リーゼルの望石 

KuKu

プロローグ ある魔法使いの日常だったもの

 俺の今まで生きてきて最大の失態はなんだろうかと言われれば、このロクでもない魔法使いの使い魔になってしまったことだとしか言いようがないだろう。


 山奥の他の魔法使いも立ち入らぬ地、色を変え葉を落とし始めた木々、その根本に小さなレンガ造りの小屋。そこから一人の魔法使いの少女が果実を咥え、腕いっぱいに荷物を抱えながらに開けっ放しの扉の奥から出てきてしまった。


 出てきて早々少女が地面を踏んづけるとその足先から文字や記号やらなにらやが広がって、不自然な風が吹く。かと思うと少女の周囲の落ち葉が綺麗に風にのって片付いていった。


「よし、あとは……」


 何やらひとりごとをつぶやいているが俺は無視した。いや、正確にはしたかったのだが少女はドサッと荷物を置いてから、俺を呼んでしまったので無視できなくなってしまった。

 これは明らかに何かを始めようとしている様子だし、彼女がなにか始めるということはつまり面倒事が起きるということだから、できるだけ見て見ぬ振りをしたいというのが常変わらぬ俺の願望だ。

 だが呼ばれたら使い魔たるもの従わなければならなかった。


「なんだよ。今度はなに馬鹿なこと思いついた?」


 俺はめんどくさいという感情を全面に出してそう尋ねた。せめてもの反抗だ。彼女はこの程度では怒ったりもしないしむしろどうとも思わないから気休めに過ぎない。


「リーゼルの望石の内部構造を魔法式として展開してみようと思って。ほんとはやりたくないんだけど、こいつ、難解すぎてそれ以外もう手のつけようがないんだよ」


 手のつけようがないのはお前だろうが。俺はそっと心のなかでそうつぶやく。こいつはいつもこうやってできるだけ誰とも関わらず一人で魔法の研究に没頭している。そしてたまに騒ぎを起こす。それが唯一くらいの人との関わり。関わりと言っても実際人がここまで来て、シビルと会うことはない。風のうわさというやつだ。


「いまなんか侮辱された気がしたけど」


 彼女は俺の心の声にも何事もなかったかのように返事した。褒め言葉だよと俺は返しておく。使い魔というのはそういう不便な立場なのだ。心の声も全てダダ漏れ。ため息もつきたくなる。


 そういえばリーゼルの望石ってなんだったかな。彼女の持つ妙ものは他にも数多とあるからどんなものだったかは流石に覚えていない。昨日からあいつがそれについて試行錯誤しているのは知っているのだが。


「まあいいよ。でだ、家の本棚から”魔法式展開における手順と注意”Ⅰ編三章第五節の内容を確認してきてくれるかい」


「あいよ」


 俺は家の中へトボトボと入っていく。あいつが何を企んでいるかはわからないが使い魔として命令通りのことはするさ。本音を言えばしたくないけども。

 その理由の主たるものがこれだ。家の中、これが廃墟かと疑うほどに汚い。ものが大量に床に積まれ、テーブルの上には大量の汚れた皿。だから基本的にここには立ち入りたくない。どうやって彼女がこの空間で生活しているのかまったくもって謎だ。

 俺はほぼ無いに等しい足の踏み場を縫って奥の部屋へと向かった。


 足の裏が粉っぽくなる。もはやこれが埃なのかすら怪しいが憂鬱なのはこの家に入るときいつものことだ。もう諦めているから今更どうとも思わなかった。


 奥へ進んで立ち入ったのは本棚がずらりと並ぶ部屋。しかしその中に本はまばらにしか入っておらず、本棚を並べている意味がない。では本はどこにあるか、これまた床に積んであった。

 そんなわけだから目的の本がどこにあるのかはさっぱり検討がつかない。はてさてどう探そうか。


「一番左の本棚の上から二段目の倒れてる赤い本」


 頭ん中でそう声がした。あいつの声だ。

 俺は床に積まれた本をよじ登ってその場所まで来る。たしかにそこには言われたとおりの本がその段で一冊だけぽつんとあった。俺は彼女の絶大な記憶力に感心しつつ、そこまで記憶力がいいのならばよく使う魔法の本の内容くらい覚えとけと愚痴も言いたくなった。


 言われた通りのその本を物を掴むには不適な手でそっと手前に引き出しそれを器用に背中に乗せると俺はホコリの積もる床へ飛び降りる。


「これか?」


「そうそれだよ」


 相変わらず外にいるはずのあいつの声が頭に聞こえてきた。

 彼女はおそらく今俺の視覚を使ってこちらの様子を見ている。つまり俺がこっちでこの本を読めば向こうにも伝わるというわけだ。


 ページを捲ると最初の方には――魔法式展開とはすでに存在するあらゆる事物を魔法式として表すことである。例えば炎を展開しその仕組を読み解けば、炎を魔法の一部として使うことが――えっとこんな初歩的なところじゃなくて。あいつはなんと言っていたか、確か三章第五節……はこのへんか。


 開いたページには――またありえない話ではあるが、もし魔法式で表せる理論の限界を超える例えばこの世の物でないものを展開しようとした場合――これは進み過ぎだな。


 少し戻ると目的のページへたどり着いた。内容は具体的な魔法式展開における儀式のものの並べ方。調べる対象の場合ごとにいくつもの儀式が書かれていた。これは覚えるのも大変そうだ。確かナントカ石だったな。


「これでいいのか?」


「そうだよ。ちょっとそのまま待ってて」


 そう言われてしばらく本を眺めていると、終わったと一言聞こえてきたので俺はその本をそのまま地面にほったらかして再び家の外へと足早に向かった。

 どうせあいつがやったらこの本が片付けられることは無いのだ。おれがやったってやらなくたってどっちみち同じ結果に至るのだから無駄な労力を使うまでもない。


 外に出てみると無駄に長い葉のない木の枝、薄汚れた小石の破片、かじりかけの果実に、正体不明の道具が地面に並べてあった。それで彼女はその真中に音もなく佇んでいる。俺が本で見た図のとおりだった。

 俺が家の中から出てきたのを確認するなり家とは反対の方を向いて、


「さあ、始めよう」


 そう彼女は告げた。彼女がその手に持ったリーゼルの望石は空に向かって掲げられる。石は琥珀色で向こうが見通せる程には透き通っているが、その内側からは黒い靄が生きているかのようにその硬い殻を破ろうとうごめいている魅惑的ながら不気味なものだった。


 彼女が目を瞑りなにかをつぶやきだす。それは人の言葉とも動物の鳴き声ともつかず、ただ言語のような規則的な音だった。

 曰く悪魔の言葉、魔法使いがその力の糧として使う悪魔との交渉なのだとか。


 彼女の言葉が止まると、その足元から風で落ち葉を払ったときと同じような文字や記号ら――曰くこれが魔法式――が俺の足元にまで広がってくる。魔法式は淡く光を発しているようで、まだ日もわずかに出たばかりの朝の薄暗がりを照らしていた。


 そして最後に彼女がその目を開いたとき、



――辺りは光の破片となって崩れていった。



 ああまたこいつがなにかろくでもないことをした。俺はすぐにそれを悟った。

 いったい何が起きたのか、それはあまりにも突然で俺が把握しきることはなかった。そこには驚くという単純な感情さえも起こる隙間もなかった。


 ただ彼女の瞳は赤色から普段魔法を使うときの銀色に変化していて。

 魔法式展開の光景も今まで何度か見たことのある光景で。


 ただ彼女の持つ石からその黒い靄が彼女に手を伸ばしていたことだけは俺の知らないものだったことだけが唯一気がかりだった。

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