するとここで黙りだった婆さんがやっと口を開いた。


「癖が強くて悪かったねぇ。まあいいじゃないかい。何が有ったかは分かったことだ。ひとまず食事にしようじゃないかい」


 婆さんはまるでそれ以上その話を深めるなと言いたげに、少々高圧的な態度で場はまとめられ、シビルが生み出した緊迫した空気はひとまず緩んだ。


 無論多くの疑問を残してだがな。俺はそこについて尋ねることも出来ないし、シビルはというとこれ以上語るまいといったご様子。イーリスもそれ以上尋ねないほどに楽観的。


 唯一疑問があるのはこの完全に場外に居た人物くらいか。


「なぁ、ばあちゃんその子どっから連れてきた?」


 名も知れぬ卓の後ろに隠れた男の一人、訛りの強い言葉で婆さんに尋ねる。当然のことだ。この村の住人からしてみれば見知らぬ少女が急にやってきてわけの分からぬ話をしているのだからな。


 そこからのことは語るまでも無いだろう。婆さんに案内されるがままにシビルは飯を食らい、そしてルードルフの村の人間とあっという間に打ち解けていった。これには俺も驚きだったな。


 そしてルードルフの住人もシビルの存在にさほど驚かない。これはひとえに婆さんという魔法使いの存在が有ったからだろう。しいて言えば東の大地の消滅とシビルの出現の時差には皆口々に疑問を呈したがそれも記憶喪失と答えればそれ以上問うものは居なかった。


 そのうち夜も更け酒場もそろそろ明かりを消す頃になり、俺達は婆さんの家に向かうのだった。顔ぶれは俺、シビル、婆さん、そして何故かイーリスもいた。なんでも婆さんのところの養子的な立ち位置だとかで詳しいことは知らん。


 そして更に驚いたのだが、もう婆さんを婆さんと呼んでいいのかわからなくなってしまったのだ。どういうことかと言うとこういうことだ。


 婆さんの家は村の外れにあった。巨大な風車小屋、夜だと言うのに風と共にせっせと働いている。俺たちは何気なく歪んだ木製扉の玄関から入り、婆さんは羽織っていたケープを木製のポールに掛けた。ここまでは何ら普通だったのだ。


 ここからおかしいのは婆さんが婆さんで無くなったことだ。何が言いたいかって婆さんが若返ったってことだ。どう見ても相当に歳を召した婆さんだったのが今や若い女性である。


 しかも俺以外誰一人驚いていない。


「変化魔法……。いや延命魔法でこっちが本物、今までの方が変化。すごいね全く気づかなかったよ」


 シビルがそう尋ねると婆さん――文脈からするに婆さんでは無いようだからリンダとしておくか――は豪快に笑って答える。


「そうかいね? 延命なんて魔法使いじゃ常識じゃないかい?」


 え、そうなのか? だとしたらシビルも実は凄い年いってたりするのか? とりあえずこの婆さんはこちらの姿が本物で実は婆さんでないとそういうことでいいのだろうか。


「延命魔法が常識はだいたい一〇〇年前の常識、その頃延命魔法に関わる教典が禁書扱いになってるみたいだよ」


 なるほどつまりシビルは婆さんではないと。俺は心から安堵した。俺の安堵とは裏腹にリンダは頭を抱えている。たしかに、禁忌である魔法を何事もなく使っている。そう言えばリンダの素性はわからずにいた。魔女でないことだけは分かっていたが。


「こりゃまいったよ。あたしゃ三代目だから手元にあるのは云百年も前の資料だけなのさ。まさかこいつが禁書とはねぇ。あたしの婆様がこっちへ移り住んで、あたしも母様も東のことは本の中でしか知らないから」


 そういうことだったのか。色々と納得がいった。同時にもうリンダを疑う必要が無くなったと思うと今日はいい夢が見られそうでもある。


 リンダは上がりな、とシビルを招き入れると魔法で家中のランプを灯した。ランプによって色を手にした部屋はほどほどに散らかっており怪しげなものが壁に沢山ぶら下げられている。そういう点ではシビルの部屋と大差なかった。


 こちらは人が生活する部屋として機能していそうなことを除いてだが。


「そこらに適当にお座り。リーゼルの望石の記録は……」


 リンダは本棚をがさごそと探る。毎度思うのだが魔法使いは本探しに魔法を使わないのだろうか。まあ俺は魔法の詳しい仕組みを知らないし出来ないという可能性も大いにあるのだが。そんな事を考えているとリンダは二冊のぼろぼろな本を持ち出してきた。


「この婆様の日記帳に確か有ったはずだね」


 そう伝えてからリンダは日記帳のページを繰り始める。ここだとつぶやくとそこを読み上げた。


『今日、ルードルフに永遠を求めるという一団が訪れた。私達魔法使いにとって永遠に親しい命は飽きをもたらすだけだが、人間は違うらしい。彼らはいくらかの手段を考えていた。そのうちの一つが魔法使いである私を頼ること。しかし延命は出来ても永遠は出来ない。それを聞いた彼らは落胆した。


 彼らはまたある悪魔に霊を売ることも考えていた。私は止すべきと言ったが夢を求める若者に響いたかは定かではない。


 最後の方法として彼らはリーゼルの望石に願うと言っていた。私はそれが何か知らなかった。彼らの話ではあらゆる願いを叶える石だという。にわかには信じがたいがしかし西の山脈で魔女たちがそれを崇めているのだとか。そしてまたリーゼルの望石は一つでは無いとも言っていた。


 彼らは泊まりもせず立ち去っていったがしかし、西の山脈の魔女の動きには注意しよう。ルードルフに危害がなければいいが。』


「どうだい、なにか分かったかいね?」


「大収穫だよ。まずはその西の山脈を目指してみるのが良さそうだ」


「それならインゴのやつに連れて行ってもらうんだね。その山脈が今の帝都ユルゲンブルクがある場所さ」


 どうなんだ。魔女が根城にしていた場所に人間の都市があるって。まあ人間は知らないのか。リンダの婆さんと言うと延命魔法の最高がだいたい一二〇年だから三〇〇年近く前の話だもんな。


 とまあトントン拍子にこれからの方針が決まって行くわけだが、今宵の話はまだまだ続くとさ。

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