第4話 猫の言葉を知る人間

 この人間、どうも臭いのだ。怪しいとかではなく同族の匂いがした。猫の匂いといえば聞こえは良いが要するに獣臭いということだ。

 そんなことを直接言ったら相手に失礼なのは流石に分かっている。俺は猫ながらその辺りはわきまえているので当然のごとく口にはしないのだった。


 そもそもの話として人間の嗅覚ではわからないだろうしな。


 しかしおかしな話だろう。相手は何度も言うようだがどこからどう見ても人間なのだ。おまけに俺の言葉も分かっている。ただの人間と言うにはいささか不思議要素が多すぎる。


「おまえ、なんで俺の言葉がわかる?」


「なんでって言われてもなー。生まれつき?」


 人間のその少女はそう答える。袋小路を構築している建物の壁沿い、そこに積まれた木箱の中を物色しながら適当に答えるのだった。


「生まれつきってよ……」


 あまりに簡潔な説明、いや説明にすらなっていない言葉のおかげで俺は続く言葉に困っていしまった。俺の不満げな様子を見てか、彼女はちょっぴりありがたい補足を加えてくれるのだが、


「んまあ、強いて言うならこれか?」


 と、少女は箱から取り出したなにかの袋を隣の箱の上に乗せてから、まるでその下に何かを隠しているといった様子で頭のバンダナを取った。そこには何が有っただろうか。答えは耳だ。


 なにも耳をバンダナで覆っていたというわけではない。人間の耳は確かに見えていたのだ。ただもう一つ彼女の頭の上にはもう一つ、俺の頭についているであろうものとそっくりな耳がついていた。


 さて人間にこんな物ついていただろうか。俺の知っているところで言えばシビルの頭にはついていなかったな。勿論おっちゃんにもついていなかった。彼女は異例なことに耳が四つもあるということらしい。


「こっちで聞くと多分猫の言葉が分かんだよ。おもしれーだろ?」


 ここで俺は気づいてしまった。彼女の言ってることが俺にとって何を意味するか、それが分かってしまえば面白いのなんのと。俺は感激して笑ってしまいそうになる。


 つまりはこういうことだ。よくわからないがこいつはこの二対の耳を使い分けて人間と猫どちらとも話せる、よって彼女が仲介してくれれば俺は人間と話せるということ。記憶喪失が原因かは未だ知れぬが、しかしシビルとの意思疎通不可能問題を解決できるかも知れない。


 なんとも都合の良い力を持ったこの少女に俺が一人、淡い期待を抱いているさなか、彼女も何か不思議なことがあるようで、


「んなことはどうでも良くてな。オメーこそ猫のくせになんでそんな頭いいんだよ? 人間の言葉完全に理解してんじゃねーか」


とのことだった。


 普通の猫ならば簡単な挨拶とあとは猫に関わる縄張りやら何やらしか話せないのだろう。しかしだとしたら猫の言葉を使っているはずの俺が彼女に明らかに猫が持ち得ない概念を猫ごと思われる言葉で伝えられているのは何故なのだろうか。


 きっとそれもこれも含めて、


「なんたって俺は魔法使いの使い魔だからな」


ということが所以なのだろうな。


 俺は魔法使いの使い魔である事をこれ見よがしに伝えているが、実際のところを言うといつから喋れるようになったり、はたまた人間と同等の思考力を手にしたか定かではない。使い魔になる以前はただの猫でそこまで考えられなかったから記憶も曖昧なのだろう。


 あくまでどれも俺の推測ではあるんだけどな。


「なんだ、ばあちゃんみてーなのにくっついてんのか。……それでその魔法使いはどうしたんだよ」


 さてさて、俺の人のことを言えないくらいには中身のない発言にせめても彼女が驚こうものなら少しでも様になったのだ。しかし、彼女はあいにく全く驚いてくれなかった。


 それどころか俺に、哀れな回答しか選択肢のない問まで投げてきたのである。そう、俺はもうはぐれたと答えるしか無いのだ。


「……はぐれた」


 俺が渋々そう答えるとそいつは腹を抱えて笑い出す。屈辱だ。これでは俺が滑稽ではないか。いやしかし、これは心配していると取ることも出来るな。そうだそう考えれば何も問題ないぞ。これが俺の惨めな自己防衛だ。


 と思っていたのだが、


「つーか魔法使いなんてどっから来たんだよ? 東の大地はねーってのに。まあいっか。で、そのはぐれた魔法使いってどんなやつなんだ?」


「探してくれるのか」


「わりーか?」


馬鹿にしておきながら、とんだ手のひら返しときた。


 会話を弄ばれている気分だ。断る理由もないが格好つけたのを無残にかわされ、さらに手間で借りるとなるとだんだん情けなく思えてきてしまう。まあ自分の方向音痴は自分が一番知っているので、


