第1話 魔法使いは落ちる
さてどこから語っていいのやら。とりあえず自己紹介でもしておこうか。俺は猫だ。黒猫。以上。それ以上の紹介は特に無い。
いや一つ大事なことを言うのを忘れていたな。俺は黒猫であって、また魔法使いの使い魔でもあった。
ところでだ、そんな俺は今木の上にいる。どこの木かだって? それが分かればわざわざ自分語りなんてしていない。ここがどこだか一番知りたいのは呑気に空を飛ぶ小鳥でも、あの空に浮かぶケツを突き出した子供みたいな形の馬鹿にした雲でもなく俺自身なのだ。
見渡す限りどこまで行っても永遠と抜け出せなさそうな直線的に伸びる渓谷の底。じっと見ていたらその流れが止まって見える透き通った青い川。その川のほとりの道に、この今にも落ちそうな赤い葉をつけた木は生えているらしい。分かっていることはそれだけ。何故ここにいるのか知れず。
加えると例の俺が仕えている魔法使いは俺より下の方の枝に、干した洋服のようにぶら下がっていた。暗い赤みがかった髪の一六かそこらの少女だ。
彼女俺の見た限り、どうやら意識が無い。
どうしてこの状態になっているのか。考えるだけ無駄に思えた。俺の中にある最後の記憶と現状が乖離していてそのつながりが全く読めないのだ。
しかし思い出せないからといって、いつまでもこの木の上でじっとしているのは流石に俺の精神力が持たなさそうなのでまずは自分の記憶を整理してみるとしよう。
俺の記憶では、俺は汚い家の外で今日も平穏に一日が過ぎますように、と体を丸めて寝ていた。一方魔法使いは結局燃えカスしかできないというのにのに熱心に知的好奇心を燃やしてなんかを研究していた。
でだ、俺が目が覚めたらこうなっていたと。どうせまたあいつが何かやらかした結果なのだろう。
俺が疑問符を浮かべていると質素な荷馬車が一台、東の方角から小石を弾いてやってくる。東と判断できたのは太陽が沈んでいる方と真逆だから。注ぐ陽の光に照らされ無駄に神々しいその姿はこんな状況もあって一瞬天国のお迎えにも見えた。
勿論こんなお迎えはお帰りいただきたい。その馬車は茶色い眠そうな間抜け面をした馬がゆっくりと引き、中年の禿頭な男が徒然に操っている。まあそういうことだ。天国からのお迎えにしてはあまりにお粗末すぎる。
さて車輪の質が悪いのか、はたまた馬が腑抜けた見た目に反して暴れ馬なのか。非現実的な考察も交えつつも、実際の話をすると馬車は相当に揺れており、更には積荷も重いのかその振動は俺がいるこの木にも伝わってきていた。
それはこの下に掛かるあれが一応俺も心配になって来るということを意味している。そう魔法使いだ。ああ名前はシビルというのだが。見下ろしてみると案の定ゆっくりと彼女は枝からずり落ち始めていた。
まあそうなっていてもなすすべはない。心配もしているし助けたいのは山々なのだが生憎俺は猫という立場上八方塞がりなのが現実というものだ。落ちてくる人間は俺には支えられないし、最悪このまま落ちてもらうさ。なに彼女は相当タフだからちょっと木から落ちた程度では怪我一つしないだろう。
荷馬車が段々と近づくにつれて、シビルは枝からずり落ちていった。ある程度下がったところで木の肌の凹凸では彼女を支えきれなくなったか、彼女は土嚢を二階から落とすような勢いで枝から滑り落ちていく。
さて、ちょうどその頃馬車は木の真下を通り過ぎようとしていた。それはそれは見事なタイミングだったわけで、当然の如くシビルは頭から馬車の荷台の後方に落ちた。
「おっと、何が降ってきやがった!? 落石か?」
彼女が落ちた衝撃で荷馬車の屋根は乾燥したパンを握りつぶしたように崩れ、馬車を引く馬は轟音と衝撃に嘶き足を止める。おっちゃんは急に止まった馬車の上で慌てふためき首を回していた。
俺は落っこちたシビル――よりもシビルに馬車を無残に破壊されたおっちゃんを心配して地面まで飛び降りた。俺におっちゃんは気づき、髭をいじりながら、
「なんだ、猫か? いやでももっとでっけぇなんか落ちたよな」
と、とぼけた独り言。おっちゃんの言う通りだ。人が落ちている。そしておっちゃんの側から見事な死角になっているが後方は目も当てられないくらいに損壊していはずだった。
御者台を降りたおっちゃんは何も知らずに絶望しか待ち受けていないであろう荷台を確認しにいく。
俺もその後ろについていってから、おっちゃんが愕然とするのを確認した。シビルは外から見える場所にはいなかったな。どこまでめり込んだのやら。これだけでも驚いているおっちゃんだが、彼がまだ人が落ちてきたとは知らないことが不憫に思えた。
