ジュールの話③
毎週木曜日はおばさんが町へ行く日で、アランも必ずついて行くことになっていた。お姉さんのところで昼食をして、それから買い物をして帰って来るんだ。だから木曜日の昼食はおじさんと僕の二人きりだった。大体おばさんがスープを作っておいてくれるからそれを食べていた。
その日もいつもの通りおじさんと僕は二人で昼食の準備をした。僕がテーブルにスプーンを並べてる間に、おじさんがスープをよそってくれた。
おじさんと僕は、妊娠中の山羊の話や、病気かも知れない家畜の話なんかをしていた。こうやって話してると一人前の大人扱いされているみたいで、僕はちょっと誇らしかった。
ところが、食事をしているうちにだんだん右手がしびれてきた。僕はスプーンを落とした。拾おうとしたけど、掴めなくて、また落としてしまう。おじさんが不思議そうな顔をして「どうした?」って訊いた。
「おじさん、おかしいよ。手がしびれる」
「なんだって?」
「どうしたんだろう、変だな……。手が動かない」
「ちょっと横になりなさい。部屋まで運んでやろう」
立ち上がろうとしたけど、足も麻痺したように動かないんだ。おじさんが僕を抱えて階段を昇った。部屋のドアを開けてベッドの上に寝かせた。
おじさんはベッドに腰をかけて確かめるように僕の手や足を動かした。それからおもむろに僕の服を緩めはじめた。
僕はおじさんが介抱してくれるものだと思っていた。
でも、違った。
おじさんは低い声で、死にはしないから安心しろと言った。そして僕の頬を撫でながらじっと眼の中を見つめた。
「ジュール、お前は可愛いなあ……。本当にマリオンそっくりだ……」
そしていきなり僕の唇に口を押しつけた。僕は目を見開き、咄嗟に頭を揺すっておじさんの唇を振り払った。
「お、おじさん、何するの?」
あまりのことに僕は最初おじさんがふざけているのかと思った。でもそうじゃない。おじさんは笑いもせず、僕の顔をぎゅっと両手で掴んだ。頬に食い込む指が痛かった。
「お前はどんどんマリオンそっくりになる」
そう言うや否やまた僕の口を塞いだ。ねっとりとしてスープの味がした。
「何するんだよ、やめてよ!」
なおも逃れようとすると、押し殺したようなおじさんの声が耳もとで聞こえた。
「黙って俺の言うことを聞け」
その後起こったことは、僕の、今まで生きてきた中での、一番恐ろしい出来事だった。自分がおじさんの手でどんどん壊されていくのがはっきり分かった。逃げたくても僕の手足は全く動かなかった。僕は恐怖に駆られて何度もやめてと叫んだ。でもおじさんは何も聞いてはいなかった。いつもの気さくで冗談好きなおじさんはどこかへ消えてしまっていた。動物みたいな目をした別人に変わっていた。僕の頭の中に、おじさんが入れたスープのことや、仕事中たまにじっと僕の顔を見てたことや、このベッドは寝心地がいいだろうと言っていたことなんかがいっぺんに浮かんできたけれど、こういうことだったなんて。そういうつもりだったなんて。僕はなんにも気づかなかった。信頼していたのに、あんなに感謝していたのに、僕はおじさんに裏切られた。小さな頃から仲良くしてくれた、親戚のようなディディエのおじさんに。
それから……。
そこからの記憶は断片的だ。覚えているのは、体を貫くような痛みと、腰にべったりと張りついたおじさんの手、自分の叫び声。
おじさんは僕の頭を枕に押しつけた。僕は枕の中にありったけの声で叫んだ。涙とよだれで枕が濡れて気持ち悪かった。でも、最後にはもう声も出なくなった。僕は目を開けたまま、半分気を失っていた。お姉さんの部屋の花柄の壁を見ながら、ただこれが早く終わって欲しいと頭の中で願っているだけだった。
✽
僕は裸のままベッドにうつ伏せになって嗚咽を漏らしていた。おじさんはベッドに腰かけて僕の背中を撫でていた。慰めるような声で、もう泣くなと言った。
「言っただろう。お前が可愛いんだよ」
僕の髪を触りながらおじさんは言った。
「お前の母さんの話をしてやろう。マリオンは村一番の美人で、俺の初恋の相手だった。俺はあの娘と一緒になるつもりで彼女の親父とも話を進めていた。
ある日村に一人の男が流れ着いて来た。そいつはエリックと名乗った。俺はその流れ者を助けてやった。畑の仕事や山羊飼いの仕事を世話し、家まで用意してやった。俺はあいつの恩人なんだ。ところがあろうことか、マリオンはその男に夢中になりやがった。俺のことを足蹴にして、そいつと一緒になってしまった」
おじさんの声がだんだん低くなった。
「お前の親父は俺からマリオンを奪ったんだ。結局俺はカミーユと結婚した。俺に上の娘ができて大きくなる間に、マリオンは二度も流産した。あの子の体はボロボロになった。そしてお前が生まれた後すぐに、死んでしまった。全てお前とエリックのせいだ」
おじさんは目を細めて僕の顔をじっと見た。
「お前の顔を見るたびにマリオンが重なる。お前は大きくなるにつれてあの娘に似て来る。その目も、鼻も、唇も、マリオンに生き写しだ」
「僕はジュールだ……。お母さんじゃない」
僕は震えながら言い返した。おじさんは脅すような声で言った。
「お前がこの代償を払うんだ」
「そんなの勝手だよ……。こんなことするなんて卑怯だ……!」
僕はしゃくり上げながらおじさんを睨んだ。そしたらおじさんはいきなり僕の横っ面を引っ叩いた。鈍い音がしてすごく痛かった。おじさんに殴られたのは初めてだった。
「お前は自分の立場を分かっているのか。俺を親戚の親父だとでも思っているのか。勘違いするな。俺はお前の主人だ」
おじさんは今まで見たこともない怖い眼をしていた。
「お前は俺の使用人だ。それをちゃんとわきまえておくことだ」
そう言うとおじさんは僕の耳もとへ囁いた。
「これは二人だけの秘密だぞ」
手足のしびれはなくなっていたけど、おじさんが出て行った後も僕は動けなかった。体じゅうが痛くて、苦しくて、おじさんの手の跡が体のあちこちにべっとりとついているような気持ちがしていた。悔しくて情けなくて涙が止まらなかった。自分がとてつもなく汚らしく思えた。
アランが夕食に呼びに来たけど、僕はいらないと言った。お腹が痛いと言い訳するのが精いっぱいだった。
僕はぼんやりと父さんのことを思った。一人になるということがどんなことなのか、僕にはやっと分かった気がした。もう、誰も守ってくれる人がいなくなるということだ。
その日から僕はおじさんの目を見ることができなくなった。おばさんのスープを見ると吐き気がして、喉を通らなくなった。アランが心配して、なんだか元気がないよと声をかけた。おじさんは、僕が父さんのことを思い出しているのだと言った。ジュールはまだエリックのことを考えてるんだ、そっとしておいてあげなさい、って。
そんなんじゃないのに。
そんなんじゃないのに。
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