第3話 ルードルフと迷子な黒猫

 ここで俺が先程知った良いことをお伝えしよう。おっちゃんの名前はインゴという。だからなんだという話だが、婆さんはおっちゃんのことを名前で呼ぶので知っておくと良いと思ってな。それだけだ。


 話を戻すとしよう。三人は変わらず村の入口で佇んでいた。魔法使いのお二人さんが交わした挨拶で伝わったのはおそらく魔法使いとして力くらいのもので、つまりまだ婆さんはこの奇妙な少女が何故この村に来たのかは知らず。


 そんなわけでまずは自己紹介といきたいところだったのだが。


「さてインゴ、このお嬢さんは一体どこから連れてきたのかいね」


 有難くないことに婆さんが話を振ったのはシビル本人でなくおっちゃんだった。


 これがなぜ問題か。

 助けたと説明すれば簡単なものだがそれでは説明不足となってしまう。


 ではあの木から落ちてきて馬車を破壊しただのという状況を語るのはどうか。説明するにはあれは冗談みたいな話しすぎだな。


 どこからどこまで説明するかで現実味が変わって来てしまう、つまりそれはおっちゃんのセンスでシビルの傍から見た怪しさが変わってしまうという訳なのだ。


「って言われてもな。道でばったり。木から落ちてきて記憶がないだの何だのと……」


 おっちゃんの説明は以上の通りだった。なるほど直球な説明だ。それでいて明らかに情報量が少ない。曖昧な説明というのは実に怪しく聞こえるものだ。


 俺はそう思っていたのだが、どうや婆さん相当に肝が据わっているようで、シビルについては驚く素振りも、疑う素振りもない。代わりになぜかおっちゃには呆れている様子だった。


「それで考えなしにルードルフまで連れてきたのかい?」


「考えなしってのはひでぇだろ。あんなとこで放っておけるかって」


「お前さんらしいね。まあ連れてきちまったもんは仕方ないよ」


 これはおっちゃんが人をよく拾ってくるのかもしれないな。だから婆さんも驚かないのか。でも人ってそう落ちてくるわけもないと思うが。


 婆さんはおっちゃんに対してため息をついてからシビルの方を向いて、


「ついておいで。立ち話もあれだからね。後でもう少し詳しく事情を教えてくれるかい」


と投げかるのだった。結局この婆さんも恐らくおっちゃんと同じでお人好しが過ぎるのだろう。


 取り残されかけて、「俺は?」といった様子だったおっちゃんは婆さんに「残った魚を売っておいで」と適当にあしらわれて村の中へ消えていく。


 おっちゃんはここで一旦退場となった。なに、この村にいつまでも留まるわけじゃない。村を出るときまた会えるさ。おっちゃんのファンは心配するな。


 おっちゃんと別れたシビルたちは村の入口から川沿いの通りをゆっくりと進んでいく。


 暮れの薄暗い景色を家々からの揺らめく淡い光が照らし、遠くからは談笑の声が聞こえてきた。村の中を見てより実感する。ルードルフは長閑さで調律されたような村だなと。


 その悪くいえばそれはもう飢えた厄介事がいつ襲いかかってきてもおかしくないとも言える。


 実際もうシビルという厄介事が来てしまっているのは内緒だぜ。


「それでお嬢さんはほんとに何も覚えてないのかい?」


 婆さんはシビルに歩きがけ、尋ねた。


「私が覚えているのは名前がシビルだということ、東の大地から来たということ、それとリーゼルの望石を探しているということくらいだよ」


「記憶が無くてもそれだけ覚えてりゃ何も分からないよりマシだね。しかし今東の地大地から来たってのは易々と言わない方がいいよ。あれについては今お国が嗅ぎ回ってるからね」