「いや、ありがたい。特徴は……そうだな。赤みがかった髪してて、歳は多分一六かそこら。絶賛おそらくそのばあちゃんと一緒にいると思われる」


とするしか無いのだが。


「なるほどなー。ばあちゃんといるのか。どこか向かう先は言ってたか?」


「確か飯を食うだとか」


 それを聞くと彼女は手をぽんと叩いてこう言った。


「そんなら酒場だな。ばあちゃん飯作れねーから。すぐそこだから連れってってやるよ」


 彼女は自身の白い髪を上に無地のバンダナを巻き直す。それから取り出していた何やら野菜らしきものの入った麻袋を肩に背負うとこちらを振り向いて、一言こういった。


「アタシはイーリスってんだよろしくな」


「俺は……」


 ここで問題だ。おそらく俺は大事なことを忘れかけている。というのも、使い魔契約に関わる話なのだが使い魔たるものの名を他に知らすことは禁忌的な話を聞いたような聞いていないような。


 なにせ基本使い魔は他人とは話せない。つまり俺の名を他人に伝うる事があるとするならばそれはシビルのすることなのだ。


 さてではシビルの環境はどうか。あいつは人と合うことが無かった。つまり俺の名を教える相手などいなかったわけだ。シビルも俺も話す相手がいない。よって俺はその是非を知る由もないということ。

 

 俺は彼女に何を名乗るべきか。適当な名前を名乗るかあるいは本名を省略するというのもある。ここで俺はふわりと、ちょうど鳥の羽根が落ちてくるような感覚でなんと名乗るか思い浮かんだ。


「テリーだ。よろしくな」


 本名をちょっと削っただけにしては不思議な感覚だ。誰かに呼ばれたことがあるような。シビルは本名か君としか俺を呼ばないはずなのだがな。俺の思い過ごしか?


 それはさておき、俺が名乗るとイーリスは何故か一人でくすくすと笑い出した。何が面白いのかはわからないが、彼女の笑顔はガラス細工のように透き通って見えてしまう。


「なんか変な感じだな。猫と普通に会話してるって」


 まあ俺がそう思うのは誰かさんの溶かした蝋みたいにねちっこい笑みを見慣れているせいなのだろうが。おっちゃんの笑顔も見ようによってはそう見えるかも知れない。いや考えたくないな。


 というかそんなことで笑っていたのか。なるほど確かに俺からしてもシビル以外の人間と話すのは不思議な感覚だった。



 まあそんなわけで自己紹介も済んだ俺は、イーリスに連れられて酒場の前へとやってきた。裏にいた時は色々と動揺していて気が付かなかったが、街中へと聞こえるやかましくも憎めぬこの愉快な話し声たちはここから飛び出してきているようだ。


「なあ、ばあちゃんきてねーか?」


 イーリスは分厚い、他の家の扉よりもいくらかしっかりとした作りのその扉を開けて店へと入る。俺は閉じかけの隙間をするりとくぐり抜けた。


 店内には村の人間と思われる男たちが何人かで卓を囲み酔い更けていたり、なんだりとにぎやかであるが、そこに婆さんとシビルの姿はない。カウンター内にいた、背の低いモジャモジャのひげと髪でよく顔の見えない男が、


「リンダなら来とらんぞ」


 とイーリスの方を無愛想に返事をするものだから、イーリスは、はてといった様子で佇む。見当違いだったかと悩んでいるのだろう。俺もそれならどこにいるだろうか考え込んでいると、突然後ろの扉が鈍い軋む音を立てて開いた。


「なんだいイーリス。あたしになにか用かい?」


 扉の隙間から出てきたのは婆さん、次いでシビルだった。少し見ていないだけなのに随分久しぶりに感じるな。


「あ、ばあちゃん。いや、この猫が……」


 とイーリスが俺を指差してシビルが気がつく。


「こんなところにいたのか。いなくなったと思ったら」


 すまんな。見失った上に変なやつを見かけちまったもんだから。……そうだあの黒装束の男、すっかり忘れていた。なあイーリス、変な男がいたんだ。魔法を使ってきて俺を攻撃してきて。明らかに怪しいだろ? シビルや婆さんにも――。


 なんだ、この違和感は。


「その猫がどうしたんだい? こちらのお嬢さんの連れ立ったはずだが……」


 婆さんがイーリスにそう聞くと、


「いや、この猫が……なんだっけ?」


イーリスはまるで一瞬で俺のことを忘れてしまったかのように、俺の言葉がわからなくなったかのように気の抜けた声でつぶやいた。

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