再会⑤

 その途端、ジュールの顔色が変わった。

 いっぺんに凍りついたジュールの目を見て、ヤンの疑念が確信に変わった。

 

「……やっぱり、そうなんだな」

 ヤンが呟いた。


 ジュールは目を見開いてヤンを見返した。顔がみるみる蒼ざめていく。


「本当だったんだな、あの話は」

 ジュールは体をこわばらせたまま動けなくなった。

「あの話って……」

「体、売ってたんだろう……その、ルネの店で」


 ジュールはグッと喉を詰まらせた。どうして。どうしてヤンが知っているのだ。


「さっきあのテラスで君を知っているという男に聞いたんだよ。君がその店で売春していたって言うんだ。もちろん疑ったよ、そんな馬鹿なって。だって、おかしいじゃないか、どうしてパリに奉公に出てそんなことになるんだ」


 ジュールの頭にあの男の顔が浮かんだ。あいつだ。またあいつだ。


「なあジュール、話してくれ。何があったんだ」

「いやだ」

 ジュールは顔を引きつらせたまま首を振った。

「ジュール、」

 ヤンは大きくジュールの方へ足を踏み出した。

「いやだ」

「答えろよジュール」

「いやだってば」


 ヤンが一歩ずつ近づくたびにジュールは一歩ずつ後ずさる。まるで追い詰められた猫だ。怯えたように眼を見開きもうそれ以上訊くなという視線を放っている。それでもヤンは詰め寄った。


「なあ、教えてくれ」 

「やめて、」

「何があったんだ。本当のことを言ってくれ!」

「お願い何も訊かないで!」

「おれは知りたいだけなんだ! 頼むから言ってくれ!」


 ヤンの勢いに負けてジュールは黙った。震える唇をぐっと噛みしめた。彼の様子がおかしかったのはこのせいだったのだ。嘘だと言いたい。そんな話はでたらめだと言いたい。どうして? なぜこんなことになるんだ? こんなはずじゃないのに。この人との再会は、もっと、幸せなものになるはずだったのに。


 ヤンはまっすぐにジュールを見つめている。揺るがない厳しい視線が真正面から向けられている。一点の濁りもないそのまなざしがこんなにも痛いと感じたことはない。


 ジュールは大きく息をつき、力なく目を伏せた。


「……そんなに知りたいなら、言ってあげるよ」 

 あきらめたような声でジュールは答えた。


「その通りだよ。働いてたよ。……ピガールの娼館で」


「どうして……どうしてそんな、」

「どうして? だってそれが、僕に対するお仕置きだからだよ。島流しさ、君みたいに。僕の場合はドイツじゃなかったけどね」


 ヤンの目が大きく開いた。

「まさか──、」

「使用人だなんて嘘っぱちさ。まんまとあいつの罠に引っかかったんだ。そうだ、だまされたんだよ僕は」


 ジュールは顔を上げ、怒りと悲しみの入り混じった目でヤンを睨んだ。


「だまされて売春宿に売られたんだよ、!」

 声を荒げてひと息にそう言い放った。


 ヤンは愕然とした。フレッドが……? フレッドが……?


「あやしい馬車に乗せられて、ルネの屋敷に連れてかれて、毎晩毎晩、客を取らされて」


 ヤンは言葉を失った。ジュールは肩を小刻みに震わせながら続けた。


「白状ついでに言ってやるよ。君の兄さんも来たよ。男を連れて。僕が男の言いなりになるところを、うすら笑いしながら見てたよ。今まで生きて来てあんな辱めを受けたのは初めてだ……!」


 ジュールは開き直り、洗いざらいをぶちまけた。ピストルを突きつけられて契約書にサインしたことも、窓に鉄格子のついた部屋で一晩に何人も男の相手をしたことも。体じゅうから一気に血が噴き出して流れ出していく心地がした。


「僕は死のうとしたんだ。君に言ったことなんか忘れて、死んで楽になろうとしたんだ。もう君に合わせる顔なんかない。あんな屈辱にまみれてまで生きている必要などない、そう思ったんだ。罪は罪で償えって、君の兄さんはそう言ったよ。あの言葉は僕の胸に突き刺さったままだ。充分だよ。僕はもう充分償った。……こんな話、しに来たんじゃないのに……」


 ジュールの頬に悔し涙がつたう。


「君にだけは……君にだけは……知られたくなかったのに……!」


 そう言うと外套を掴んでジュールは部屋を飛び出した。


「ジュール!」

 ヤンはあわてて後を追いかけた。ジュールはどんどん階段を降りて行ってしまう。


「ジュール! 待て、待ってくれ!」


 ジュールは振り返りもせず建物から走り去った。閉まりかかった門にぶつかるようにしてヤンがすぐその後を追って出て行った。


「ちょっと、何なのあんたたち! ルグランさん! ……何だいありゃ」


 竜巻が通り過ぎるような二人の姿を門番の女は呆気に取られて見ていた。



 ヤンは大通りに飛び出すと周りを見回した。週末の大通りはまだ人が沢山行き来している。ジュールの姿がもう分からない。


「ジュール!」


 細い路地の陰に隠れて、ジュールはヤンが通りを走り過ぎるのを見た。肩で息をしながら両手で顔を覆った。とめどない涙が指の間を流れていく。


 知られてしまった。一番知られたくない人に──。

 波のように後悔が押し寄せる。


 来るんじゃなかった。

 こんなことなら、来るんじゃなかった……!


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