おっちゃんは後ろへ回ってから荷台に乗り上がり、邪魔な瓦礫をやたらに投げ飛ばす。して馬車の屋根の一部だったはずの薄汚れた布に包まれたそれを見て、
「は?」
と一瞬遅れ、間の抜けた声をもらした。おっちゃんはしばらく唖然としてたが、まず人が転がっているという状況だけは理解したようでその呆けた顔を振って精神統一。
それから大慌てでシビルの周りに残った瓦礫を取り払った。
人間が馬車に、木の上から落っこちてきたなんて常人には理解し難い状況で、すぐ行動できるなとおっちゃんの臨機応変さに俺は感激している。
それと同時にこの訳のわからぬ場所で人に出会えたこと自体が奇跡みたいなものだとも思えていた。だからおっちゃん、あんたはほんとに天使かもしれねぇ。そんな気がしてくる。……やっぱり違うな。俺はなにかとても気持ちの悪いことを考えていたかもしれない。
「おいあんた、大丈夫か?」
おっちゃんがシビルの肩を持って揺さぶる。シビルの首が力なく揺れているのが死体のようでにわかに恐ろしくなったがそれは杞憂だったようで、そのうちシビルは意識を取り戻す。
「だれだい……君は?」
おっちゃんが呼びかけにシビルは頭を抱え体を起こした。その表情はどこかぼんやりとしていておぼつかない。
「俺はただの通りがかりだよ。んなことより怪我とかねえかおい?」
「けがは……大丈夫そうだ」
「大丈夫そうっておめえ、腕に怪我してんじゃねぇか」
おっちゃんはシビルの怪我を見つけるなり、馬車の屋根だった布を使って応急処置をしようとする。焦るのも当然、シビルの左腕には木の破片によって強引に切られた傷があり血は腕中に広がっていた。彼女がここまで怪我をするというはそれだけ当たり方が悪かったのだろう。
しかし手当の必要性はといえばすぐに無くなった。その理由はシビルが魔法を使ってしまったからだ。腕に反対の手を当てて魔法式を広げると彼女の腕の傷はみるみる塞がる。
結果から言おう。この行為は間違いだった。魔法を見たおっちゃんは布を投げ出し後ずさり。おっちゃんは逃げ出す余裕もないというふうに腰を抜かしてしまう。その表情は恐怖と諦めが混ざっていた。
「ほらね、大丈夫といっただろう」
シビルは得意の嫌味な自慢顔でそうささやく。その囁きがおっちゃんには恐ろしく聞こえたらしい。何故か、それを説明する上で俺はある存在を忘れていたことに気がつく。
「あんた……魔女なのか?」
おっちゃんが口にした魔女、それは俺たちがいたはずの東の大地、魔法使いの住む地から何らかの悪事あるいは禁忌を犯し追放された者のことを指す。それ自体はさして重要なことではない。
それが表すある大きな事実があるのだ。それはここが魔法使いの住む東の大地でないということ。さらにそれはただの人間たちが住む西の大地であるということと同義でもある。
二つの大地は大海に隔てられているはず。今、俺達は知らぬ間にその海を超えて遠く離れた西の大地へと至っているということだ。現在地が大まかにでも掴めたことは収穫だろう。
魔法使いのシビルにとって魔女と呼ばれることは無論不快なようだった。しかしただの魔法使いが東の大地にいることなど滅多に無いのだからおっちゃんがそう疑うのも無理はない。
「あんなのと一緒にしないでくれ。私は――」
シビルは当然の如く反論する。……はずだった。しかしシビルは途中で言い淀む。まさか俺が知らないうちに向こうを追放されたとか言わないよな?
それならショックではあるが話は早い。だがシビルはなにか様子がおかしかった。目を泳がせてなにか恐ろしいものを見たような顔をする。その時俺は違和感に気がついた。
「私は……シビルという名前だ。東の大地の……魔法使い」
彼女の言葉は震えていた。その言い方はいつものように自身に満ちた様子ではない。俺が感じた違和感、それは俺の言葉が彼女に通じていないこと。こいつと隔絶されたような感覚。
「おい、どうした。まだどっか痛むか?」
おっちゃんは魔女でないことを知るなり今度は苦しげなシビルの心配を始める。どこまであんたは親切なのか。だがいまおっちゃんにかまっているほど俺に余裕はない。
彼女が何をいうか。その時俺にはこの違和感からもう予想がついていた。
「――それ以外、何も思い出せない」
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