 おっちゃんに聞いた話ではルードルフはユルゲンブルクというところの領内にあるとのこと。


 さらにそのユルゲンブルク、ここら一帯の領地を総括している帝国の中心地でもあるとか。お国とはそれのこと。たしかにあまり目はつけられたくない気がするな。


「それとねぇ、リーゼルの望石はいくらか記録がうちにあったはずだよ。後で見せてあげよう」


 ここで婆さんはおっちゃんの発言と食い違ったことを言ったように聞こえる。御伽噺に記録などという明確な媒体があるとは聞き捨てならない話だ。


「リーゼルの望石はこっちじゃ御伽噺でっておじさんが……」


「あの馬鹿がそう言ったのかい? ただの人間からしたらあたしら魔法使いも、魔女も、東の大地も中には詳しい輩もいるけど、大体は御伽噺としか思っちゃいないよ」


 シビルはへぇと呟いた。記録の中身にもよるがしかしそれはリーゼルの望石探しで大きなヒントになりそうだ。嬉しい話を聞けた。


「そっちの黒猫は使い魔かい?」


 お、やっと俺に注目が来たか。そうだぞ俺はシビルの使い魔だ。と言っても伝わる訳もないのが虚しい。


「そうかもしれないけど覚えてない。それに何故か話も通じないんだ」


 シビルはそう言って肩を竦めた。


「なら大事にしておやり。記憶が戻るか、話ができるかした時、使い魔に嫌われていないようにね」


 婆さん良いこと言うな。シビルは素直に返事をしたのだが、こいつがそんな律儀に使い魔を大切にするとは思えなかった。何故かすぐ適当な扱いを受ける気がする。


 そんなこんなで簡単な自己紹介は終わったのだった。


 ちょうどその時どこからともなく――俺の右上あたりから――ぐうと腹の音が聞こえてくる。それはもちろんシビルのもので、考えてみると目を覚ましてから俺たち何も俺たちは何も食べていなかった。


 その音を聞いた婆さんは優しげに笑ってから、


「まずは腹を満たさないと何も始まりゃしないね」


と言うのだった。こうして暖かにルードルフに異邦人シビルは受け入れられる、という訳には残念ながら行かない。


 ここで和やかな食事の話題とは物理的にも感覚的にも真逆の方向に俺の意識が向いた。なにか嫌な気配がしたのだ。


 ちょうど通り過ぎた家の屋根の上、そこに場違いにも程があるような真っ黒いローブに身を包んだ者が立っているのを俺は見た。そいつはまだ俺に気づいていないようでどこか遠くを見ている。


 俺は不審に思いつつもシビルたちの方をまた振り返ると、――二人はもう居なくなっていた。


 これはもしかして、置き去りにされたというやつか。先程大切にしていただけると言ったのはもうお忘れになられたのだろうか。


 仕方が無いのでもう一度ローブの人物を見返すとちょうどそいつは屋根から別の屋根へと跳び断つところだった。


 その跳び方はどう見てもただの人間の脚力によるものには思えず、俺にはそれが魔法によるものと酷似して見えた。


 さて俺はどちらを追うべきか。どっかで角を曲がるかして居なくなったシビル達か、明らかに怪しいその人物か。


 ちなみに言っておくと俺は方向音痴だ。一度見失った人間をそう簡単に見つけることは出来ない。


 もう答えはわかっただろう。俺はローブの人物を全速力で追うしかないのだ。うごかないという選択肢もあったが好奇心に負けた。

 好奇心で動くなんて誰に似たのやら。走り出してしまったものはもう遅い。


 やつは川を飛び越えて家の屋根伝いにどこかへ駆けていく。間隔を開けながら煙突に隠れるなどして後ろをつけて行ったのだか、ある所まで行って俺はやつに気づかれてしまった。


 その途端、相手は何かを放ってくる。円盤状の魔法式。つまり相手は魔法が使える存在だ。


 ギリギリのところで俺は飛び跳ねてそれをかわしたが、しかしそこで俺は屋根から足を踏み外してしまいやつを見失ってしまった。


 地面には何とか着地できた。

 しっかしなんだったんだ。魔法使いが婆さん以外にいるとしたら俺を攻撃する理由はなんだ。いや、魔女という可能性もある。その場合ルードルフに今、危険が迫っているということ。


 どうにかして誰かにこれを伝えるべきだが、さてどうするか。そしてここはどこだ。村のどこに来た? 夢中で追っていて道など覚えていなかった。


「あれ、見ねー猫だな。オメーどっから来た?」


 俺が後悔と共に途方に暮れていると、近くから声がした。しかもまるで俺に話しかけてるような。しかしそんなのありえないわけで、


「誰に言ってんだかな」


 と俺は呟いてしまった。ん、まて。今話してる感覚が違ったぞ。これは心の声でもなく、シビルとの会話とも違う。これはほとんど話したことがない言葉だ。そう確か、猫語というやつだ。俺は気づいちゃいなかったがもしかしたらにゃあにゃあ言っていたのかもしれない。


 それが今誰かに通じてしまったと。


「オメーだよオメー」


 周りを見るとここは袋小路。ゴミ捨て場のような場所。建物の中は妙に騒がしい。そしてその出口には、


――ただの人間が立っていた。


「もしかして話通じてる?」


 俺は恐る恐るその人間に聞いてみた。返事は、


「だから通じてるてーの」


 そいつは人間の少女でシビルよりも少々年上、頭に巻いたバンダナが目立つ。驚きだ。猫と話せる人間がいるなんて。一体全体どういうからくりだ?



 


 

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