報復①

 クリスマス休暇には必ず家に帰るようにとのベルナールからの手紙が届いた。フレデリックもイギリスから帰って来ると言ったらしい。お誂え向きだ。ヤンは手紙を握りしめた。


 あれからまたあのテラスに行ってみた。マチルドの学校の前で下校時間を待ってみた。でもジュールは現れなかった。マチルドは不思議そうな顔でヤンをちらちら振り返りながら女中に連れられて行ってしまった。


 ヤンは落ち着かない日々を過ごした。どうにかしてジュールと話がしたかった。しかし彼のあの様子を思うと、もう無理だと考えるしかなかった。

 後悔だけが募る。なぜあんな風に問い詰めてしまったのだろう。あの時はどうかしていた。彼の気持ちを思う余裕すらなかったなんて情けない。

 知られたくなかったと彼は言った。当たり前だ。やっと幸せな生活を手に入れたんだ。暴かれたくなかったに違いない。過去のことにしてこれからのことだけ考えていたかったに違いない。

 それを、傷をえぐるような真似をして。おれは馬鹿だ。大馬鹿だ。



 オルレアンには二十四日の夕方に着いた。家族で晩餐さえすれば父の気も済むだろう。ベルナールは到着が遅いと文句を言ったがそれ以上は小言を言わなかった。むしろ至極機嫌がよく、忙しいのかいと訊いた。ええ忙しいですと答えると嬉しそうにそうかと言って頷いた。ヤンは父との距離が遠くなったと感じた。


 父の機嫌がよい理由はすぐに分かった。フレデリックが銀行の令嬢と正式に婚約したという。これでうちも安泰だとベルナールはフレデリックの肩を叩いた。


 久しぶりに会うフレデリックは何だかすっきりとした顔をしていた。憑き物が落ちたように妙に明るくなっていた。ヤンには格別感じよく振舞った。やあ、久しぶりだな。どうだったドイツは? 食べ物が不味くていけないだろう。僕もイギリスでは閉口するよ。やっぱりフランスの食い物が一番だ。


 政略結婚に満足なのかそれとも開き直ったのか、べらべらと下らないことばかり抜かすフレデリックにいつ問い正そうかとヤンは思案していた。だが結婚話に浮足立った家の中ではろくな話ができるはずもなかった。


 結局フレデリックとはまともに話もしないまま真夜中のミサに連れ出され、部屋に戻ってからは一睡もできないまま朝を迎えた。


                  ✽


「兄さん、少し散歩をしませんか」


 フレデリックがようやく一人きりになったところを捕まえてヤンは声をかけた。


「何だい。珍しいね、お前が誘うなんて」

「ちょっと、相談したいことがあって」

「僕に相談? いいよ、聞いてやろう」


 二人は連れ立って外へ出た。空気は冷たく湿っている。屋敷の裏手を歩くうちに案の定小雨が降ってきた。ヤンは森番の小屋へ向かった。フレデリックは訝し気な顔をしながらもついてきた。


「ちょっとお邪魔するよ」

 ヤンがそう言って入ると、フェルナンは台所で床にひざをつき、たらいの中に手を突っ込んでいた。中にはなめし液に浸かったうす茶色の毛皮が入っている。


「なんだ、クリスマスなのに仕事してるのかい?」

 ヤンが言うとフェルナンは笑いながら顔を上げた。

「なに、仕事というほどのことじゃありません。それにあたしにはクリスマスも何も関係ありませんや。あたしは神様を捨てた人間ですからね」


 フェルナンの言葉になぜかどきりとした。子供のころから当たり前のようにそばにいたこの男のことを、実は何も知らない。やたらと色んな知識を持っているわりに自分については何も語らず、いい歳をしてずっと森番の仕事に甘んじている。が、昔から不思議な魅力のある男だ。神様を捨てたと笑うこの男にも、色々と歴史があるに違いない。


「それはウサギ?」

「ええ。二、三日前に旦那様と一緒に仕留めましてね」


 フェルナンはそう言って窓の方を振り返った。

 窓辺には皮を剥いだウサギが二羽、脚を繋がれて竿からぶら下がっている。


「へえ、きれいじゃないか」

「そうでしょう。なんとか傷をつけずに獲りました。もう少し待てば食べられますよ」


 筋肉質なウサギの肉はつやつやと光っている。仕留めたのは父ではないなとヤンは思った。


「フェルナン、ちょっと、場所を借りてもいいかい?」

 ヤンがテーブルを指すとフェルナンはフレデリックをチラと見て立ち上がった。

「ああどうぞどうぞ。ゆっくりやって下さい。あたしはあっちに控えてますんで」

 そう言って寝室の方に引っ込んだ。


 ヤンはフレデリックを促して座らせた。


「で、話というのは?」


 ぶら下がったウサギを気味悪そうに横目で見ながらフレデリックが早口に言った。ここはうすら寒い。話なら部屋で聞くものを、なんでわざわざこんなところへ引っ張って来るのか。


「ジュールのことです」

 ヤンは切り出した。

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