袋小路

袋小路①

 エドガーはベッドの中で薄目を開けると、向かい側のベッドで寝息をたてているジュールを眺めた。やっと眠ったらしい。彼が来てから一週間が経った。


 ジュールが来た日、エドガーは色々と彼に説明してやった。食事は料理係が鐘を鳴らす。下の食堂で食べるんだ、みんなで。それから店が始まる前には部屋で念入りに体を洗うこと。一週間に一度は台所まで下りていって湯を沸かし、持ち運び式の湯船を置いて相部屋の者同士が代わる代わる風呂に入る。みんな面倒くさがるけどエドガーはこれが好きだ。


 着替えるとルネの店に出る。

 店は通り側の建物だ。入って正面にある重たい扉が店のドアで、そばにはいつも門番のシモンが立っている。

 看板もなければ目を引く明かりもない、外目からはただの邸宅にしか見えない。細い袋小路にひっそりと営業しているルネの店は、ある一部の人間しか知らない場所だ。だが出入りは頻繁にある。

 ルネは客を選ぶので、おのずとブルジョワの紳士や位の高い軍人などがお忍びでやって来ることになる。だから客層は確かだ。門番がいるからおかしな客や酔っ払いなどはまず来ない。女たちがいる安い淫売宿に比べたらいい方だとエドガーは思っていた。


 皆がサロンと呼んでいるその店は、一見するとどこかの金持ちの居間のようだ。ひだのたっぷりついたカーテンが重たく下がり、壁の色はヴュー・ローズという少しくすんだ薔薇色、その一部は金縁の飾りのついた鏡張りになっている。フロアには深紅のソファ。奥にはあらゆる酒を揃えたバーカウンターまである。


 客はサロンで酒を飲みながら、絹のシャツを着て細いズボンを履いた少年たちを物色する。気に入った子がいれば声をかけて奥の扉から二階に消える。便宜上みな二階と言うが実際は中二階で、廊下はどこにも通じていない。突き当りの手洗い所で行き止まりになっている、いわば、隠し廊下だ。


 紅い絨毯を敷いた薄暗い廊下の両側に並んでいるのが、皆が仕事部屋と呼んでいるそれぞれの持ち部屋だ。

 鉄格子のついた小さな窓。簡素な天蓋つきのベッド。ベッド脇にはテーブルと椅子。衝立の奥には身繕いのための化粧台。

 ほとんどの客は常連なのでもう気に入りの子がいて馴染みになっている。エドガーにも何人かいる。でも客は気紛れだからたまに別の子をつまみ食いしてみたりする。気をつけてないと誰かに寝盗られてしまう。


 ジュールが割り当てられた部屋はトマが使っていたものだった。突き当りのすぐ右手の部屋だ。あの時血まみれになっていたシーツもマットレスも全て取り替えられ、何事もなかったように新しくなって、次の「使い手」を待っていた。



 ルネの言った通り、着いた日からジュールは店に出された。ルネの部下に引きずられるようにして店に入って来たジュールをルネが満足そうに眺めて、支配人に一時間十フランから始めなさいと言った。最初から自分より高いなんてちょっと悔しいとエドガーは思った。ルネはジュールが目立つようにサロンの中央にある長いソファに座らせた。ジュールはソファの端に隠れるように縮こまった。やれやれだ。


 食事の時間、彼は何にも手をつけず、長テーブルにどさりと置かれたパンの籠と野菜の煮込みを前にずっと目の端で逃げ道を探していた。着替えろと言っても頑として服を脱ごうとしないので三人がかりで押さえつけて無理やりトマのシャツを着せた。おかげで腕を引っかかれた。


 しかしここまで来ればもう逃げようがない。エドガーは向かい側のソファに腰かけてジュールを眺めた。改めて見るとこいつは相当な美形だ。こりゃすぐに客がつきそうだな。


 そう思っているうちに案の定客が一人寄ってきてジュールの隣に座った。奴は顔を伏せたままだ。まどろっこしい。エドガーはわざとらしく咳払いをした。ジュールが目を上げると、エドガーは手で口の端を持ち上げ、「笑え」という合図をした。ジュールは恐る恐る顔を上げて客を見た。目が引きつっている。エドガーは吹き出しそうになった。客がジュールの肩を抱いて立ち上がった時、彼はエドガーを振り返った。助けてくれと言わんばかりの必死の形相だ。エドガーはウインクをして見せた。ジュールは客と支配人に連れられて奥の扉へと消えた。



 今日は自分の馴染みは来なかったが、エドガーはサロンでジュールを待っていた。心配になってきた頃に奥の扉から青い顔をしたジュールが戻ってきた。シャツのボタンをかけ違えている。エドガーに気づくとすぐに目を伏せた。


 中庭を通って屋根裏部屋へ戻った。


 ──初日からよく稼いだな。偉かったぞ、お前。


 螺旋階段を上りながら声をかけてみたが何も返事はなかった。

 それぞれベッドにもぐり込んでろうそくを消した。ジュールはベッドに入るまでひと言も口をきかなかった。


 しばらくすると闇の中で彼の嗚咽が聞こえ始めた。押し殺すように、枕に顔を突っ伏して泣いているのが分かった。


 エドガーは寝返りを打って背を向けた。トマのことを思い出した。あいつも最初はこんな風に泣いていたっけ。俺は何もしてやれなかった。十六年という短いあいつの人生の、ほんの最後の部分を一緒に過ごしただけだった。


 知ったことか。勝手に泣かせておけばいいさ。

 ジュールのしゃくり上げる声を聞きながら、エドガーはこみ上げてくる妙な感傷に苛立っていた。

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