山羊飼いの少年
山羊飼いの少年①
懐かしいぬくもりだ。父さんが僕をおぶって歩く。
よくこうやって眠り込んだ僕を背負ってくれたものだ。
心地のいい背中で安心して眠っていたっけ。
父さん。
迎えに来てくれたんだね。
僕も今、父さんのところに行くよ──。
ジュールは目を覚ました。
うっすらと目を開けると、少し眩暈がした。
天井の丸太梁がぼんやりと見える。荒削りの梁は低く、黒っぽくくすんでいて、端の方にクモの巣が張っている。
ジュールは仰向けになったまま少し首を傾げてその梁を見上げた。それから手を目の前にかざしてみた。ゆっくりと手を握って、また開いてみる。手の甲を眺める。どうやら、生きているらしい。
目の端で周りを見回す。右手のでこぼこした石壁には小さな窓があり、陽の光が射し込んでいる。反対側の壁には猟銃が数本並んで掛かっている。その下には泥のついた靴が並んでいて、大きな木箱にはよく分からないがらくたが雑多に突っ込んである。まるで物置小屋の中にいるみたいだ。
ひじで支えながら体を起こそうとしたが、どうしても力が入らない。ジュールはなんとか起き上がろうとしてうなり声を上げた。
やっとのことで上半身を持ち上げた時、自分が何も身につけていないのに気づいた。あわてて辺りに目をやったが服は見当たらない。ベッドの脇に小さなテーブルと椅子、床には獣の皮を剥いだもの、そして窓の下にシーツの乱れたマットレスが一枚置いてあるだけだ。
ジュールは不安になった。思い出そうとしてみるが、この数日間の記憶は全てないまぜになって、いつ何があったのか思い出せない。水を探していて、怪我をして、木の根に足を取られて、それから……。父さんが迎えに来てくれた? 父さんの背中に負われて眠っていたような気がする。そんな馬鹿な……。
「気がついたか!」
いきなり大きな声がして心臓が縮み上がった。声のした方を振り向くと、部屋の入口のところに男が立っていた。背が高く、片方だけサスペンダーを下ろしたズボンから綿のシャツがだらしなくはみ出している。ジュールは息を呑んだ。
「よかった、二日間まるまる寝てたんだぜ」
男は嬉しそうな声を出してジュールに近寄った。ジュールはあわててシーツを引っ張り上げて身構えた。
「あ……あんた誰?」
男は目を丸くした。
「はあ?」
「あんた、誰? ここはどこだ?」
出せる限りの声でそう言うと男はさらに目を丸くした。
「なんだよ、ずいぶんなご挨拶だな。あんた誰って、それはおれが訊きたいよ」
そう言って手をジュールの額に伸ばした。びくりとして思わず避けようとしたが、男はお構いなく額に手を当てる。
「ああ、大分下がった。でもまだ熱があるからこのまま寝ていた方がいい」
怖かったが男の手は冷たくて気持ちがよかった。ジュールは男の顔を見返した。まだ若い。二十歳ぐらいだろうか。髪に寝ぐせがついていて不精ひげが生えている。男は額から手を離すと今度はジュールの胸に耳を押しつけた。
「何するんだ!」
「黙って。じっとして。大きく息をしてごらん」
「え?」
「大きく息をして」
ジュールは訳が分からないまま言われた通りにした。
「胸は痛むか?」
「いや……」
男は頷きながら顔を離した。
ジュールは男を睨みつけた。
「あんた、ここで何やってんだ。いったい僕に何をした?」
「何したって? まだ気づいてないのか」
男は呆れたような顔でそう言ってジュールの右腕を指した。
ジュールはあっと小さく声を上げた。怪我をしたところに包帯が巻いてある。シーツをめくるとすねについた傷も手当てしてある。体にこびりついた泥はきれいに拭き取られている。ジュールが目を丸くして自分の体を見ていると、男はそばの椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。
「お前このそばの森の中で倒れてたんだ、覚えてないか? それでおれがこの小屋に運んできたんだよ。そしたら今度はずっと寝たきりだ。冷たいきれいな水で体じゅうピカピカに磨いてやったんだぜ。それでも目を覚まさないんだから大したもんだよ。おかげさまでこっちは寝不足だ」
ジュールは顔を上げて男を見つめた。男は寝癖のついた髪をさらにぐしゃぐしゃと掻きむしりながら可笑しそうに言った。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、
「そういうわけじゃ……」
口の中でもごもご言っていると男はジュールの顔を覗き込んだ。
「そんだけ喋れるなら頭は大丈夫そうだな。名前は? 何ていうんだ?」
「……ジュール」
ジュールは大人しく呟いた。
「歳は?」
「……十五」
「どこから来た?」
ジュールは目を逸らしてうつむいた。
男は苦笑いして肩をすくめた。
「まあいいや。事情は後でゆっくり聞くとして。水、飲むか。喉乾いたろう」
ジュールは首を振った。
「何か飲まなきゃ駄目だ。水を持って来てやるよ」
男は立ち上がった。
部屋を出て行きざまにジュールに振り返った。
「そうだ、おれはヤン。本当はヤニックっていうんだけど、みんなヤンって呼ぶんだ」
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