山羊飼いの少年③
屋敷へ戻るとみな食卓についていた。テーブルにはベルナール、その妻のイザベル、そしてヤンの五歳年上の兄、フレデリックがいる。
ベルナールが顔を上げた。
「やあ、どうだね、あの子の様子は」
ヤンは父に向かってにっこりと笑った。
「さっき目を覚ましましたよ。助かりました。熱も大分下がったし」
「そうか。助かったか。まあ、それならひと安心だな」
「ちゃんと口もきけるし、頭もしっかりしてるから大丈夫でしょう」
「なんだ、いっぱしの医者みたいな口ぶりだな」
ベルナールが嬉しそうに笑うと、フレデリックが小さく咳払いをした。
ヤンはフレデリックに向き直った。
「久しぶりですね、兄さん」
「しばらくだね」
フレデリックがヤンに申しわけ程度の一瞥を送ると、なぜか取りなすような調子でベルナールが言った。
「今朝着いたんだ。イギリスの滞在が予定より早く切り上がったそうでね。せっかくだから休暇も兼ねてのんびりするがいいさ」
「あの子って、さっき話していた、行き倒れの浮浪児のことですか」
フレデリックが尋ねた。
「ああ。死にかけていたのをヤンが介抱したんだ」
イザベルが眉間に皺を寄せる。
「いやだわ、汚らしい。早く追い出して下さいな」
ヤンはムッとした。
「意識が戻ったばかりなんです。まだ十五歳だそうですよ。少し休ませないとまた同じことになります。フェルナンは当分戻って来ないんでしょう」
「ああ、まだ便りはないな。どうだい、イザベル、回復するまで少し待ってやってもいいだろう」
ベルナールがなだめる。
「……まあ、あの小屋にいるだけなら……」
イザベルはわざとらしく大きなため息をついた。
「あの子ね、僕のことを森番だと思ってます」
それを聞いてベルナールは愉快そうに笑った。
「そりゃ、そんな格好であんなところに寝泊まりしてちゃそう思うだろうよ」
「なんだ、寝泊まりしてるのか?」
フレデリックが呆れたように訊いた。
「はい。患者がなかなか目を覚まさなかったもんで」
「物好きだな。浮浪児相手にお医者様ごっこか」
ヤンは聞こえないふりをする。
「ああ、そうだ、着換えを取りに来たんだ。あと、何か食糧も……」
ブツブツとつぶやきながら食堂から出て行った。
イザベルは不服そうな顔をしている。
「全く、とんだ拾い物をしてくるんだから」
「……どれ、偵察してくるかな」
フレデリックが立ち上がった。
「どこへ」
「どんな浮浪児か見て来ましょう」
「フレッド、およしなさい」
フレデリックは構わずに食堂から出て行ってしまった。
イザベルはベルナールを睨みつける。
ベルナールはすまして新聞をめくった。
森番の小屋は屋敷の裏手にある。森に行かないフレデリックにとってはほとんど用のない場所だ。屋敷の裏といってもむしろ畑や森に近いのでどうも足元が悪い。靴に泥がつかぬよう気にしながらフレデリックは小屋に近づき、窓ごしにそっと中を窺った。
テーブルの向こう側に、シーツを肩から羽織った少年がおぼつかない足取りで歩いて来るのが見えた。肩まで伸びた汚れた髪が顔を隠している。これが例の浮浪児だな。フレデリックは目を凝らしてじっと少年の様子を眺めた。
少年は水瓶を見つけると
そこへ猟犬がやってきて、少年の羽織っているシーツにじゃれついて飛びかかった。少年はあわてた様子で引っ張り返そうとしたが、犬はますます面白がってまとわりつく。
しばらく引っ張り合いを続けた後、シーツが破れてはいけないと思ったのか、少年はついに手を放してしまった。
肩を覆っていたシーツがするりと床にすべり落ち、隠れていた体が足まで見えた。
フレデリックはぎくりとして咄嗟に窓から顔を離した。が、ゆっくりと顔を上げると、もう一度中を覗き込んだ。
テーブルの脚の間から犬と戯れる少年の姿が見えた。床に座りシーツに絡まりながらじゃれ合っている。少年の肌は色よく日灼けしていて、ほっそりとした背中は動くたびに華奢な骨が羽のように浮き出る。包帯を巻いた腕や傷だらけの足はまっすぐしなやかに伸びている。
フレデリックはその肢体を見てゴクリと唾を呑み、さらに注意深く見つめた。少年は犬の頭を両手で撫でまわした。すると犬は舌を出していきなりその頬を舐めた。少年はくすぐったそうに笑った。笑いながら少年が髪をかき上げた時、窓から差し込む光がその顔をはっきりと照らし出した。
フレデリックは思わず目を見開いた。
くっきりとした涼しげな瞳。細く形の良い鼻。ほころんだ唇はまるで花びらのようだ。フレデリックは息を呑んでその顔を見つめた。これが浮浪児だって? 馬鹿な。まるで絵のように美しい少年じゃないか──!
フレデリックは我を忘れてしばしその横顔に見入っていた。乗り出すように窓枠に手をかけた時、立てかけてあった梯子が音を立てて倒れた。
物音に気づいた少年がハッとこちらを振り向いた。
フレデリックはさっと窓から離れ、急ぎ足でその場を後にした。心臓が異様なほど強く高鳴っていた。
屋敷のそばで荷物を持ったヤンとすれ違った。
「奴と会いましたか?」
「いや、見ていない」
フレデリックは短く答えると足早に通り過ぎた。
心臓の音がヤンに聞こえるのではないかと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます