明暗④

 ルネは頭を抱えた。全く困ったことになった。


 医者が言うには、化膿した傷は跡が残りやすく、ジュールの背中の傷跡が消えるまでにはおそらく半年から一年ほどかかるとのことだ。


 憤りを抱えたままルネはサロンへ向かい、入り口に立って様子を窺った。

 

 ジュールは隅の方で壁にもたれてぼんやりしている。気丈にもあの子は三日ほど前から店に出ている。だがもう客はつかない。

 噂はあっという間に店の中に広まってしまった。傷跡が背中にたっぷりついているらしい。もう二度と消えないそうだ。病気をうつされているかも知れない……。噂は尾ひれがつき話が大きくなる。客は他の少年に乗り換える。至極当然だ。おまけに傷が消えるのは半年から一年後だという。

 ルネは鼻から煙草のけむりを吐き出した。あんなに客にちやほやされ人気の頂点にいたジュールがこのざまだ。よりによってジュールが……。


 そこへギヨームが現れた。

「やあ先生、」

「ジュールはどうしてる?」

 ギヨームは真剣な面持ちで尋ねた。


「あすこにいるよ。あれはもう客がつかん」

 ルネはあごの先でジュールを指して腕組みをした。店には出ることは出ているんだが……。二、三人客を取ったが逃げられちまった。あんな背中を見せられたら萎えるとね、苦情を言われたよ。


「傷ものになった商品ほど頭の痛いものはないよ」


 ルネは皮肉な笑みをギヨームに向けた。

「先生はどうなさるね? 貴方もずいぶん贔屓にしてくれたが」

 そう言ってため息と一緒に煙草のけむりを吐き出した。


 ジュールは後ろ手に壁に寄りかかり、首を傾けてぼうっとしている。心ここに在らずだ。ギヨームに気がつくと、今にも走り寄りそうな嬉しそうな顔になった。が、次の瞬間すぐに笑顔が消え、その場で立ち止まってしまった。ギヨームが近づくとバツの悪そうな顔で肩をすくめてみせた。


「もう予約は要らないよ。分かるだろ、先生」

 下を向いて弱々しく微笑む。

「傷の方は大丈夫なのか?」

 ギヨームはジュールの顔を覗き込んだ。ジュールは下を向いたまま頷いた。



 部屋に入るとジュールはシャツを脱いでギヨームに背中を見せた。薄く柔らかい肌の上に黒ずんだ線がいくつも走っている。そして腰のあたりには、毒々しい赤色の大きな傷が三つ交差してくっきりと盛り上がっている。ギヨームは思わず口をふさぎ眉をしかめた。


「これはひどい」

「気持ち悪いでしょう。僕もぞっとするよ」

 ジュールは自嘲気味に言った。


「みんな優しいんだ。大丈夫かい、とか、大変だったね、とか、声をかけてくれるんだ。でも、みな僕を遠巻きに見ている。汚れものみたいに、病気持ちみたいに、僕を避ける。こんな風になったら誰も相手にしないよ。当然だ。そういう仕事をやってたんだって、やっと気づいたよ。僕にはもう何の価値もない」


 ギヨームはジュールの傷にそっと触れてみた。

「痛くないかい」

「大丈夫、もう痛くはないから」


 指で傷をなぞっているうちにギヨームの目に悔し涙が浮かんだ。唇を噛んでジュールの肩に頭を乗せると、温かな感触が額に伝わった。 


「怖かったろうね……痛かったろうね……可哀そうに……!」


 ギヨームはその傷だらけの背中を抱きしめ、こらえ切れずにむせび泣いた。


「先生、泣かないでよ」

「消してやりたい。こんなもの、消してやりたい……!」

「泣かないで。つらくなるから」


 ジュールはギヨームに向き直ると悲しい目で笑ってみせた。これが僕の運命さ。受け入れるしかない。


 ギヨームの胸にある思いが浮かび上がってきた。

 救い出してやる。お前をこんな地獄から助け出してやる──。


 ギヨームはジュールのやつれた頬に手を当て、精いっぱい微笑んでみせた。

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